瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

周防正行『シコふんじゃった。』(10)

 昨日の続きで、「立教大学体育会相撲部」HP「周防正行さん特別インタビュー」で語らえている内容について。
 前回紹介したように、仮に番号を附した①②③の順になっているが、実は②①(周防正行)の順に収録され、さらに③(桝井省志)が収録されたようだ。当然のことながら、①②はかなり重なっている。そのまま文字起しする訳にも行かないので、適宜纏めて整理して置くことにする。全ての内容を書き起こした訳ではない。

・相撲部の存在を知らなかった学生時代
 在学中は相撲部の存在も知らなかった。
・学生時代から映画界へ
 好きな授業にしか出ず、池袋駅のすぐそばのジャズ喫茶で午後5時から11時まで3年間アルバイト、卒業の年にピンク映画の助監督になったので、就職決まったことを教授に報告しに行き、親のために卒業しようかと思っていると言ったら、少人数で、授業を受けていない学生みんなの顔と名前が一致しているような仏文科の教授たちは優しくて、じゃこういうレポートを書けば、と試験も免除で卒業させてくれた。
 助監督として同級生の女の子にエキストラを頼もうと電話をしたら、母親が「今日は卒業式で」と言うので初めて卒業式を知り、春になってから証書を取りに行った。
・ピンク映画から『ファンシイダンス』そして次の企画へ
 小津安二郎へのオマージュ『変態家族 兄貴の嫁さん』が蓮実重彦に褒められ、それが伊丹十三マルサの女』メイキングに繋がり、そこから映画関係者に知られるようになって、当時独立前で大映にいた桝井に何か映画を、と言われて企画を出して通ったのが『ファンシイダンス』、次も一緒にやりましょうと云うことで、『ファンシイダンス』で本木さんが良かったので、彼で何か出来ないかなと思ったとき、本木雅弘さん主演で相撲って言うのもあるんじゃないか。大相撲の新弟子検査に本木さんが通って、どうやって修行して行くか、そういう映画もあるかな。しかし本木さんが相撲取りになる、っていうリアリティは、なんとか作れても、回りにいる先輩たち、大きな人たちがいるわけですよね、兄弟子から稽古付けてもらうとか。そういうときに、そんな大きな役者さんたちを集めて、相撲取りをいっぱい作れるかったら、それは無理だ。じゃ実際に相撲経験のある人に演じてもらうかっていうと、それは演技が難しいだろうと。やっぱ相撲というのは出来ない世界かな、と思ったときに、学生相撲の、日大のようにセミプロではなくて、一般学生が取っているクラスがあるというのを知ったんですよ。その中になんと立教大学相撲部が、いつも部員集めに苦労して、他のクラブから助っ人を呼んでは試合に出ている、という情報を得て、そこから取材を始めた。靖国神社の相撲大会を見に行ったら、目の前で、それこそひょろひょろの子同士が取っていて、土俵際でぱきーんと乾いた音がしたら、見ていた大会関係者の方が「折れたな」と言ったのを見て、これ凄い世界だなと思って取材を本格化させた。調べ始めたら立教大学の相撲部が大変なことになっていると、テレビのドキュメンタリーであったと思う。
 1年くらいは取材している。1年間取材、1990年くらいから、1991年撮影、1992年公開。
 その当時の相撲部の監督だった堀口さんに会って、映画の企画を話したら、他の大学の相撲部の方にもコンタクトを取って下さって、日大相撲部の田中監督ともお話し出来た。シナリオが出来て撮影が決まってから、役者たちに稽古してもらわなきゃいけないってときも、堀口さんにお世話していただいて法政大学の相撲部で役者みんな稽古したんです。


 2007年12月15日公開の映画『スマイル 聖夜の奇跡』について、原作・脚本・監督の陣内孝則(1958.8.12生)が小学生のアイスホッケーチームの映画を撮るに当たり、子役にアイスホッケーを教えるよりも、アイスホッケーの出来る小学生を集めた方が簡単だと思っていたら、素人の子供に演技させるのが大変だった、と(映画は見ていないが、たまたま見ていた映画を紹介したTV番組で)語っていたのを思い出した。

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  • 発売日: 2008/06/04
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スマイル―聖夜の奇跡

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 陣内氏はバンド活動から俳優に転身したから、演技の方が何とかなる、云う意識だったのであろう。相撲の場合、今だったら笹野高史が殺虫剤のCMで見事な肉体を披露しているようにCGで可能なのかも知れない。いや、やっぱり無理か。
 日大相撲部の田中監督とは、悪質タックル問題の煽りを受けて有名になった(?)日本大学理事長田中英壽(1946.12.6生)である。(以下続稿)