瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」拾遺(171)

・青木純二あれこれ(1)嫁が欲しい①
 私は青木純二が目下、10月6日付(166)に述べたように与太伝説捏造記者として遇されていることに、少々不満を持っております。そこで、そうでない一面を紹介して見たいと思うのです。
・ 湯沢雍彦『大正期の家族問題――自由と抑圧に生きた人びと――』2010年5月20日 初版第1刷発行・定価3,500円・ミネルヴァ書房・xiv+256+7頁・四六判上製本

 索引は横組み、左右2列、1~3頁「人名索引」4~7頁「事項索引」。1頁左3行め「青木順二  68」とある。
 1~122頁「第Ⅰ部 自由と抑圧の到来――大正前期を中心に――」60~80頁「第四章 下層家族の生活」68~70頁12行め「4 農民の生活費」の1項め、68頁2行め~69頁「農村の若者離れ」に、当時の小作料額の高さを指摘して、68頁12行め~69頁15行め、

 そのため小作農民は大正一〇年でも一日働いて八七銭余りにしかならず、都市労働者の日当二円な/いし三円に遠く及ばないと思われるようになり、労働力は自然に都会へ向かうようになっていった。
 新潟県の農村青年、青木純二が、大正一三年『東京朝日新聞』の鉄箒*1欄へ投稿した「嫁が欲しい」/は、その間の事情を率直に物語っている。【68】

「越後の農村や漁村に一度来て見るがよい。一人だって若い娘は居ないのだ。居るのは梅干婆さ/ん許*2りなんだ。若い女は続々と他国に出稼ぎに行く。大部分は会社者即ち女工さんになって信州・/群馬、さては名古屋にまで出かけて行く。さなくば有名な色を売る白粉の女となって出かけるので/ある。……おれ達見たいな男の寂しさったらない。夏が来ても盆踊りも男ばかりでは面白くない。/それは我慢するとしても一体おれ達の嫁はどこから貰*3えばよいのだ。……水呑百姓には来てくれる/女がない。……おれの村で女工にいった娘と夫婦になれずに死んだ男がある。隣の村では放火もし/た。隣村では人殺しもあった。……さなくば、みんな若い女の居る都会に出て行く。この分では今/に村には若い男もいなくなるだろう。女工尊い仕事だと県の役人は奨励遊ばす。農村の青年は品/性を上せよと仰る。だが事実はどうだ。農村の疲弊も農村の衰亡も百の議論よりも一つの事実が一/番適切に語っている。あぁおれは嫁が欲しいが来る女もない。おれも村を出よう。若い女の居る都/へ出よう。県の役人達よ、本当の農村を見てくれ。そしてどうにかして呉れ。おれは寂しい。村の/若者は寂しい*4」。

 いわゆる「農村の嫁飢饉問題」は、戦後の高度経済成長期である昭和四〇年代から五〇年代にかけ/て賑やかに騒がれた話題であったが、実は大正中期にすでに始まっていたことを教えてくれる。農村/困窮家族での秩序崩壊は、もう始まっていたのである。


 引用は1字下げ、前後1行空けだが前は頁の切れ目に当たっているので詰まっている。
 章末、79頁13行め~80頁14行め「」を見るに、80頁7行め「(9) 青木純二「嫁が欲しい」『東京朝日新聞』鉄箒欄、大正一三年。」とあって、他の新聞からの引用が月日付を示しているのに年しか示していない。251~256頁「参考文献」にも、251頁3行め「青木純二「嫁が欲しい」『東京朝日新聞』鉄箒欄、大正一三年。」とあるばかりである。そうすると湯沢氏は原文を見ていないのではないか。
 いや、その前に、大正13年(1924)に新潟県の様子を「東京朝日新聞」に書いた青木純二が「新潟県の農村青年」である訳がない。2019年10月27日付(141)に見たように、大正12年(1923)に高田新聞社会部から東京朝日新聞高田支局(高田通信部)に移った新聞記者の青木純二だろう。青木氏の高田新聞入社は大正8年(1919)11月、「嫁が欲しい」執筆まで、新潟県で4~5年の記者歴があった。

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 さて、この記事の出所だが、「参考文献」254頁12行め「那須良郎「独占資本の進展と国民生活」『生活史Ⅲ』山川出版社、昭和四四年。」からの孫引きらしいのである。
 しかしながら、湯沢氏は青木純二「嫁が欲しい」が『生活史Ⅲ』に拠ることを断っていない。
 「参考文献」を眺めると、252頁10行めに「河崎ナツの発言、那須良郎「独占資本の進展と国民生活」『生活史Ⅲ』山川出版社、昭和四四年。」が挙がっている。
 「人名索引」を見るに、1頁右7行め「河崎ナツ  62」とあり、62頁を見るに第四章、60頁2行め~62頁10行め「1 物価の急上昇」の2項め、61頁6行め~「物価倍増」の最後(62頁8行め~)に、

 婦人運動家の一人、河崎ナツは「私の知つている女の人に五つぐらいの女の子のある人が、よく/“食えん、食えん” といつていましたが、これはほんとうに給料が九円だったのです。だから筆づく/りの内職を夫婦でやつていました」と語っている。

とあって、引用の最後「た」の右傍に「(2)」とある。章末の「」を見るに、79頁15行めに「(2) 河崎ナツの発言、『生活史Ⅲ』二三七頁。」とある。『生活史Ⅲ』では編者も版元も分からない。不親切である。(以下続稿)

*1:ルビ「てっそう」。

*2:ルビ「ばか」。

*3:ルビ「もら」。

*4:「い」の右傍に「(9)」。