瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」拾遺(166)

・青木純二原作映画『地獄の唄』(1)
 当ブログで明らかにし得た事実が殆ど流布しないことを歯痒く思って、Twitter を始めたのである。しかし、殆ど効果は上がっていない。ただ tweet するだけでなく、follow したり follow back しないといけないらしい。しかし、私は、実生活の上でも、SNS上でも、殆ど人付き合いをしていない。そんなことまでする精神的・時間的余裕がないのである。皆さん、一体どうやって時間を捻出しているのだろう、と思う。私などそもそも、当ブログのコメントの返信もしないと宣言しているくらいである。そこで思ったのが、――何かを検索して当ブログに逢着した人がいても、大体そのヒットした記事だけ眺めて、そのまま閲覧を止めてしまうことである。まぁどうでも良いような記事も多いから、それは仕方がない。しかし、幾つか記事を辿って読んでくれたらしい人でも、リンクしてある過去記事にまで飛んで、確認してくれる人は稀である。いや、記事が長い上に、なかなか結論まで到達しないから読み続けられない、と言うのも解る。しかし、余りにもそうする人が少ないように思ったのである。
 そして、――これだけSNS上の付き合いに時間を取られたら、長々とした文章を隅々まで確認する余裕など持てないだろう、と腑に落ちたのである。Twitter の投稿を、ある程度見てもらえても、リンクを貼付した当ブログの記事をクリックする人は殆どいない。1人いれば良い方である。
 それもこれも、見出しに当たる tweet で満足して、それ以上の情報は求めていないのである。いや、別に私の tweet など初めから見る気ではなかったのに、たまたま表示されたから閲覧したことになっただけ、と云う人も多いであろう*1
 いや、私だって2014年3月11日付「Twitter」に述べたように Twitter には否定的だった。今でも余り変わらない。ただ、全く気付かれずにあらぬことを述べる者が出ないように(もちろん気付かぬ者が悪いはずなのだが、だからと云って何の努力もせずに取り返しの付かぬことになっても面倒なので)多少なりとも宣伝して置かないではいられないからなのだ。――そうするとやはり follow や follow back なぞしないで、一応、Twitter 上には投げ込んで置きましたよ、と云う対応で十分と云うことになる。

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 最近、私が嫌だと思っているのには、青木純二を人でなしのように指弾する tweet が、今年になって増えたことも影響している。
 しかし現在の著作権の考えでも、伝説つまり民間伝承は著作物ではない。現在よりも考えが緩かった当時に於いて、出典を明記せずに丸取りすることは、特に問題ではなかったのである。別に青木氏に限ったことではない。杉村顕の信州の伝説関連の著作などその意味では、青木氏と同じくらい、いやそれ以上に取材に労力を掛けずに作られている。
 かつ、当時、新民謡と云う、民謡風の歌謡曲が新作されていたのと同じように、「新伝説」とでも云ったら良さそうな、伝説もどき(伝説まがい)の創作が流行っていたのである。もちろん、それらは、昭和になってから柳田國男民俗学の啓蒙に努めた結果、素姓正しからぬ作り話めいたものは粗方淘汰されて定着しなかった。しかしそこを巧みに擦り抜けて古くからの伝説のような顔をして定着してしまったものが、少数ながら存したのである。
 それを云えば平成の、民俗学者であるはずの常光徹や大島広志等が参加している児童書『学校の怪談』や『怪談レストラン』などはどうなる。あそこに載っている話など、資料として使えないことは常識であったはずなのだが、平成末年に朝里樹と云う全くの素人が彗星のように現れて、あそこに載っている話を伝承扱いして『事典』に載せてしまった。青木氏を指弾する人々は、民俗学者たちの創作と、それを資料扱いした朝里氏を(現代では二段構えになっているが)宜しく指弾すべきである。民俗学者たちが、自らが扱っている資料から創作したものを、その伝承者である子供たちに投げ込んだことを、そして朝里氏が、その捏造品を伝承扱いして『事典』に投げ込んでしまったことを。――青木氏を批判している人々の構図からすると、朝里氏の役割は、青木氏の捏造伝説を、本物と認定してしまった郷土史家や北海道庁と同じことになろう。
 もちろん、前者の罪が重いことは云うまでもない。素人の朝里氏は開き直って良いと思われる。だから、常光氏が朝里氏の『事典』の帯に推薦文を書いたのは、二重の意味で罪深いと思われるのだ。

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 前置きが長くなった。
 私が tweet を眺めていて嫌だなぁと思うのは「検索」だけの「調べ」であっても、もう少し漏れなく「検索」を掛けてくれないか、と云うことなのである。
 それにしても、当ブログの記事がどうしてネット検索の上位に浮上して来ないのか、と云う問題は、どうやったら解決するのであろうか。
 しかしその方法を見付けて妙な努力をするくらいなら、せめて自分だけでもしっかりして置こうと思って、色々な条件を掛けて「青木純二」を検索し続けている。――8月22日の晩、当日のメモ「青木純二の映画?」には何と云う条件で検索したか書き落としているが、青木純二の小説を原作とする映画がヒットしたのである。すなわち、「日本映画データベース」に大正14年(1925)6月中旬に封切られた、次の映画の原作者として名前が見えているのである。
「地獄の唄 前篇

地獄の唄 前篇

製作=日活(京都撮影所第二部) 
1925.06.14 浅草三友館
7巻 白黒 無声
――――――――――――――
監督 ................  若山治
脚色 ................  若山治
原作 ................  青木純二
撮影 ................  内田静一
 
配役    
曲馬団主大内権三 ................  川田弘道
曲馬団花形高野澄子 ................  辻峯子
曲馬団曲芸師瀬戸精一 ................  根岸東一郎
曲馬団の娘春枝 ................  絹川光子
文学青年 林菊二 ................  若葉馨
其の兄 林芳太郎 ................  御子柴杜雄
芸者美代治 ................  徳川良子
ピエロ ................  笹谷源三郎
澄子の母 ................  牧きみ子
田舎の紳士 楠原 ................  高木桝二郎
――――――――――――――

「地獄の唄 後篇

地獄の唄 後篇

製作=日活(京都撮影所第二部) 
1925.06.19 浅草三友館
5巻 白黒 無声
――――――――――――――
監督 ................  若山治
脚色 ................  若山治
原作 ................  青木純二
撮影 ................  内田静一
 
配役    
高野澄子 ................  辻峯子
瀬戸精一 ................  根岸東一郎
林芳太郎 ................  御子柴杜雄
弟 菊二 ................  若葉馨
芸者美代治 ................  徳川良子
春枝 ................  絹川光子
アイヌ人 ................  柴山一郎
娘ムアビン ................  河原澄子
土工金三 ................  清水隆治
土工源吉 ................  三州仁志
刑事 ................  三田実
 〃 ................  金山欣二郎
――――――――――――――


 日活向島撮影所が関東大震災で壊滅して、京都に移った監督や役者によって撮られている。しかし、殆どの人物の歿年月日を明らかにし得ない。もちろん現存していないが、うち何人かはかろうじて保存されている別の映画のフィルムによって、演技を確認することが出来る。(9月26日。以下続稿)

*1:9月29日追記】いよいよ Twitter アカウント開設理由の1つである、赤マント流言に関する記事についての tweet「『現代民話考』の赤マント「中村希明の赤いマント」と本格的に始めて、その筋の人々の反響は皆無だが、tweet はそれなりに閲覧されているようだ。しかし、そこから当ブログの記事まで読もうと云う人はほぼ皆無で、9月28日の当ブログのアクセス数は、ついに史上最低レベルの「32」にまで減少した。まぁ、全く宣伝になっていない。