瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

赤いマント(296)

北杜夫の赤マント(11)
 昨日の続き。
 ドクター・ハンに電話した後、ホテルを出てアピアの町を歩いていたところ、文庫版204頁11行め~205頁6行め、全集239頁上段5~21行め、【11月19日追記11月14日付「北杜夫『南太平洋ひるね旅』(03)」に挙げた①初版(ポケット・ライブラリ)と②新装版の位置を「\」で追加した。233頁14行め~234頁9行め、233頁14行めの読点(2箇所)は半角。なお、章立てと頁については11月17日付「北杜夫『南太平洋ひるね旅』(06)」を参照。

 と、だしぬけにスクーターがわきにとまり、/二人\の日本|人がおりてきた。それは呉*1図書館の/ポリネ\シア調査隊のI|氏と、ずっと若いY氏で/あった。\【233】I氏たちはドクター・ハ|ンから電話を/受けると、すぐさま日本から持参のスクータ|ー/をとば\してホテルへ行き、さらに街へ出た私を/捜しにこ|られたのである。それにしてもまたあ/【204】まり\にも電光石火な|ので、私はなんとなく逃走中を逮捕された犯罪人のような|気にもなった。
 こうしてみると、いかにも南太平洋には日本人があふれ|ているようだが、実際はむろん大\した/人数ではないのであ|る。小人数で滅多に日本人がこないところから、逆に、い|るかぎり\の人に出/会ってしまうのである。こちらは勝手な|旅行者だから、はじめは日本人を捜して歩\き、あんまり/日|本人がいすぎると、今度はもう会いたくないなどと考える。|しかし西サモア\のような島では、/日本人ときいただけでス|クーターをとばして捜しにくるだけの事件といえ\るのであ|ろう。


 呉図書館は広島県呉市立図書館でしょう。I氏は岩佐嘉親(1922.7.21~2014.2.17)でしょう。尤も、岩佐氏が呉市立図書館の職員だったことは検索してもヒットしませんが、呉市出身で、昭和初年に呉市に併合された賀茂郡阿賀町に関する『阿賀町誌』の著書もあります(未見)。呉市HP「呉の歴史」、大正「14(1925)」年条に「3月1日|県内2番目の市立図書館として呉市立図書館仮閲覧事務開始。」とあって、大正末以来30年以上の歴史を有する図書館ですから、文化活動に力を入れていてもおかしくはありません。しかし、市がお金を出して「ポリネシア調査隊」を派遣したのだとすれば凄いことで、実際にはどうだったのでしょう。詳細について知りたいものです。Y氏は、北氏がタヒチで会った大阪市立大学助教授T氏以上に手懸りがなくて分かりません。もう1人いるはずなのですが、1度だけ、文庫版218頁10~11行め、全集245頁下段18行め「もう/一人」として登場(?)するばかりで、イニシャルも判明しません。
 そして、1行分空けて、文庫版205頁7~12行め、全集239頁下段1~8行め、【11月19日追記】①初版(ポケット・ライブラリ)と②新装版の位置を「\」で追加した。234頁10~15行め。

 夜、ドクター・ハンの家に皆で招*2ばれた。
 I氏たち三人の一行は、タヒチから西サモアにまわって|きて、数ヵ月こちらで土語を採集\して/いたとのことである。
 やはりH嬢たちの体験と同様、田舎*3の部落では一歩外へ|でると、サパニーが何をするかと\いう/ので、大ぜいぞろぞ|ろとついてくる。それよりも困るのは、田舎では泥棒が多|いことで\ある。罪/悪感もなく勝手に持っていってしまう。|そこで‥‥


 この話は、夜、警戒していたら、現れたのは人間ではなく「大きな豚であった」と云うオチになるのですが、続いて、この章の題になっている「西サモアの幽霊」の話になるのです。(以下続稿)

*1:文庫版ルビ「くれ」。

*2:文庫版ルビ「よ 」。

*3:文庫版ルビ「い な か」。