瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」拾遺(157)

・青木純二の経歴(21)日本新聞年鑑』昭和27年
 青木純二はアイヌの伝説捏造の方面で注目されているらしい。最近久し振りに Twitter で検索して見たのですが、その中に、明らかに当ブログもしくは当ブログ告知 tweet(瑣末亭*1)に依拠していながら、そのことを何ともしていない tweet が幾つか目に留まりました。私は Twitter での活動に時間を割く物理的、と云うより精神的余裕がありませんので follow も follow back もしませんが、当て推量による発言を資料の提示によって減らして行くことを目的として当ブログをやっておりますので、なるべくなら当ブログの当該記事のリンクくらい貼ってもらいたいのです。苦労して資料発掘して明らかにした、まだ活字化しておらず一般に認知されていない事実を、不注意な連中が、何となく周知のことと思い込んで書いてしまいかねないのですから。鼻の治療が済んで元気になれば、リンクくらい特にコメント抜きで貼りに行くかも知れませんが、今はその気力もないので、しばらく、そういう面倒なことは、しないで置きます。
 アイヌの伝説や、それが話題になっている事情などには私は余り興味がないので、そちらの方は Twitter で青木氏を糾弾しつつ tweet を積み重ねている方々にお任せして、今後も、必要以上に立ち入らないこととしたい。今回は、2019年10月27日付(141)の続きで、新聞業界に於ける経歴について、若干補足して置こう。
社団法人 日本新聞協会 編『日本新聞年鑑』昭和27年(昭和二十六年十二月五日印刷・昭和二十六年十二月十五日發行・定価700圓・日本電報通信社・(32)+846頁)
 660~789頁「第 四 部  人   名   編」660頁2行め~711頁「一、會員社役員・幹部一覽(地方別、ABC順 八月現在)」686頁3段め12行め~688頁3段め8行め【関東地方】の687頁2段め22行め「神奈川新聞社」は4段組の4段めまで。まづ【役 員】として8名、続いて【幹 部】として(總務局)3名/(編集局)11名/(業務局)5名/(工務局)6名/(出版印刷局)2名/(東京支部)1名が挙がる。各局の局長は役員と兼任している。青木氏が所属している局を見て置こう。3段め18~22行め(2行めから1字下げだが詰めた)、

業務局)局長・田中一郎、局/次長兼販賣部長・奥田太郎、/同(兼)廣告部長・千賀壽、/次長・黒須田伸次郎、事業部/長・青木純二


とある。2019年10月28日付(142)に、戦後の青木氏が「神奈川新聞」に長期連載を行っていたことを指摘して、2019年10月29日付(143)に、神奈川新聞社に移籍したのではないか、との見当を示して置いたのだが、それがこの昭和27年版『日本新聞年鑑』にて裏付けられた。昭和26年(1951)8月現在、神奈川新聞社業務局の事業部長で、2019年10月29日付(143)に引いた『横浜文化名鑑』の「文化関係者名簿」に見えるように、「市民芸能コンクール・各種市民文化行事の審査員」を務め、さらに神奈川新聞社退職後に、横浜で「青葉芸能社」を興すことにも繋がったのであろう。
 なお、続く715~789頁「二、新聞人名録(ABC順 二六年八月現在)」は、715頁2~4行め「【掲載順序】 姓名、現職、出身縣、生年、最終學歴/學位、略歴、著書、現住所(電話) /(明=明治、大=大正、昭=昭和) 」と下揃えで凡例。青木氏は載っていないが、当ブログに取り上げて、これまで経歴が余り明らかに出来ていなかった人物として、741頁1段め行め~2段め3行め(2行めから1字下げだが詰めた)、

近 藤  操 時事新報、取締役/主筆、山形、明28、慶大卒、/大一四年七月時事新報社論説/委員・昭一二年三月東京日日/新聞論説委員・一八年七月中/部日本新聞社東京總局長兼副/主筆・二一年一月時事新報取/締役編集局長・二三年一月主【1段め】筆、「市政と輿論」「交通政/策」、東京都世田谷區代田二/ノ七一八(松澤二九六四)


とあって、2018年10月7日付「赤いマント(164)」に歿後の「著者紹介」を見たのみであった近藤操について、やや詳しく略歴を知ることが出来た。しかし『加藤高明』には生年を「明治二十七年」とするがここには「明28」とする。どちらが正しいのであろうか。いや、戦前の『新聞年鑑』類を見れば良いのだが、閲覧に出ていた当時は青木氏の確認だけで精一杯であった。(以下続稿)

*1:8月19日追記】ID : DdNH26NMSXxPafB を変更した。