瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

同盟通信社調査部 編『國際宣傳戦』(4)

 一昨日からの続きで、新聞通信調査会HP「メディア展望総目次(年)」から、内海紀雄「一通信社記者の「昭和」~その軌跡を手紙と日記に見る」の(Ⅳ)を見て置きましょう。要領は5月5日付(2)に同じ。
・第584号(平成22年9月1日発行・40頁)14~16頁「戦時体制下に「同盟」調査部門を拡充」(Ⅳ)
 昭和14年(1939)10月20日に China に再度出張、北京、上海、徐州、済南、蘇州、南京、大同、青島を回る。
 14頁上段12行め、1節め「総動員時代のキーワード「調査」」1ヶ月後帰国、古野社長より調査部拡大を命じられる。昭和15年(1940)10月、調査局新設、部長を兼務する調査部と出版部が、情報部、特信部とともに入る。下段14行め、2節め「「生れて初めての苦闘」とは?昭和15年4月1日「同報無線電報規則」公布(5月1日から全国29ヶ所で実施)に関与か。15頁上段左に写真2つ「大平安孝・同盟南京支局長(左)と坂田二郎・同支局記者(右)(昭和14年11月、中国・南京で父撮影)」。中段26行め、3節め「独、伊首脳に新年メッセージを要請」、「新聞休刊日に鬼怒川温泉に遊ぶ(昭和15年10月17日)。右から村田為五郎、内海朝次郎」本文には記述なし。
 そして16頁上段14行め、4節めが「『国際宣伝戦』を編集出版」です。前半の本書に関する箇所を抜いて置きましょう。

 三国同盟調印直前の九月十八日付で、同盟調査/部編『国際宣伝戦』が高山書院(元聯合政治部記/者の高山金一氏が創業)から刊行された。当時の/部員吉田哲次郎氏によると、「内海さんが部員を/集めて『戦争で国際的な宣伝戦がいかに重要か、/という本を出す』と言われ、私も分担して書い/た」。父が巻頭に書いた 「編者の言葉」を見よう。
 
 「支那事変、欧州大戦、と引続く歴史上の大事/件のために(中略)世界の各地から洪水のように/通信が押寄せて、絶え間がない。この恐ろしい言/葉の渦流の中に、じっと坐*1って日夜、真実と虚偽/を選*2り分けることを職業としてみると、私達に/は、宣伝ということが、最後の日までの、憎らし/【16上】い敵のように見えてくる。(中略)これらの恐る/可*3き言葉が、どんな機構を通じて、誰が考え出し/て、生れて来るのかということに目を向けた」
 
 各国の宣伝戦と宣伝体制の紹介にページを割い/ているが、日本に関しては、「英米」や「支那側」 /の宣伝攻勢に対抗する必要性が強調されている。
 本書には「歴史的潮流の転換」期にあって、/「新聞と新聞人の思想そのものの再編成」に直面/しているとの認識が濃厚だ。それは「自由主義的/な言論批判性」の清算を意味する。朝日論説委員/の笠信太郎氏が十四年に著した『日本経済の再編/成』以来、ブームになった「再編成」という時流/に合った本である。‥‥


 「編者の言葉」は5月4日付(1)に全文を引いて置きましたが、こちらは表記を改めてあります。
 高山金一の高山書院は、国立国会図書館サーチ・国立国会図書館デジタルコレクションで検索すると昭和12年(1937)から、まづ国際問題に関する出版活動*4を始め、やがて文学にも進出して、昭和15年(1940)には田中英光『オリムポスの果實』を刊行しております。2014年10月11日付「田中英光『オリムポスの果實』(05)」の後半に触れたように、私は当ブログを始める前に既に高山書院版『オリムポスの果實』を閲覧してメモを取っていたのですが、そのままになってしまいました。それはともかく、昭和12年(1937)に多数刊行されているうちのどれが一番最初の出版物だか、突き止めておりませんが所在地・電話等は「東京都神田區小川町二丁目十番地」で「電話神田八一〇番 振替東京八三八九三番」、これは戦後、国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧出来るもののうちでは最も新しい(と思われる)横山定雄『われわれの都市と農村(若い人の文化叢書)』(昭和二十四年十一月十日印刷・昭和二十四年十一月十五日發行・定價一五〇圓・3+4+211頁)では「東京都千代田區神田小川町二ノ十」で「電話神田(25)〇八一〇番/振替東京八八〇〇〇番」です。ちなみに印刷者の加室正義の住所「東京都江東區深川三好町二ノ二」にも、4月29日付「森川直司『裏町の唄』(29)」との関連で注意して置くことにします。その後、昭和26年(1951)まで途切れることなく出版物を出し続けているのですが、ここで一旦途切れて、昭和30年(1955)に「タヌキ・ブックス」及び「高山新書」と云うシリーズを刊行し始めます。
 タヌキ・ブックスの1冊として松本清張の短篇集『西郷札』(昭和三十年十一月三十一日発行・定価一二〇円)が出ており、オークションサイトで奥付の画像を見ることが出来ます(いつまでリンクがあるか分からないので貼付しません)が、発行社は「高山星応」、発行所は「〈株式/会社〉 東京 高山書院」で所在地と電話は「東京都文京区白山御殿町九七/電話小石川(92)八〇七六番」です。版元名は表紙「東京 高 山 書 院 刊」扉「東京 高 山 書 院」と「東京」を冠していることも気になります。この高山星応の「東京 高山書院」と、昭和12年(1937)から恐らく昭和26年(1951)までの高山金一の「高山書院」とは、関係があるのでしょうか、それとも無関係でしょうか。
 吉田哲次郎(1990歿)は昭和16年(1941)にバーナム・フイニイ米國國防計畫の全貌』(汎洋社)を翻訳、昭和17年(1942)に「中央公論」、昭和18年(1943)には「同盟世界週報」にセレベス島についてのレポートを書いたりしております。戦後は時事通信社に移ったようで「世界週報」「時事通信」「中央公論」にインドについて寄稿、小学館の「中学生活」に「世界の焦点」を連載しています。著書としては、新聞通信調査会シリーズ no.7『アジア通信網の確立』(昭和43年・新聞通信調査会)、『インド覚書』(昭和59年・自刊)があります。
 16頁中段24行め、5節め「栗林社会部長が俳句弾圧事件で検挙」同盟通信の栗林農夫社会部長は俳人・栗林一石路(1894.10.14~1961.5.25)、昭和16年2月5日に治安維持法違反の容疑で逮捕。(以下続稿)

*1:ルビ「すわ」。

*2:ルビ「よ」。

*3:ルビ「べ」。

*4:秋田県立図書館のソビエト研究会 編『ソビエトの日本研究』が昭和2年(1927)刊、となっていますが、これは昭和12年(1937)刊のソヴエート研究会 編『ソ聨の日本研究』の誤記のようです。同じく昭和6年(1931)刊と云うことになっている深谷博治『華士族秩祿處分の研究』、ジョセフ・コンラッド/米窪満亮 訳『ナアシッサス号の黒奴』も、昭和16年(1941)刊の誤りらしく、香川県立図書館の豊沢豊雄・進藤義明『久米栄左衛門』も昭和8年(1933)刊ではなく昭和18年(1943)刊、岩淵辰雄『対支外交史論』も昭和11年(1936)刊ではなく昭和21年(1946)刊、――もちろん原本に当たっていませんが、どうやら昭和12年(1937)より前とするデータはいづれも10年ズレており、昭和を西暦に換算する際に(機械的に)間違ったのではないか、と思われるのです。国立国会図書館はこういった誤りを早急に補正するべきです。