瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

祖母の思ひ出(06)

 家人から、祖母の「帰りたい」について補足があった。
 泊まり込んだ翌朝、出勤のため一旦帰宅しようと「帰ります」と挨拶すると、「私も一緒に帰るわ」と言い、「あなた、学校?」と尋ねたそうだ。家人が学校と縁が切れてから既に10年余、学生であったのは20年近く前のことになってしまうが「今も可愛いわよ」で見た目が変わらないから、家人の場合は私と違って、問題なかったのである。
 それから、私たちが会った年末は機嫌が良かったが、年明けに、施設で、入所者皆で初詣とて神社の拵え物に参拝しておみくじを引いて、祖母は大吉だったそうだが、集団行動が嫌いな人なので機嫌が悪くて、義父の帽子を取って投げようとしたらしい。やはり一面しか見えていない。複数の視点からの検証が必要である。しかし、別に歴史上に名を止める事績がある訳でもない祖母について、そこまで掘り下げる必要もないのである。当ブログにはただ、私の眼から見えたものを書いて置けば、それで良いと思う。
 ただ、次回から書くつもりの祖母の回想は、歴史的な事件とも関わって来るので、これまでの私の与太記憶話とは違って、正確を期し(家人に指摘を受ければ元記事を書き直し)さらに考証を加えるつもりである。いや、祖母の父が Wikipedia にも立項されている人物なので、当初、祖母の名前は伏せようと思っていたのだが、記述の都合上(と云うか、調べれば分かってしまうので)明らかにせざるを得ない。その意味でも、これまでの私の記憶は、敢えて事実に正確に書かない(つまり、あやふやな記憶に基づいていると割り引いて読んでもらう)必要があったのである。(以下続稿)

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 6月29日付(04)の後半の補足。
 母方の祖母の見舞いに行くに際して、母に病院への行き方を聞いていると、父が「お母さんが間違いを教えたから酷い目に遭った」と言う。――駅の階段を下りて、大きな通りを右にしばらく進むと、通りの左側に見える、と云うのでその通りにしたのに、行き着かない。そこで、どんな方法だったか覚えていないが、とにかく現在地を確かめてみると、病院とは反対の方向に進んでいることが分かった。すなわち、本当は階段を下りて左に行くべきところを、右だと母が間違って教えたせいだ、と云うのである。
 何のことやら分からぬので、地図を書いてもらったりしながら2人の話を聞いて見ると、その駅の階段を南向きに下ると、東西に通じる大通りがある。そこで右、つまり西に向かうと、しばらく行って通りの左側、すなわち南側にその病院が見える、と云うので、母の説明で間違いないのだった。
 では、何故父が逆方向に進んだのかと云うと、少年時代から地図マニアだった父は、常に北が上に来る地図に直して地理を把握する癖が付いていて、母の云う「右」を、勝手に地図上での右である「東」に変換して、階段を下りて左に行ってしまったのである。
 父はこう力説して、自分の薫陶により地図好きになった私なら分かるだろう*1、と云わんばかりに自己の正当性を訴えるのであったが、高校時代山岳部の副部長で先頭を任されていた私には、やはり父の、勝手に左右を東西に変換する姿勢は危険だとしか思えなかったので、却下した。
 現地では、南向きの階段を下りて、右に折れて、程なく病院に着いたのであった。

*1:兄は地図に趣味を有さない。その代わりに鉄道好きであった。