瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

北杜夫『マンボウ酔族館』(3)

 マンボウ酔族館 パートⅥ』55番め「雨の音から」、昨日引用した箇所の続きを見て置きましょう。286頁11行め~287頁9行め、

 ところが東サモアに来て、恐るべき豪雨を味わった。ここはサマセット・モームが名短篇/「雨」を書いたように、まさしく雨の本場なのである。
 東サモアはもっとも開けていなかった。ちょっとでも町らしいものがあれば、中国人が料理/屋をひらく。しかし、そこには中国料理店すらもなかった。
 ホテルはただ一軒、かつて米兵将校宿舎であった木造の貧相な建物である。
 その部屋の窓から、レイン・メーカーという山が見える。その名の通り、この山が雲に隠れ/ると思うと、やがて凄まじいスコールがやってくる。すべての風景が雨に煙ってしまう。それ/よりも窓から吹きこむ雨を防ぐため、使用人がすべての窓を閉じてしまうから、それこそ何も/見ることができぬ。
 毎日が暑い。部屋にはむろん冷房とてない。私はパンツ一つでベッドに寝そべり、ウツウツ/と雨の音を聞いていた。
 今日は晴天だというので外へ出ると、またたちまちスコールが襲ってくる。
 もう一つ困ったことは、トイレが隣室と共通だった。それぞれの部屋の戸には掛金があっ/て、自分がトイレに入るときには相手方のドアの掛金をかける。ところが隣室のインド人の男/は、用が済んでからもこの掛金を外すのを忘れてしまっている。そのことを言いに隣室へ行く/と、相手は「ソーリ」とか言って頭をかく。しかし、次にやはり掛金を外すのを忘れてしまう/のであった。


 この辺りは『南太平洋ひるね旅』文庫版175~191頁「13 雨を降らす山」に対応する記述を見出すことが出来る。冒頭、175頁2行め~176頁5行め、

 サマセット・モームの短篇「雨」は、東サモアパゴパゴが舞台であるが、その副主人公はも/ちろん南方の雨期特有の豪雨である。「柔らかな英国式の雨とは似もやらぬ」無慈悲な、もの凄*1/さのある雨である。その天からの洪水のような雨には、「自然の原始的な力が持つ悪意」のごと/きものが感じられる。それ自身激怒しているとしか思えぬその雨は、「人を発狂させそうな執拗*2/さ」で小やみもなく降りつづけるのである。
 モームが訪れた当時のパゴパゴには、一軒のホテルとてなかった。彼は小説の舞台そのままの/パゴパゴの町はずれの民家に泊り、憂鬱*3げに、自分の小説に描写したようなスコールを眺*4めたら/しい。
 現在ではホテルが一つある。それも太平洋戦争当時、米軍の将校の宿舎として建てた木造家屋/をうけついだもので、緑色にペンキを塗って老朽をごまかしたお粗末なものである。その証拠に、/豪華な観光船がパゴパゴを訪れるが、乗客は半日を陸上で土人の踊りなどを見、そのまま去って/いってしまう。観光客を受けいれるだけの設備がないからである。
 また、パゴパゴの町は見るところとてない。まず五分、もっと不精な人は広場からぐるりと目/【175】を一回転させれば、それでお終*5いなのだ。バー/が一軒、銀行と郵便局と警察と、もうちょびっ/との建物がある。東サモアアメリカ領で、郵/便局へ行ってもアメリカと同じ切手だし、おも/しろいことはほとんどない。


 176頁の行ごとの字数が少ないのは、上半分が11月17日付「北杜夫『南太平洋ひるね旅』(06)」の一覧に示したように「雲のかかるレインメーカー」の写真だからである。Rainmaker Mountain(523m)はパゴパゴの湾を挟んで対岸にある。
 続いて『南太平洋ひるね旅』文庫版176頁6行め~178頁6行め、パゴパゴを基地としている日本のマグロ漁船や日本人漁夫の評判が記されている。
 1行分空けて178頁7行めから抜いて置こう。

 モームの訪れたときと違い、現在ではパゴパゴにはジェット機用に拡張中の空港がある、ここ/に着いて一驚することは、木造のバラックの空港の建物一杯が、にぎにぎしい黒い顔とけばけば/しい服装の満艦飾となっていることだ。週に一回やってくる大型機の送迎人のほかに、だいぶ野/次馬もまじっているらしい。「いつもこうなのですよ」と、スチュワーデスも笑っていた。その/送迎人の密集度は羽田空港の次位くらいにあるのではあるまいか。
 サモアに着いた頃から、いよいよH嬢の予言が当り、私は雨に悩まされだした。先に述べた唯/一のホテルの名称が、わざとしたように、レインメーカー・ホテルという。同名の山が東サモア/の名物となっているからで、ホテルから眺めると、湖のようにおだやかなパゴパゴ湾をへだてて、/その雨製造の山が大して変てつもなく聳*6えている。しかし、どんな晴れきった空の下でも、いっ/たんこの山に雲がかかると、判で押したように雨が襲ってくる。【178】
 大抵の場合、こうした定評があったにしても、実際はそううまく事が運ばないことが多い。と/ころがレインメーカー山は評判通りにやってのける。困った山なのである。モームが頭にきたに/ちがいない豪雨、しかし彼の場合は名短篇をものにしたのだから有難がってもよいスコールが、/戸外の風景を一瞬にしてかき消してしまう。かき消すもなにも、廊下に面した窓から吹きこむし/ぶきを防ぐため、慌*7ててメイドがやってきて、ごわごわしたカンバスをおろしてしまうから、こ/れでは絶対に何も見ることがかなわぬ。


 179頁6行めまで。
 Rainmaker HotelWikipedia 英語版に拠るとパゴパゴの南東、パゴパゴ湾の入口に近い Fagaalu にあったが、21世紀初頭に営業を終え、2015年に取り壊されている。
 さて、これに続けて、ホテルでは暑さのためドアを夜でも開け放しているのに、北氏はパンツ一枚で寝るため密室にする必要があったこと、夫人に言われて生まれてから着たことのないパジャマをデパートで買って持って来ていたが、「特価品」をサイズを確かめずに買ったために役に立たなかったことなどが180頁15行めまで綴られている。――このパジャマの件は、今の感覚なら恥じて書かないような内容である。戦前生れの昭和の男はこれで良かった、これを誇らしげに(?)書いても問題なかったのであろう。遠藤周作のエッセイもそうだし、先月確認した田辺聖子のエッセイもそうだったが、どうも、全てではないが感覚的に受け容れがたい点があって、私は事実確認のために借りて来ているけれども、確認したい事実以上のところまで目を通して置こうと云う気持ちになれないのである。何年か前に夏目漱石について確認するために借りた夏目伸六のエッセイも、夏目漱石及び鏡子夫人に関連する箇所は興味深く読んだが、それ以外の、世相や生活に関する自説や行動を述べた箇所は、どうも、我が儘と云うか、賛同しがたい気分にさせられて、面白いとはとても思えなかった。
 さらに181頁まで、上着やズボンの隠しポケットについて述べてあるがこれも割愛しよう。
 182頁1~9行め、

 さて、パジャマだの隠しポケットのことはそのくらいにして、レインメーカー・ホテルの密室/の暑苦しさは、自ら招いたものだから文句をいってはならないが、更に困ったのはトイレットで/ある。私の部屋は次の部屋とシャワー、トイレが共有になっていて、自分が使用するときは相手/側のドアに内側から掛金をかけるようになっている。ところが隣りの住人は、用を足したあとそ/の掛金をはずすのを忘れてしまうのだ。
 その男はフィジーからきたバイヤーのインド人で、そもそもフィジーの空港で人なつこく近寄/ってきたと思うと、私に強引にビールをおごった。それから先年の日本旅行のことを話しだし、/連れのインド人に、世界一の大都会東京のこと大工業のことなどを、無類に熱心に話しだした。/それだけならいいのだが、‥‥


 「隣室のインド人」はフィジーから同じ便で東サモアに来ていたようだ。続くインド人の功利性とフィジー人の比較は割愛。
 182頁14行め~183頁3行め、

 とにかくそのインド人が、非常に屢々*8ドアの掛金をしめっ放しにするので、迷惑このうえもな/い。そのむねを言いに行くたびに彼は大形*9に頭をかく。そのくせすぐまた忘れてしまう。
 私が西サモアへ行って帰ってくるとやはり同じ部屋を与えられ、ただ隣室の住人が変っていた。/今度は婦人である。また同じ結果になったらどうしようと私は思った。婦人の部屋にそんな用件/【182】で訪れるのは気がすすまない。しかし彼女はさすがにその点はぬかりはなかった。掛金をはずす/ばかりでなく、用が済んだことを示すため、こちら側のドアを薄目にあけておいたりする。これ/はこれで私はまた神経を疲れさせねばならなかった。


 この婦人との件には『マンボウ酔族館』では触れていない。――「15 旅の終り」に拠ると、216頁1~2行め、

 西サモアを発つ前日、I氏たちと一緒にステ/ィヴンソンの墓へ出かけた。

とあり、そして222頁1行めまでI氏こと岩佐嘉親たちと Robert Louis Stevenson(1850.11.13~1894.12.3)の墓を訪ねたことが記され、2行分空けて222頁2~3行め、

 二日後の夕刻、私はパゴパゴ飛行場からホノ/ルルへ向けとびたった。

とあるから、帰途、レインメーカー・ホテルには1泊しかしていない勘定になる。(以下続稿)

*1:ルビ「すご」。

*2:ルビ「しつよう」。

*3:ルビ「ゆううつ」。

*4:ルビ「なが」。

*5:ルビ「しま」。

*6:ルビ「そび」。

*7:ルビ「あわ」。

*8:ルビ「しばしば」。

*9:ルビ「おおぎよう」。