瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

赤いマント(223)

・北川幸比古の学年(2)
 2月21日付(222)に改めて確認したように、松谷みよ子『現代民話考』は回答者からの報告を分類案に従って分割する際に、余り丁寧に確認せずに年を入れてしまっているらしいのです。地名の処理にも同様に、好い加減なところがあって、――私は後年、何かの折に松谷氏に怪異談集を送ったことがあり、その返礼として『現代民話考』ではないのですが似たような、日本民話の会の会員からの動物を巡る報告を纏めた本をもらったことがあるのですが、私は早速通覧して礼状を認め、ついでに、話の内容と示されている地名や時期とのズレを指摘して、『現代民話考』には細かい点でこのような誤りが多々ある。もし宜しければ私が一通り点検して訂正したいと思っているのだけれども、と申し出てみたのでした。
 しかし、今からすれば尤もなことなのですが、松谷氏からは鄭重な断りの返信があって、そのままになり、私も特に疑問点について知らせるような機会もないまま過ごしているうちに『現代民話考』がちくま文庫に収録されることになり、早速幾つか気になっていたところを見てみたのですが、疑問箇所がそのままになっていて、さてこそ、あのとき私に任せておればもう少しマシになったものを、あたら訂正の機会を逃して、これが結局そのまま決定版として残ることになってしまうのか、と歯噛みをしたものでした。
 いえ、松谷氏の委嘱を受けなくても、勝手にやれば良かったのですが、各巻に分散している、そして各巻の中で分割されている話者・回答者をエクセルに打ち込んで一覧出来るようにして、年齢・学年と時期にズレが生じていないか、もちろん出来れば回答の原文とも対照したいところです。そんなこんなを考えると個人的な事業として手掛けるには手間が掛かりすぎ、かつ、改版の折に反映されなければ意味がありませんから(ちくま文庫が出る10年くらい前の話になりましょうか)断られた時点でかなりがっかりして、当時の私は純粋(?)だったので、誤りが多々あることを根拠を挙げて示しながら、その訂正に積極的でない松谷氏に失望して、がっかりした訳です。当人がそんな按配なのに世話を焼く義理もありませんから、結局そのままにして、そして最近ぼちぼち検証してみて、少々勿体なかったような気分にさせられております。
 さて、北川氏の学年ですが、前回確認した現代民話考『学校』の「子どもたちの銃後」に【4】と【5】のズレからも、どちらかが間違いであると見当が付いた訳ですから、労を惜しまず確認するべきでした。私は【5】の「東京に敵機が最初に現れたのは国民学校六年生(昭和十七年)の時」と云う記憶が正しく、【4】の「昭和十六、七年頃」に「府立十三中(豊玉高校)を受験」の方は、試験内容が単行本312頁15行め~313頁3行め・文庫版367頁11~14行め、

‥‥試験は面接だけだっ|た。会場に【312】入ると配属将校一人とちょびひげの校長が座っていた。そばに砂と水をそれ|ぞれ入れたバケツがお/いてあり、質問はただひとつ「今ここに焼夷弾が落ちたら君はど|うするかね」「砂をかけます」「わ/かった、よろしい」で合格。‥‥


 こんな質問が出るのは、やはり昭和17年(1942)4月18日のドーリットル空襲より後であろう。そうするとやはり【5】「国民学校六年生(昭和十七年)の時」から、昭和18年(1943)に【4】旧制中学校入学の順としか思われないのである*1。(以下続稿)

*1:5月18日追記】2つとも【5】としていたのを訂正した。