瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

閉じ込められた女子学生(23)

・「不思議な世界を考える会会報」(3)
 さて、④の本文については、4~12頁(頁付なし)「目次」に次いで、1頁分白紙を挟んで14頁(頁付なし)に凡例に当たる箇条書きがあります。このシリーズ全体の編集方針でもありましょうから、今後の検討に参照するためにも全文を抜いて置きましょう。言及の際の便宜に、各条に番号を附して置きました。

【1】一、転載にさいし、原話の資料性と語りの味わいを損なわない範囲で、適宜改行および行詰めし、また読点/を付け加えた場合がある。また、現今ではなじみのうすい用字については、ひらがなに改めた。
【2】一、原話で使用されている文中の実在の市町村名、個人名、学校名などについて、内容によって編者の判断/でアルファベットに置き換えたり、都道府県名を補ったりした場合がある。
【3】一、各原話の表記を尊重し、あえて全体の用語統一ははからず、最小限の統一にとどめた。また、原話の明/らかな誤記は改めたが、特記はしなかった。
【4】一、原話の注記は( )で示し、新たに補足した注記は〔 〕でくくって割注とし、区別した。
【5】一、原話の語注には*で、新たな語注には無印に番号を付し、各話末にまとめた。
【6】一、低年齢層の読解を容易にするため、できるかぎり漢字には新たにルビを付した。新規のルビは[ ]で/くくり、原話のルビと区別した。
【7】一、一部に現在から見ると差別語にあたるものも見られるが、本書の学術的資料性に鑑み、あえて原話のま/まとした。
【8】一、各話のタイトル下の地名については、話の舞台となった地名を記した。舞台となる場所が複数になるも/の、不明なものについては記していない。
【9】一、各話末には、話の話者またはアンケートなどの報告者を記した。話者と報告者がちがう話の場合には、/両者を記したものもある。また、雑誌などの投稿については、ペンネームをそのまま記した、なお、各話の/出典ならびに詳しい出自については、巻末に記した。


 さらに最後に1行、3字半下げで小さく「*収録作品のうち、著作権者及び著作権継承者の連絡先不明のものがあります。お気づきの方は小社編集部までご一方下さい。」と添えている。
 さて、本シリーズは【1】に「原話の資料性」、【7】に「原話の学術的資料性」とあるように、学術資料として使用されることも考えているようで、表記替えも【1】や【3】などに見えるように最小限に止めているようです。【2】の固有名詞の扱いは、現在では仕方のないことなのでしょう。【8】の地名は都道府県止まりで、より細かい地名は、【2】の「編者の判断」に引っ掛からなかったものは本文に記載されています。【6】のルビについては、かつての『日本古典文学大系』かと思いました。【9】の「巻末」とは、前回の最後に触れた、227~235頁「話名および出典」ですが、これは一覧表で、そんなに「詳しい出自」ではありません。
 それはともかく、③と④、特に④は、①の本文をほぼそのまま掲出していることになります。そして②は「もとの資料になかった」要素を追加するような書き換えはしていないものの「資料をそのまま再録したものではなく、読みやすさを考えて文章に多少手を加え」たことを認めています。すなわち③④と比較することで、②がどの程度、原型を止めているのか、査定する手懸りにもなるでしょう。(以下続稿)

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 感染確認の人数ではなく陽性率と重症者数を見るべきだ、と言い出した。しかし、現在の陽性率が低いのは、比較の対象になっている3月4月にあれほど検査を渋っていたのだから当たり前である。そして若年層の感染確認が多いのだから、無症状か軽症で済む人が多くなる理屈である。だからそこが大丈夫なのだと強弁されても、今更らしくて説得力を覚えない。
 首都圏では学校の教員にも感染者が出始めている。若年層は重症化しないから学校は平気だ、などと寝惚けたことを言っていた人がいるが、全国一斉休校のおかげで問題の顕在化が遅くなっただけなのである。4月には富山県富山市で登校日クラスターが発生している(クラスター対策班は否定)。2020年6月27日付「祖母の思ひ出(03)」の前置きに書いたように、教員には50代、私学だと60代、定年後の再任用だと60代後半の人もいる。そして、核家族が殆どだろうけれども、高校生ならば親は40代50代である。
 都道府県を跨ぐ移動自粛の解除(←長いな)後に、地方から都会に遊びに来て感染したり、半年ぶりに帰省して田舎の家族を感染させた人がいる。どうして、こんな、明確な根拠に基づいて判断されている訳でもないのに、国が言ったから「待ってました」とばかりに移動する人が多いのか、分からない。――両親と、4月頭に、私の同僚だった人が郊外の住宅地で始めた店で会食予定であったのをキャンセルしたのだが、先月電話で母と話したら「7月になったら、あの店に行きましょう」と呑気に言うので吃驚した。まだコロナウィルスは収まっていないと云う認識はあって「秋冬にまたぶり返すみたいだからそれまでに」と言うのである。遠慮気味に「諸外国の様子を見るに、気温や湿度は関係ないらしいけど」と言うのは、水を差すようで妙な気分であった。でも息子としては呑気なことを言っていられない。
 しかし父は、昭和20年代の少年期、活字と地図くらいしか娯楽のない田舎で育ったのにその後、高度経済成長期とバブル期にすっかり繁華街で遊ぶ癖が付いてしまって、これまで絵画教室とか教養講座とか短歌・作文教室とか、映画やコンサートや展覧会、会食など遊び歩いていたのが、この4ヶ月足止めを喰らって、――もう自粛に飽きた、早く長野県にでも旅行に行きたい、と言い出した。80代ながら元気だから我慢が利かないのである。私が反対することが分かっていながら、メールにそんなことをわざと書いて来たので、呆れて、と云うかこれはもう確信犯だな、そういう宣言なのだ、と思って、――もう好きにさせてやれば良いじゃないか、と云う気もしたのだけれども、父1人の問題ではない。しかし、直ちに反対しても世間全般の箍の外れ具合からして父のような人に効き目があるとも思えない。これは、しばらく待った方が良さそうだ、と思っているうちに、案の定、感染確認数が増え始めた。――もうそろそろ、軽挙妄動を慎むよう、不肖の息子として申し上げるつもりである。