瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

赤いマント(224)

・北川幸比古の学年(3)
 3月4日付(223)の続き。
 私は北川氏の生年月日、昭和5年(1930)10月10日と、2013年10月24日付(003)以来度々指摘して来た赤マント流言の時期、すなわち昭和14年(1939)2月と、2月21日付(222)に引いた松谷みよ子『現代民話考[第二期]II 学校〈笑いと怪談/子供たちの銃後・学童疎開・学徒動員〉の「子どもたちの銃後」に見える北川氏の談話にドーリットル空襲を「国民学校六年生(昭和十七年)」としているところから*1、北川氏は学齢に達した昭和12年(1937)4月に東京市大久保尋常高等小学校に入学(昭和13年4月に高等科を廃止して東京市大久保尋常小学校に、昭和16年4月に東京市大久保国民学校に改称)、昭和18年(1943)3月に卒業していると考えました。
 しかし、小学校はそれで良いとして、その後の経歴を見ると、どうも齟齬するようなのです。
 尤も、2013年10月24日付(003)、そして2月21日付(222)及び3月4日付(223)に否定した1~2学年上であるような記述の方が、実は正しかった、と云う、これまでの私の見当を覆すような齟齬の仕方ではありません。そうではなく、どうも、1学年下に、旧制中学及び新制高校以降は、在籍していたらしく思われるのです。
 すなわち、Wikipedia「北川幸比古」項に、「現在の東京都立豊多摩高等学校[1]に通い、谷川俊太郎とは同級であった[2]。」とあるのですが、谷川俊太郎(1931.12.15生)は1歳下です。谷川氏も学制改革を経て旧制中学に入学して新制高校を卒業していますが、それは、マガジンハウスHPの「BRUTUS」のページの Special Contents「15人のレジェンド年表。」抜萃、「LEGEND 2 谷川俊太郎」の冒頭に、

詩人
1931年、東京都杉並区生まれ。

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1945 (終戦。)
1948 高校在学中に、詩の創作や発表を始める。
1950 高校卒業。文芸誌『文學界』に「ネロ他五篇」が掲載され、詩人としてデビュー。
1952 初の詩集『二十億光年の孤独』を刊行。以降、詩と並行して作詞や脚本、エッセイの執筆、評論活動を始める。

とあって昭和25年(1950)3月卒業、昭和19年(1944)4月入学、途中で学制改革があって結局6年在籍して卒業、と云うのは勘定が合います。
 しかしながら、Wikipedia谷川俊太郎」項には特に断っていないのですが、Wikipedia「東京都立豊多摩高等学校」項などに拠ると谷川氏は「定時制出身」とのことで、或いは北川氏も、休学など何らかの事情で1年原級留置(留年)になり、定時制に移って同じく定時制に転じた谷川氏と同級になったのでしょうか*2。――普通、定時制は4年制だが、学生改革期や全日制からの転校者がどのような扱いになったのか、その辺りは結局、谷川氏や北川氏の個人的な閲歴をもう少し詳しく述べたものを見るしかなさそうですが、目下、そう云った調べ物をする余裕がありません。(以下続稿)

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 昨日・今日、朝、目が覚めると肩が出ていた。毎年、春は蒲団が暑くて知らぬ間にまくってしまい、それで肩を出して風邪を引く、と云うパターンで来ていたので、数年前から肩当てを着て寝ていたのだが、最近、調子が良いのでうっかりしていた。
 いや、良くはない。花粉症で左の鼻腔は半分が瘡蓋で、仰向けに寝ると鼾をかくので最近、横を向いて寝ることにしていた。
 肩当てをしなくなったのは、敷布団と掛布団をタオルケットで巻いて、まくれないようにしたら上手く行ったからだった。しかし横を向いて寝るとどうしてもタオルケットが外れてしまう。これまでは寒かったからタオルケットが外れても蒲団をまくらなかったが、本当にうっかりしていた。
 今日は曇っているので、少々の外出にはマスクをせずに出たのだが、どうも具合が悪い。
 いや、どうも胸郭に変な圧迫感があるような気がする。ここしばらく横を向いて寝ているせいかも知れない。いや、毎年花粉症のせいでこんな風だったかも知れない。コロナウィルス? かも知れないが、もう20日以上こんな按配で、咳も出ないし熱も、先日胃カメラの際に熱っぽいような気がしていたのだが 36.3℃だったから、関係ないらしい。
 しかし、しばらく放置していた Twitter で、ここのところ鈴木則文監督映画『ドカベン』について Tweet していたのだが、その撮影をしていた東映東京撮影所で感染者が出たために封鎖されたと云う。TVはもう再放送を流し続ければ良いのではないか。現在撮影中のドラマは適当なところで切り上げるべきかも知れない。その代わりに、25年振りに「文學ト云フ事」でも流してもらえないだろうか。

*1:5月18日追記】ドーリットル空襲が当時の東京の住民に与えた衝撃については、5月9日付「同盟通信社調査部 編『國際宣傳戦』(06)」に取り上げた内海紀雄「一通信社記者の「昭和」~その軌跡を手紙と日記に見る(Ⅷ)/東京初空襲の「謎」と「心配」―戦局転換へ」(「メディア展望」第588号)に、触れるところがある。

*2:それともこの「同級」は「同じ学級」の意味ではなく「同学年」と云うことでしょうか。それなら北川氏を定時制の生徒と考えなくて良くなります。