瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

同盟通信社調査部 編『國際宣傳戦』(6)

 昨日の続きで、新聞通信調査会HP「メディア展望総目次(年)」から、内海紀雄「一通信社記者の「昭和」~その軌跡を手紙と日記に見る」の(Ⅷ)から見て行きましょう。要領は5月5日付(2)に同じ。
・第588号平成23年1月1日発行・32頁)17~19頁「東京初空襲の「謎」と「心配」―戦局転換へ」(Ⅷ)
 17頁上段1行め、1節め「新橋駅で高射砲の音と火の手昭和18年(1943)4月18日・21日の日記に見える、昭和17年(1942)4月18日ドーリットル空襲の回想。中段9行め、2節め「米軍機の径路と性能は?昭和17年4月24日付浅野豊宛書簡。18頁上段11行め、3節め「「物資が続かず勝てない」と断言昭和17年7月下旬、体調を崩し郷里で約1ヶ月静養。小倉在住の従兄平山源一郎(1888~1975)を訪ね戦局を語る。帰京の途次、台風のため福岡で下車、病気のため物資不足の東京ではなく福岡勤務を希望するが却下(昭和17年9月11日付浅野豊宛書簡)。9月21日、同盟通信の機構改革で企画局(新設)の審査部長(新設)兼資料部長になる。同郷の後輩阿野勝太郎(1908~1942.9.5)の戦死。上段左に写真「佐藤(喜一郎・社会部長)、山崎(義人・庶務部長)、村田(為五郎・解説部長)、萩野(伊八・政経部長)の各氏の名前を挙げながら浅野豊氏の本社帰還を待望する巻き紙の手紙=昭和17年10月6日付」。下段中左に写真「審査兼資料部長の頃の内海朝次郎」背広姿、胸から上。左に写真「大森・馬込の住まい(電柱右の二階建て)。戦前はまだ電話が珍しく、近所の家々が借りに来た=昭和30年代撮影」。19頁上段6行め、4節め「急速に伸びる米軍需生産昭和17年は11~12月の断片的な日記が残る。11月6日・21日条を引く。中段9行め、5節め「入院、部長の職を退く昭和18年(1943)1月から3ヶ月、入院して結核の免疫療法を受ける。2月初めの機構改革で編集局参事となる。日記2月4日条。中段26行め、6節め「平氏が編集局長、松本氏は海外局長に」入院中の日記に見える見舞客。
・第589号平成23年2月1日発行・36頁)22~24頁「日本出版社構想の挫折と横浜事件」(Ⅸ)
 東京で静養中の日記、昭和18年(1943)9月17日条。22頁上段19行め、1節め「日本出版社」の設立構想」古野伊之助同盟通信社長の構想。下段24行め、2節め「父の同盟出版部拡充計画のメモ」榛原製の便箋のメモ。23頁上段23行め、3節め「設立推進に動いた父昭和18年9月の日記に放送協会の実力者訪問。郷里での日記・昭和19年(1944)12月15日条、細川事件(横浜事件)で、社団法人「日本出版社」構想の同盟通信に集められた人材の検挙について記す。下段25行め、4節め「留守宅に給料を送り続けた古野社長昭和19年12月20日(受信?)浅野豊書簡。24頁上段27行め、5節め「出獄の栗林一石路と再会」日記の昭和18年4月20日条、同盟通信調査部嘱託の俳人・小沢武二(1896.12.5~1966.3.29)来訪、俳句を見てもらい、俳句弾圧事件で栗林一石路とともに投獄されていた橋本夢道(1903.4.11~1974.10.9)の保釈出獄を知る。5月に保釈出獄した栗林一石路は7月6日に来訪。中段左に写真「横浜事件」で父の元部下が検挙されたことを伝えてきた元同盟調査部次長の植松尚男氏」下段左に写真「日本出版社」の件で動いたことを示す昭和18年9月17日の父の日記。日本放送協会を訪ねている。
・第590号平成23年3月1日発行・40頁)22~24頁「戦局悪化に「我ら覚悟を要する時」と記す」(Ⅹ)
 22頁上段1行め、1節め「続く撤退と玉砕」、2~3行め、

 昭和十八年は日記がほぼ残っている。三年目に/入った戦争に関する記述を抜き出してみた。

として、1行分空けて2月3日・10日・14日・4月25日・5月28日・30日・6月5日条を抄録。
 中段15行め、2節め「ドイツ軍敗北、イタリア降伏」、16~17行め、

 退院後の父は自宅静養を続け、同僚・友人から/戦況の情報を入手している。‥‥

として、続けて日記の抄録。6月23日・7月11日条に浅野豊来訪。9月11日条に日本放送協会報道部長高橋武治訪問。7月7日・27日・8月2日・12日・9月10日条。
 下段26行め、3節め「「祖国」の運命と一体化」5月29日・4月16日条。23頁中段10行め、4節め「戦争を論理的には肯定?」6月5日条、中段左に写真「「伊太利 米英へ無条件降伏」「日本の困難も加重」と記した昭和18年9月9日の父の日記」。24頁上段8行め、5節め「蔵書に京都学派の文献」。中段15行め、6節め「秘め続けていた批判精神」2月16日・3月17日・4月21日条。「刊行されたばかりの伊藤/正徳著『新聞五十年史』の読後感」。(以下続稿)