瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」拾遺(159)

・怪談レストラン❸『殺人レストラン』(2)
 私は『怪談レストラン』シリーズについて、余り知識がない。
 当ブログでは、本巻と並んで怪談レストラン㊷『紫ババアレストラン』について、だらだらと長期にわたって、記事にする準備をしている、みたいなことを書き続けた挙句、漸く4月上旬から中旬に掛けて、緊急事態宣言下に図書館が休館になる中、ほぼ資料を揃えて、漸く一通りの検討を済ませることが出来た。
 本巻の方がさらに長いこと、寝かせたままになっていたのだが、その理由の第一は、やはり、扱いづらいからである。
 児童読物で、海外の怪異小説から近年子供の間に広まっている怪異談まで、元になる話があるにしてもそのままではなく、再話されて前者は大幅に節略され(一部は膨らませ)たり、後者は会話などを膨らませ(一部過剰な箇所は省かれ)たりしている。だから怪異談とは別箇の創作物として扱うべきだと思うのだけれども、だからと云って無視出来ないのは、Wikipedia「怪談レストラン」項の「概要」に、

童心社刊。怪談レストラン編集委員会編、松谷みよ子責任編集。たかいよしかず、かとうくみこ絵。
第1巻は1996年刊行の『幽霊屋敷レストラン』で2007年刊行の『真夜中の学校レストラン』でシリーズ50巻に達した。2009年9月の報道によれば、シリーズ累計販売部数は700万部以上[1]。童心社のサイトでは、「800万部のベストセラー」と紹介されている。


とある(註は省略)が、現在の童心社「怪談レストラン」サイトの「シリーズ紹介」では「②1996年第1巻刊行以来、50巻・/累計900万部を超えるベストセラー !!」となっている。初めの巻の方が売れているとすれば本巻などは20万部くらいになっているであろうか。しかも「①全国の小学校13000校で広がって/いる「朝の読書」で絶大な支持を得ている/人気怪談シリーズ!」とのことだから、学校図書館学級文庫、公立図書館の児童室などで借りて読んでいる生徒も少なくないであろう。残念ながら(?)その「絶大な」影響力を無視する訳には行かない。実際、私も、2019年6月15日付(091)に述べたような被害(?)に遭っているのである。
 それはともかく、1頁(頁付なし)扉、2~3頁(頁付なし)見開きで、欧洲の廃城のような「SatsujinRestaurant 」のイラスト。蝶ネクタイ、眼鏡にカールした口髭、そして蔕のような頭髪のボーイが、飲物の入ったグラスが2つ載った盆を右手に持って「いらっしゃい/ませ‥‥」と出迎える。そして4頁(頁付なし)もイラスト、件のボーイが「このレストランの/できたわけをお話し します。」と言って、5~12頁、題も示さずにいきなり1話め、13頁(頁付なし)は件のボーイが「と いうわけなのです。/ささ、どうぞ中へ・・・」と開いた左手を上げるが、下げた右手には短剣を持っている。14頁(頁付なし)は「SatsujinRestaurant 」の入口を入る少年のイラスト。15~21頁はこの少年が「殺人レストラン」の中で、写真にまつわる不思議な体験をすることになっている。22~23頁(頁付なし)は目次で横組みなので23頁に、レストランらしく「MENUメニュー」とあり、ここまでの2話については22頁に「最初のおはなし殺人宿/杉本栄子・・・・5*1と「写真のおはなし白い手/松谷みよ子・・・・14 」と「最後のおはなし」等とともに添えてある。23頁にはまづ「シェフのおすすめ料理」として10話、「デザート」として2話。
 筋の運びが「蓮華温泉の怪話」とほぼ一致する33~40頁、吉沢和夫「とうげの一けん家*2」は料理(?)の2話め。舞台が山中の温泉宿ではなく、そして父子ではなく祖父と孫になっているのは改作だろう。そう思って138~141頁、常光徹解説」を見るに、138頁10行め~139頁2行め、

 あらしの晩、とつぜんやってきた男をみて、子どもがおびえる。男の子の目には、/犯人のせなかにとりついた女の霊がみえていました。「とうげの一けん家」と題する/この話は、明治三十年ごろ、信州のある温泉であったできごととしてつたえられて*3【138】いるそうです(今野圓輔『日本怪談集』)。子どもには、霊的なものをみたり、異界と/交信できる能力があるのでしょうか。‥‥*4

と説明されているので、2011年1月25日付(009)に引いた現代教養文庫666『日本怪談集―幽霊篇―』に拠っていることが判明する。しかし、今野氏が依拠した「毎日新聞」は、子供が2人登場したり、巡査が現れるのが翌朝だったり、色々変わっているのだが、その辺り、吉沢氏の再話は何故か「蓮華温泉の怪話」及びその典拠である青木純二『山の傳説』の運びに戻っている。そうすると「解説」の見解は、飽くまでも常光氏の見解で、吉沢氏には別に依拠する資料があったのであろうか。しかし常光氏に、別に典拠が存在することに心当たりがないらしいことだけ、ここでは確認して置こう。
 内容については次回詳しく検討することとするが、ここで念のため断って置くと「明治三十年」頃とされる「できごと」があったのは2011年1月11日付(005)以降度々述べて来たように、「信州のある温泉」ではなく「新潟県のある温泉」である。(以下続稿)

*1:ルビ「さつじんやど」。

*2:ルビ「いっ・や」。

*3:ルビ「ばん/はんにん・れい・いつ・や・だい/はなし・めいじ・しんしゆう・おんせん」。

*4:ルビ「こんのえんすけ・にほんかいだんしゆう・れいてき・いかい/こうしん・のうりよく」。