瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

飯盒池(7)

松谷みよ子『現代民話考Ⅱ 軍隊』(3)
 一昨日からの続き。
 ここで、序説に当たる、単行本13~28頁・文庫版16~32頁「軍隊考」を見て置きましょう。
 松谷みよ子(1926.2.15~2015.2.28)は、下の娘(あけみ)が小学生のとき「戦争の話を聞いてくる宿題を出されたの」と言うのに応えて、「指が痛くなるほど」自分の「体験談を書きとらせたの」だが、娘に不満げに「おなかが空いて、空襲があって、爆弾が落ちて、みんな同じね。それだけなんだもん」と言われて愕然とする。そして「巨大な戦争というもののごく一部を、あたかも群盲が象を撫でるように、小さな私の体験だけを撫でさすっていただけなのだと、はたと気がつ」く。「子どもたちに戦争を語る人が、ともすると」自分「のように、被害者としての戦争を語る層だけに集中していたのではないか、ということに思い及」ぶのである。
 そこで「戦争を語り伝えるということは体験の範囲を越えてでもなされなくてはならないのだ」ということ「にも思い至った」松谷氏は「「現代の民話」として、証言としての戦争を集めること」を思い付き、単行本14頁8~16行め・文庫版17頁10行め~18頁2行め、

 勇を鼓してとりかかったのが、一九八二年の春であった。戦史、証言集などは膨大な|量にのぼ/る。そこから頂くことはなるべく避けて、聞書やアンケートによるお便りなど|にしぼった。「民話/の手帖」十一号、十三号にわけて掲載。更に今回再度、聞書やアン|ケートを続け、この一冊をまと/めさせて頂いた。巨大な軍隊、そして戦争の九牛の一毛|どころか、千万牛の一毛にも当らないかも/しれぬ一冊ではあるが、十五年戦争を中心と|した、日本の「軍隊」そして戦争というものの姿かた/ちが、浮かび上ってきたように思|う。
 ここには、非戦闘員であった私の、想像をはるかに絶する世界があった。生死の間を|【17】くぐりぬけ/てきた兵士たち*1の多くは、生き残った痛みと、くぐりぬけてきた地獄のあまり|のむごさに、唇を閉/していた。‥‥


 ここから、松谷氏の云う「民話」が、民間伝承説話の意味ではないことが分かると思うのですけれども、そのことについては既に論じた人もいますし、いづれ当ブログでも取り上げるつもりですから、今回は触れずに置くこととしましょう。
 そして、以下、松谷氏は具体的な話例を挙げながら軍隊そして戦争について述べるのだけれども、単行本17頁16行め・文庫版21頁9行め「日本帝国軍隊の残酷ないびり、しごきの話」を列挙し、その中で「鬱屈した兵のエネルギー」が「敵に向けられるのだと説く人もいる。」として南京虐殺に及ぶのです。そして、単行本18頁11行め~19頁8行め・文庫版22頁6行め~23頁4行め、

 川を埋めつくすほど死体が浮んだという証言は、その上を渡って向う岸へいけるほど、|という表/現になる。また同じ中国の蒙城では二百数十名の捕虜を池のほとりで首を切り、|死体は池に放り込/んだ。ためにこの池は血で真赤となり、以来血の池と呼ばれた……。
 これはまったく、伝説ではないか。
 白根山にはハンゴー池という池があると、かつて聞いたことがある。日本軍の軍律は|厳しく、武/器は勿論のこと飯を炊く飯盒までが天皇陛下のものであり、紛失することは|許されなかった。今回/集めたなかにも、馬を逃がして死を考え、銃をかくされて死を選|んだなどという話がいくつもあ/【18】る。ハンゴー池は飯盒を失くした兵が身を投げたところ|で、以来その池からは雨が降る日など、ハ/ンゴーハンゴーとさけぶ、陰々たる声がする|というのである。これも池にまつわる伝説であるが、/血の池とハンゴー池は何と表裏一|体をなしていることだろう。人間性を無残に破壊されつくした兵/たちは、上官の命令は|朕の命令と思えという軍律のなかでロボットのように虐殺に狩りたてられた/のだろうか。|【22】広い中国のあちこちに、血の池が、血の河が残され、語り継がれているのではないだ/ろ|うか。ヒロシマの銀行の階段に、原爆の閃光が人間の影を焼きつけた話は有名である。|そのよう/に日本軍は多くの残酷な伝説を残してきたに違いない。私たちはそのことを知|らねばならないし、/伝えねばならない。

と、――要するに、ハンゴー池の話は捕虜虐殺の血の池の話と「池」繋がりの「伝説」として、南京大虐殺などの日本軍の蛮行の背景、根っこの部分として位置付けられているのです。ところで「銃を隠されて死を選んだなどという話」については3月26日付(6)にて確認しましたが、3月25日付(5)に見たように、単行本では〔6〕〔7〕〔8〕の3例ありましたが文庫版では〔7〕〔8〕が削除されて〔6〕だけにされてしまいましたから「いくつもある」とするには、少々説得力を欠いてしまっています。
 それはともかく、この記述によって、場所も定かでないハンゴー池の話は、3月24日付(4)【A】にて見当を付けたように、松谷氏が恐らく疎開中に耳にした話で、すなわち本書が典拠(原話)であることがはっきりするのです。(以下続稿)

*1:文庫版「兵士達」。