瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

赤いマント(254)

井上雅彦「宵の外套」(9)
 昨日の続きで①初出『京都宵』②再録『四角い魔術師』③再々録『夜会』の異同を確認しつつ内容を見て置こう。要領は8月8日付(250)に同じ。
 昨日引いた会話の続き。

【E】赤マントとの関連(一)(①474頁3行め~475頁2行め②247頁下15行め~248頁上18行め③136頁下15行め~137頁下9行め)

 彼女は、急に真顔になった。
「あのなあ……前から、お知らせしようと思うて\まし|たんやけど……マントの話、実は、どこ/かで\【136】聞いたよ|うな気がしてましたんえ……それで、う\ちも気になっ|て……少し、調べてみまし/たんどす*1\……」
 
 彼女は、いろいろと、ネットで検索してくれた\よう|だ。【247】
 都市伝説など、当時から興味もなかったし、今\もそ|れほど詳しいわけではない。
 ただ、少し調べてもらうと、いろいろ、わかっ\てく|るものもある。
 外套……すなわち、マントの男の話というのは、\幾|つかあったようである。
 たとえば……東京では〈赤マント〉の話が有名\だっ|たようだ。
 ――赤いマントの男が、子供を誘拐して殺す。\特に、|その対象は、女子であり、襲われた女/子は\暴行されて|殺される……という話が主流だったよ\【137上】うだ。
 この話も、確かに、年代的には重なってはいる。\東|京の〈赤マント〉は昭和十五年頃に流行/したと\いう。
 噂の源泉として、東京谷中で、少女が暴行され\殺害|された実在の事件と、当時流行していた/【474】紙芝\居の「赤|マント」――少年を弟子にする赤い*2マントの\魔法使い。「黄|金バット」と同じ加/太こうじさん\の原作*3――が混同し|たものだと言われている。


 今からこの作品の発表時(2008)、ネットで得られた情報がどんなものであったか、確認するのは中々に難しい。期間を指定して検索すると、当時から生き残っているサイトを確認することは出来る。しかし、昨年サービスの終了した Yahoo! ジオシティーズYahoo! ブログにあった情報は、ヒットしない。やはり昨年サービスの終了したはてなダイアリーでも、はてなブログ等に移行せずに消えてしまったページが多々存する。つまり、全体像を今から再現するのは相当困難である。何か方法があるのだろうか。しかし、当時は Twitter などなかったので、情報の更新と云う面から見てももう少し鷹揚に構えておられた。今は、有用無用の見分けの付かぬ発信が無数になされ、そして相互にブロックとか無視みたいな按配になっている。とにかく当時と現在とでは、ネットの環境が大きく変わってしまった。
 いや、この際、2008年以前から閲覧出来たページを、これ以上閲覧不能になってしまう前に一通り確認して置くべきであろうか。
 ここの記述は4月17日付(237)に言及した、marici(マリーチ・男性・1979生)のサイト「Deep Dungeon 2.1」の怖いうわさ(都市伝説)コンテンツ「うわごとのとなり」の、「学校の怪談/赤マント」そして「PICK UP/ネットロア考4」が「紅いマントと赤マント 2003.04.18」で、大体がフォロー出来るように思われる。しかし、それだけでは済まないので、典拠の確認は厄介なのである。
 そんな次第で、ここではネット情報ではなく、その元になっている本の方を挙げて行くこととしよう。
 すなわち、この「東京の〈赤マント〉」は、加太こうじ『紙芝居昭和史』に由来するものである。2013年10月25日付(004)朝倉喬司の批判とともに引用したが、その後の検討の結果、朝倉氏の考えの方が誤りであったことが明らかになった。このことは、2014年2月15日付(115)旺文社文庫版の本文(異同は殆どない)の引用とともに述べて置いた。(以下続稿)

*1:②③「みたんどす」。

*2:②③「赤い」なし。

*3:③「作画」。