瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

青木純二『山の傳説』(07)

・「戸臺部落」と「人骨をかぢる狐の話」(2)
 昨日の続き。要領は昨日に同じ。
【B】冬の野天の火葬場~事件前段
①『山の傳説』278頁7行め~279頁4行め

 ある年の冬、村人が用事をすまして歸路についたのは夜も深んで居た、雪はぴつたりとやんで/居た、空には星がキラ/\と光つて居た、あたりは青白い雪明りに包まれて居た、山道にかゝる/前に雪の曠野に赤い火がとろ/\と燃えて居る火葬場である、岡谷から歸つて來た女工さんが死/んで朝葬式が行はれた、その死體が火葬に付されて居るのだ、火は雪の上にも赤く燃えついて居/た。*1【278】
 もや/\と昇る煙、異臭、そして火のそばには隱亡燒の姿が魔のやうにうごめいて居る、燃ゆる/火の中には、十八の娘の肉體が燒けくづれて居る、黒髪が火の蛇のやうに燃えて居るであらうと/思ふと、野天の火葬にはなれて居るのだが氣味が惡いので火葬場の方を見ないやうにして雪道を/いそいだ。*2


②『信州百物語』七一頁11行め~七二頁11行め

 物語は或る年の冬の出來事であつた。*3【七一】
 今の今まで小止みなく降り頻つてゐた雪がピツタリ止んで、夜空には眩い程の星/屑が燦めき出した。隣村に用事があつて出掛けた一人の村人が、漸く夜更けに歸路/について、青光る雪の野原を横ぎつてゐると、前方にとろ/\燃えてゐる赤い火を/發見した。*4
 村人は弱つてしまつた。何故と云つて、其處は火葬塲で、新佛を燒いてゐるらし/いのだが、彼はどうしても其の側を通らねばならなかつたのだ。*5
 近付くに從つて人體を燒く異臭がプンと鼻を打つ。吐きつぽくなるやうな、一種/の甘つたるい臭ひだ。此處の野天の火葬は何も今始まつたことではないけれども、/時が時なら立ち上る煙の中に半面を眞赤に染めて魔の樣に立つてゐる隱亡燒の姿な/ど見せられては、やり切れたものではない。*6
 で村人は袖で鼻口を覆ひ、火葬塲の方は見ぬようにして雪道を急いだ。*7


 大きな違いは、①の村人が火葬されている人物が「岡谷から」身体を壊して帰って来た「十八」歳の「女工さん」と知っているのに対し、②は火葬があることも全く知らなかったらしいことである。しかし、戸台のような狭い集落で、村人が「新仏」を知らないと云うことがあるものだろうか。それとも、これは「隣村」の「火葬場」と云うつもりなのだろうか。「隣村」は黒川の下流、黒河内の黒川集落であろうか。
 なお『山の傳説』は「岡谷」に「をかたに」とのルビを打っている。青木氏が読みを知らずに書いてしまった可能性もあるが、ルビは必ずも著者が指定しているとは限らないので、編集者がうっかり誤った可能性も考えられる。それから、句点を使わず読点で畳み掛ける工夫がしてあるが、十分な効果を上げているかどうか。
 舞台となっている戸台だけれども長野県伊那市長谷黒河内、当時は長野縣上伊那郡美和村で、昭和34年(1959)から長谷村、平成18年(2006)に伊那市に併合されている。天龍川の支流、三峰川の支流黒川の上流、戸台川と小黒川の合流部辺りで、戸台発電所や戸台大橋、登山の起点になっている戸台河原駐車場があるが、現在集落はない*8。伊那ケーブルテレビジョン株式会社(ICT)が運営する地域情報サイト「伊那谷ねっと」の、2011年4月17日(日)「戸台集落へ想いを馳せる」に、

 戸台集落は、南アルプス登山口として、また、炭焼きや林業などで昭和38年頃まで栄えた集落です。
 しかし、昭和34年の伊勢湾台風や36災害などで被害を受けた他、出稼ぎなどで集落を離れる人が多く、昭和37年に戸台分校が廃校。集落に住む人も次第にいなくなりました。

とある。但し「長野県伊那市立長谷小学校」HP「沿革概要」には、「明治40年 戸台分教場を設置」また「昭和39年 戸台分教場が廃止」とあって、戸台に分教場があった期間(1907~1964)がネット記事(~1962)と若干異なっている。(以下続稿)

*1:ルビ「とし・ふゆ・むらびと・ようじ・き ろ・よ・ふか・ゐ・ゆき/ゐ・そら・ほし・ひか・ゐ・あをしろ・ゆきあか・つゝ・ゐ・さんだう/まへ・ゆき・くわうや・あか・ひ・も・ゐ・くわそうぢやう・をかたに・かへ・き・ぢよこう・し/あさそうしき・おこな・し たい・くわそう・ふ・ゐ・ひ・ゆき・うへ・あか・も・ゐ/」。

*2:ルビ「のぼ・けむりい しう・ひ・おんばうやき・すがた・ま・ゐ・も/ひ・なか・むすめ・にくたい・や・ゐ・くろかみ・ひ・へび・も・ゐ/おも・や てん・くわそう・ゐ・き み・わる・くわさうぢやう・はう・み・ゆきみち/」。

*3:ルビ「ものがたり」。

*4:ルビ「しき・まばゆ/りんそん・よ ふ/よこ/も/はつけん」。

*5:ルビ「よわ・あらぼとけ/そば」。

*6:ルビ「じんたい・はな/にほ・はじ/まつか・おんぼうやき/」。

*7:ルビ「はなくち・ゆきみち」。

*8:追記】恐らく、今、住人はいないと思われるのだけれども、念のため見せ消ちにして置いた。――2014年11月撮影の Google ストリートビューでは、何軒かの人家が見え、登山の起点となったであろう「橋本山荘」や「丹渓荘」に乗用車が停まっていることも確認出来る。シーズンでないので営業しているか分からない。現在はともに廃業しているようだ。井上進(1942生)のブログ「あぶちゃん日記」の、2010年05月15日「南アルプス戸台の「橋本山荘」に、橋本山荘や、戸台分教場だった丹渓荘についての記述があり、2020年06月11日「戸台谷の原風景」及び2020年06月12日「戸台谷の原風景・4」に、詳しく再説されている。「伊那市公式ホームページ」の「南アルプス登山情報」、2019年10月15日「台風19号による南アルプスの被災状況について」及び2020年4月20日「北沢峠へ向かう戸台河原は通行できません」に拠ると、戸台集落へ通ずる道が通行止めになり、復旧の見込みも立っていないようだ。戸台集落への道はいづれ復旧するにしても、登山道の方はコロナウィルスもあって、長期にわたって復旧しそうにない。