瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

赤いマント(237)

・岩崎京子の赤マント(12)
 今回は【B】赤マント流言の内容の、①『紫ババアレストラン』にのみに見える説明を、昨日から続けて確認して行くこととしましょう。
 女の子の生き肝、と云うと上方落語「肝潰し」を思い出しますが、2013年11月20日付(030)に見た「中央公論昭和14年4月号掲載の大宅壮一「「赤マント」社會學 活字ヂャーナリズムへの抗議」に見えていました。
 天然痘の患者ですが、2013年12月2日付(42)に見た、昭和14年2月25日付(24日正午版)「報知新聞」の記事「赤マントの正体?」、2018年9月3日付(161)に見た「経済雑誌ダイヤモンド」昭和14年3月1日号掲載の近藤操「赤マント事件の示唆」、2013年11月20日付(030)及び2013年11月21日付(031)に見た大宅壮一「「赤マント」社會學 活字ヂャーナリズムへの抗議」に見えていますが、癩病患者とする説の方が当時は優勢でした。これは、岩崎氏が天然痘説を耳にしていたのかも知れませんし、流石に扱えないと考えて癩病を外したのかも知れません。
 大宅氏の文章は、2014年11月3日付(141)に触れたように、scopedogのブログ「誰かの妄想・はてな版2014-10-26「赤マントは復活するか」に引用されている、「20世紀の歴史」という雑誌の「Vol.89 日中戦争2」(1975年11月5日発行)に掲載された「「赤マント」の怪」という記事のベースとして使用されており「生胆」や「天然痘」にも触れるところがあります。そして全文は2016年8月2日付(152)に書影を貼付した小沢信男 編『犯罪百話 昭和篇』に収録されております。
 明治の頃、新聞にも出た福岡の話、と云うのはチェーンメールに由来するようです。私はこの類のメールをもらった記憶がありません。
 その内容ですが、marici(マリーチ・男性・1979生)のサイト「Deep Dungeon 2.1」の怖いうわさ(都市伝説)コンテンツ「うわごとのとなり」によって判明します。このサイトは、そのリンク先がほぼリンク切れになっている中で、今も偉観を誇っている数少ない貴重な存在なのですが、多くの怪異談が分類されて紹介されている下に、「PICK UP」として日付入りで論評記事が纏めてあります。そのうち「ネットロア考」として
「ネットロア考1/幸福のメール 2003.02.22」から「ネットロア考9/さようなら、ひきこさん 2005.01.09」まで9題、その「ネットロア考4」が「紅いマントと赤マント 2003.04.18」です。――これまで、ネット情報は取り上げずに置いたのですけれども、これを機会に考察部分に見える赤マント流言に関する記述についても、適宜必要に応じて取り上げて検討することとしたいと思います。今回は、marici 氏の引くチェーンメールの本文を引いて置きましょう*1

 紅いマント
 
これはその人が信じるかどうかによって結果が変わるものです。この話は1904年2月9日にあった日露戦争の時に起こった事件の事です。この時代の子供たちは、日本軍の着ていた紅いマントがとても気にいっていました。要するにすべての子供がこの紅いマントを持っていたということです。しかし、福岡県筑紫野市高雄3丁目4114番地に住んでいた、矢島剛はこのマントを持っていませんでした。彼の家は貧しくマントを作って貰えませんでした。そんなある日のこと彼が学校の近くにあるトイレに入った時彼はいつも彼をイジメている子供達にそのトイレに閉じ込められました。そして、その時周りにいたイジメっ子達がこう言いました「あーかいまんとはいーらんか。」「紅いマントはいーらんか。」と、これに剛君はたえかねて自分の背中を持っていたカッターで挿し自害しました。そして1時間ぐらいしてドアをあけるとそこには血で染まった紅い紅いマントを着た剛君が死んでいたそうです。
時は流れ、あれから95年経った今こっちの世界に剛君が来ています。もし貴方がトイレに入った時「紅いマントはいらんか。」「ア カ イ 卍 斗 ハ イ ラ ン カ」と、聞こえた時、あなたがこの話を信じているのなら助かるでしょう。しかし、信じていないのなら貴方は剛君とお揃いのマントを着ることになるでしょう。そう、血に染まった紅い紅いマントを。もし、信じているのならそれを証明して下さい。12時間以内に5人の友達にこのメールを送りなさい。でもきっと貴方は送らないでしょう。しかしそれはそれでいいでしょう。だってそうしたら僕と会えるんだもん。でも、一つ悲しい事があるんだ。それはね、それはね、貴方を殺さなくちゃいけないこと 「フフフフフフフフフ」ねぇ、聞こえるでしょ?僕の悲しみの声が  「紅いマントはいーらんか。」ほらほら聞こえてくるでしょ?ドンドン大きくなってくるよ。「ア カ イ マ ン ト ハ イ ラ ン カ」聞こえた ?聞こえなかったのぉ。まぁいいや。聞こえなかったのなら今度トイレで会ったときにキカセテアゲル。楽しみに待っててね。そして、お揃いのマント着ようね。どんなマントがいい ?紅いのがいいよね。ア カ イ ノ ガ。しかも、紅いあかーい血のついたやつ 要するに貴方の血。心配しなくても大丈夫だよ、痛くないように殺してあげる


 時期ですが marici 氏がこの記事を執筆した平成15年(2003)4月以前、明治37年(1904)から「95年経った今」とありますから平成11年(1999)と云うことになります。
 内容については marici 氏が詳細な分析をしておりますので、そちらを参照下さい。また、朝里樹『日本現代怪異事典』21頁中段13行め~22頁上段11行めにも「紅いマント」として立項されており、出て来る住所が実在しないことなど、簡単なコメントがあります。出典を記していませんが500~492頁「参考資料」の【WEBサイト】の7番め、493頁8行めに「「ディープダンジョン 2.1 うわごとのとなり」http://www5d.biglobe.ne.jp/DD2/Rumor/ul.htm」とありますので、この記事に拠ったと見て間違いないでしょう。
 さて、岩崎氏が何に拠ったのか、チェーンメールであれば marici 氏以外にも受信している人がいる訳で、日本民話の会を母体にしていると思しき「怪談レストラン編集委員会」の誰かが、岩崎氏に提供したのかも知れません。そして、このチェーンメールについて書いていることで、①『紫ババアレストラン』の【B】の内容が、自身の体験に基づかないものまで混ぜてしまっていることを暴露しております。と同時に、天然痘や生き肝についても、当時岩崎氏が聞いていた内容なのかどうか、疑念を抱かせられます。いえ、②③に記載がないところからすると、これらもやはり『紫ババアレストラン』への寄稿に際して別の資料から取り入れたものと判断すべきなのでしょう。(以下続稿)

*1:「ディープ・ダンジョンVer2.1」で見てもらうべきなのですけれども、最近 Yahoo! のサービス停止で多くのサイトが閲覧不能になったこともあるので、念のため引用することとしました。