瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

赤いマント(230)

・岩崎京子の赤マント(5)
 昨日の続きで、石井正己 編『昔話を語る女性たち』掲載の岩崎京子「『かさこじぞう』の誕生」から、岩崎氏が幼少時に住んでいた場所について述べた箇所を見て行きましょう。125頁12行め~126頁10行め、

 私は、生まれたのは巣鴨(豊島区)でしたが、学齢直前に世田谷区経堂、当時は東京府下荏原/郡経堂在家という地番でしたが、にひっこしました。*1
 小田急電鉄経堂駅の裏に福昌寺というお寺がありました。そこは地区のみんなの集まる所でし/【125】た。おじいさん、おばあさんは月一回御住職から地獄極楽の法話を聞きに行き、お父さんは町の/相談もお寺でし、お母さんは婦人会、若者たちは青年会、子どもは日曜学校でした。そこに行か/ない子も境内で遊びました。つまり福昌寺はコミュニティセンターでした。
 境内の広い所は男の子が占拠し、野球やドッジボール、陣取りをし、女の子やこまかいのは「邪/魔だ、邪魔だ」と追い払われました。
 そこで私たちは山門から本堂に行く石だたみで遊びました。おはじき、お手玉、まりつき、な/わとび……。
 その横で六人の地蔵さまがにこにこ見ていました。私たちはその地蔵さまにすっかりなついて、/一緒に遊びに入ってもらいました。
 例えばなわとびのお持ちをして、といっても地蔵さまの首にゴムひもをひっかけただけですが。


 福昌寺は小田急電鉄開通前から現在まで、同じ場所(現、東京都世田谷区経堂1丁目22番1号)に存しています。小田急電鉄小田原線経堂駅のすぐ南です。福昌寺及び経堂在家村の歴史については Wikipedia「福昌寺 (世田谷区)」項が充実しています。
 さて、現在、東京都世田谷区経堂の小学校学区は、現在1・4・5丁目が桜丘小学校、2・3丁目が経堂小学校ですが、経堂小学校は岩崎氏の恵泉女学園在学中の創立(昭和16年1月)ですので、当時は全域が第二桜尋常小学校(桜丘小学校)の学区だったと思われます。福昌寺を「駅の裏」と云っていますから、岩崎氏は駅の北側、現在の経堂2丁目か、3丁目辺りに住んでいたのではないかと思われます。
 世田谷区立桜丘小学校の歴史ですが、「世田谷区立桜丘小学校」HPの「学校概要>学校長挨拶」、これはこの4月に着任したばかりの平松有理子校長の着任挨拶ですが、その中に「本校は大正9年に桜尋常高等小学校(現:桜小学校)の分教場として開校しました。そして、昭和5年4月正式に開校し、今年で90周年を迎え、秋には記念式典を予定しています。‥‥」とあります。
 そこで「世田谷区立桜小学校」HPを見ますと、学校概要・学校評価>沿革「139年の歩み」に、明治「25.」年(1892)条に「高等科併設 校名変更/「東京府荏原郡世田谷村立尋常高等小学校」」とあり、大正11.9月条に「横根分教場開設(現在の桜丘小学校のはじめ)」とあり、同「12.4」月条に「校名変更「東京府荏原郡世田谷町立尋常高等小学校」」そして昭和「5.4.1」日条に「「横根分教場独立第二桜尋常小学校」となる(桜丘小学校)」とあります(半角鉤括弧開きは「独立」と「第二」の間に入るべき)とあります。
 すなわち、桜丘小学校は大正9年(1920)分教場開校、昭和5年(1930)開校、そして今年90周年、としているのですが、桜小学校の方では横根分教場開設を大正11年(1922)9月としていて、2年の違いがあるのです。それはともかく、岩崎氏は昭和4年(1929)入学であれば東京府荏原郡世田谷町立尋常高等小学校横根分教場に、昭和5年(1930)であれば第二桜尋常小学校に(名前が違うだけで同じ学校ですが)入学したことになります。
 私は桜丘小学校や経堂の辺りには行ったことがないのですが、平成初年、私が2018年6月30日付「三軒茶屋の思ひ出(2)」に述べたように通学に世田谷線を使っていた頃、世田谷区立中央図書館に通うために上町駅で下車して、ついでに周辺も歩き回っていたのですけれども、桜小学校の脇も何度も通ったものです。校庭の大木が印象的でしたが、今回初めて Wikipedia「桜小学校のオオアカガシ」により詳しいことを知りました。(以下続稿)

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 東京都の休業要請に図書館も入ったので、昨日の時点で完全休館しない方向だった某区立図書館も完全休館に踏み切った。2冊しか借りていないので10冊予約を入れて自転車で返しに行こうかと思っていたのだが行かなくて良くなった。身体はなまりそうだが。
 先日来、昼に庭の三つ葉を少しずつちぎって食べている。今日は繁縷を摘んで湯がいて食べた。これまで、背黄青鸚哥の大の好物だったので、鸚哥用にして私ら人間は食べなかったのだが、その鸚哥も2019年6月2日付「睡眠不足(4)」に述べたように2018年8月10日を最後に、飼っていない。昨年は放置して、青虫が食べるに任せていた。鸚哥にしても食べきれないのだが、青虫はあっと云う間に食い尽くしてしまう。
 鸚哥たちは花が咲いた後に出来る種が特に好きだった。人間には 0.2mmばかりの種の味なんか分からないから、盥で水洗いして、底に溜まった種を洗い水ごと庭に撒く。また芽を出してもらわないと寂しい。沢山食べるようなものでもないが、まだ、全て湯がいても丼に3杯分になるくらいは生えているから、これからも、青虫が湧くまでは続けようと思っている。
 しかし、本当に布マスク2枚を466億円掛けて配布するそうだ。頭が働かないのは分かっていたが、ここまでだとは思わなかった。いや、あの方のことではない。与党の政治家と、官僚が、だ。――誤りを認めない、既に決めたことを改めない。今、どういう時期にあるのか全く分かっていない。首相案件を身を挺して止めるような者は自民党にはいないだろうから、公明党に若干期待したのだけれども。

*1:ルビ「えばら/」。