瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

祖母の思ひ出(02)

 6月11日付(01)の続き。
 義理の祖母は恐ろしくせっかちで、家人が年末、実家、すなわち祖母の長男の家に帰る際に一緒に連れて行くのだが、昼過ぎの電車で着くように10時半の新幹線に席を取ってあるのに、何故か9時半に東京駅のホームに着いてしまうような時間に出発する。1時間余り、席も殆ど空いていないホームの待合室で、ひたすら待つ。新幹線は、まづ、遅れたりしないから、もっと遅く行けば良さそうなものなのだが、もうこの時間割は祖母と家人の間で決まっていて、後から私が口を挟む余地など存しないのであった。しかし、暖房が効いているとは云え、入口附近は人の出入りがあると忽ち冷気が入って寒い。祖母はなるべく奥に座らせてもらって、家人もその近くに、そして私は出入口の近くで荷物の番をしながら立っている。そうすると、出入りする訳でもないのに、自動扉附近でうろうろして、ドアを開けっ放しにする不届者、と云うか不束者の、迷惑を被ることになるのである。普通なら1人か2人、そういう人に出くわすぐらいで済むのだろうが、1時間も(しかも年末に)いると頻繁に出くわすことになる。その度に冷えてきて、もう少し内側で話せ、と思ったり、出たらもうちょっと離れろや、と思ったり、そこで立ち止まるなよ、と思ったり、気の利かない連中に心がささくれ立って来る。しかし、思うだけで何も言わない。近頃は電車の窓を開けずにマスクをしてゆったりと座っている連中に、似たような感慨を抱いているのだけれども。
 それはともかく、所帯を持った初めの頃、私も月に2回、祖母に会って、1回は行きつけの料理屋で御相伴に与り、もう1回は昼に祖母行きつけのスーパーの1階で寿司を買ってマンションに挨拶に行くのであった。どちらも土曜で、料理屋に行くときは、家人が祖母のマンションまで迎えに行って、店に予約を入れて、少し閑談してから少し暗くなり出した頃に出掛ける。出勤がなければ私も一緒に迎えに行って、お茶と和菓子を出してもらった。出勤があると時間を決めて店で落ち合うようにするのである。たまに先客があって使えないことがあるが、大抵、座敷の決まった席に入れてもらって、日本酒と好きな料理を頼んで上機嫌で、帰りは夫婦でマンションまで送り、そして迎えに行ったときに出してもらった和菓子の残りを、お土産にもらって帰る。
 通い始めた頃はまだ2駅離れたアパートに住んでいたから、私は自転車でマンションに行って、部屋の前に止めて、呼び鈴を鳴らすと先に電車で来ている家人が出て来るから、そこでお茶と和菓子を頂いたのだった。料理屋は祖母のマンションから、祖母の足で4分ほど歩いて線路を越えてさらに1分ほどのところにあって、当時は踏切があって工事をしていた。駅の脇だから、下り電車が入るとすぐに上がるので、開かずの踏切と云う程ではなかったが、それでも少々待たされる。上がってもすぐに警報が鳴り出したりする。家人が横に寄り添って、そして私はすぐ後に付いて見張っているのだけれども、せっかちな祖母は杖を突いてすっすと躓いたりよろけたりすることなく早足で、途中で警報が鳴っても見事に渡りおおせてしまう。いや、私が棹を持ち上げて通したこともあったかも知れない。しかし、そちらの印象は残っていないのだ。とにかく、達者に早足に歩いていた姿が思い浮かぶ。
 何年続いたであろうか、あるときから料理屋に行かなくなった。それは、30年前に祖母が通い始めて以来馴染みの料理人が引退したこと、店は店主の娘婿が継いだのだけれども、家人が言っていたのだが味が濃くなったのを、祖母も感じていたのかも知れない。以後は専ら、家人が一人で寿司を買って通い、私も土曜が休みの日は付いて行ったこともあったが、カッパ巻きの海苔が喉に張り付くのかなかなか飲み込めずに咳き込んだり、恐ろしく少食になっていた。そのうち私は「もう良いから」と言われて滅多に行かなくなって、その後は電球を取り替えるとか、たまに訪ねてはいたが、以前のようにゆっくりお話拝聴と云う機会はなくなってしまった。
 祖母は晩年、施設で過ごすことになってしまったのだが、その異変に最初に気付いたのは、前回の最後に書いたように、銭湯の代わりに利用していたスポーツクラブであった。しかし、それは後で聞いて分かったのである。すなわち、6年前の正月、何の事情であったか忘れたが、帰省しないことになって義理の妹が保育園児の息子を連れて夫婦で上京し、御機嫌伺いすることになった。その日の晩、東京にいる私たち夫婦と上の妹の夫婦、そして上京して来た下の妹一家で会食することになっていた。夕方、私が待ち合わせの、下の妹一家が泊まっている新宿のホテルを訪ねると、時間になっても誰も来ない。おかしいと思って当時携帯電話を持っていなかった私は公衆電話(!)で家人に掛けると、祖母が大変なので病院に行くと言う。携帯電話を持っていなかったので私だけ、連絡が付かなかったのであった。
 それから、義理の両親が上京して、祖母のマンションに泊まり込んで入院の手配やら何やら、大変であった。義理の母によると、11月に上京してマンションに泊まったとき、少しおかしいと思ったと云うのだが、元来がお嬢様育ちの祖母は人にみっともないところを見せないよう振る舞うので、そこまでおかしいとは思わせなかったのである。しかし、後に義理の母がスポーツクラブに解約に行ったとき、スタッフに話を聞くと、9月にぱったり来なくなったので、どうしたのかと思っていたと言う。しかしスポーツクラブの方から確認などはしないので、結局この最初の異変はそれと気付かれないまま、祖母の異常は進行してしまったのであった、(以下続稿)