瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

赤いマント(258)

・中村希明『怪談の心理学』(10)
 昨2019年6月に、井上雅彦「宵の外套」に赤マント流言が取り上げられていることを知って、借りて読んだとき、赤マントが大阪から東京に伝播した、と云う説を読んで、どこからこんな説が提示されたのだろう、と思ったものでした。
 しかし、そのときは思い当たらずに、2019年11月26日付(213)からしばらく、朝里樹『日本現代怪異事典』の「赤マント」項を検討した際にも、2019年11月30日付(217)及び2019年12月1日付(218)に注意したように、何故、朝里氏が大阪市の松ヶ枝小学校の、ただの変質者情報かも知れない例にこんなにこだわりを見せるのか、訝しくて仕方がなかったのです。
 そのうち、井上氏の「宵の外套」の典拠を検討することになって、どうやらこの松ヶ枝小学校の風聞の偏重は、中村氏の『怪談の心理学』に基づくものであることに気付かされたのでした。
 そこで「宵の外套」を検討した際に、8月13日付(255)に、以下のように述べて置いたのでした。

 「逆に大阪から東京に」と云う説は、中村希明『怪談の心理学』に説くところであった。
 中村氏の説については、2013年10月25日付(004)の最後の方に「‥‥中村氏説の検討に際して触れることになりましょうから、今は触れないで置きます。」と述べて、その後、2014年1月3日付(073)から2014年1月8日付(078)に掛けて、中村氏が昭和14年(1939)に京城(ソウル)の小学校で聞いた赤マントの話を中心に、中村氏の赤マントに関する説を検討したのだが、大阪については触れないまま、2016年1月29日付「赤い半纏(09)2016年1月30日付「赤い半纏(10)2016年1月31日付「赤い半纏(11)」に「赤いはんてん」について検討してそのままになっていた。
 「昭和十年」の〈地下室の黒マント〉は、2014年1月10日付(080)に取り上げた、松谷みよ子『現代民話考』に久井ひろこが報告した、大阪の松ヶ枝小学校の話だろう。――2014年2月23日付(123)ながたみかこ『日本の妖怪&都市伝説事典』を取り上げた際に「中断している中村希明説の検討を再開するに当たって取り上げるつもりです」と断っているので、やはり取り上げるつもりではあったのが、赤マントの検討自体を一時中断した折に忘れてしまい、もともとは中村氏の説であったことを忘れて昨年取り上げたところだった。
 中村氏の「大阪から東京」説は、結論を先に言うと、――無理だと云わざるを得ない。詳しくは本作の検討を終えてから取り上げることとしよう。


 最近の記事なのに随分長く抜いてしまいましたが、今回、改めて、上記、中村氏の赤マント流言に関する当ブログの記事を読み返して見て、別にこれで良いのではないか、と思ったのでした。――「大阪から東京」説など取るに足りない思い付きの域を出ないと思ったから、取り上げなかったのだと。
 しかし、この中村説、と云うほどのものではないと思うのですが、改めて、その影響の大きさを思い知らされましたので、気が進まないながら、批判的に検討を加えて置こうと思うのです。(以下続稿)