瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

周防正行『シコふんじゃった。』(6)

 何故『シコふんじゃった。』を思い出したかと云うと、4月13日(月)の晩からしばらく、2014年11月30日付(2)へのアクセスが増えたので、何事かと思ったら、21:00~22:45にBSプレミアム斎藤道三関連番組(?)として放送されていたのだった。気付いていなかったし、気付いていても私の家は衛星放送を見られる環境にない。しかしそれで思い出して、Amazon prime の会員特典に入っていることは知っていたから、久し振りに眺めて見たのである。
 そして、おおたか静流「林檎の木の下で」が流れるエンドロールを眺めながら文芸坐の少々窮屈な座席を立ち去りがたく満足感に浸っていたことを、Amazon prime で視聴しながら思い出したのである。後日、見るよう勧め、文芸坐に掛かっていることを教えてくれた友人と、煙脂臭いサークルBOXで良かったところを語り合ったことも。
 私は、バブル期に高校生で良い思いもしなかったし(父は大阪でかなり良い思いをしたようだが)当時 Stay Home と云われても然して苦にもならなかったろうと思われるくらい人付合いをしていなくて、美術館に行くとか映画を観るなどの金が掛かるような道楽もまるでしていなかったから、当時も今も本業以外は然して暮し振りは変わらない。しかし、本業が大学の学部生だった当時の方が気楽だったことは勿論である。
 いや、本当に気楽だった。そして、阪神大震災よりも前だったから、地上げされたままバブル崩壊で放置されたような空地もあったけれども、東京の街にも古い建物がまだまだ残っていた。2019年12月5日付「芥川龍之介旧居跡(16)」や2019年12月9日付「芥川龍之介旧居跡(20)」等に述べたように、意外に緑も多くて、自然と時間と人間の営為の積重なりが愛おしかった。
 以下、映画の時間経過は Amazon prime に拠る。

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 00:03:20~04:14、山本秋平(本木雅弘)が「比較文化研究室」に穴山冬吉教授(柄本明)を訪ねたとき、教授は院生の川村夏子(清水美砂、現「美沙」)と部屋の掃除をしている。そこでフェイントを掛け、山本秋平が自分の顔も名前(と云うか性別)も知らないことを見抜くのである。
 その室内には黄色い表紙で分厚い、しかも3分冊の『タウンページ』が積んである。当時は携帯電話は殆ど普及していなかったから、ほぼ全ての家に固定電話があり、その殆どの家が電話帳に電話番号を載せていた。NTTの支店に全国の電話帳が閲覧出来る無料の閲覧室があって、私も特殊な図書館の所在地・連絡先を調べるのに利用したことがある。教授の椅子の後ろには「鬼頭鍋三郎展」の横長のポスターが張ってある。名古屋の洋画家・鬼頭鍋三郎(1899.6.18~1982.6.14)展の期間と場所はネットでは俄に分からないが、図録は平成3年(1991)8月に刊行されている。

 図録の表紙は舞妓だがポスターの写真は「二人のバレリーナ」である。
 ちなみに、2017年4月17日付(5)に山本秋平の入部を平成3年(1991)6月7日(金)としてしまったのだが、これは失考であった。田中豊作(田口浩正)を勧誘する直前に、山本秋平が青木富夫(竹中直人)に、00:13:44~49「潰したくなくて勧誘に来てるんでしょ。もう3日もこうしてるだけじゃないですか」と言っているから、山本秋平が穴山教授から卒業と引き換えに相撲部に一時的に入部して近日中に行われる試合に出るよう言われたのは、6月5日(水)と云うことになる。5日、6日、7日で「もう3日も」と云う勘定だ。
 これは、川村夏子の服装からも裏付けられる。山本秋平が入部した日には黒の半袖だったのが、弟の山本春雄(宝井誠明)を勧誘しようと目を付けたときには白の長袖を着ている。春雄を相撲部の部室に連れて来たときには同じ服装で袖をまくっている。すなわち、前者(00:02:05~10:56)が5日(水)で、後者(00:10:57~17:23)が1日置いて7日(金)と云うことになる。
 それはともかくとして、鬼頭鍋三郎展に話を戻すと、8月開催の展覧会の丁度2ヶ月前に当たっている訳で、告知の時機として良い按配のように思われるのである。(以下続稿)