瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

平野威馬雄『お化けについてのマジメな話』考証(01)

 2016年8月17日付「淡谷のり子「私の幽霊ブルース」考証(2)」に、本書に載る淡谷のり子(1907.8.12~1999.9.22)の談話を紹介した。淡谷氏はこの話を度々語っているので、比較検討しようと思っていたのだが、当時、幽霊となって現れたとされる人物の子息が存命であったので何となく遠慮しているうちに4年半経ってしまった。いづれ再開したいと思っているのだけれども。
・中村四郎さんの話(1)
 さて、2020年9月29日付「中学時代のノート(21)」に引いた、私が小学5年生のときの担任の■本先生に聞かされた話は、2020年9月30日付「中学時代のノート(22)」に見たように、平野威馬雄が『お化けについてのマジメな話』に書いている、中村四郎の談話に違いないと思うのだけれども、違っているところもある。そこで「この話はそのセールスマンの人の書いた本に載ってた」と■本先生が最後に付け足していたのに従って、念のため、中村四郎と云う人の本を探して見た。以下は2020年11月19日のメモ。

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・ホームライブラリー11『子ども学入門』(1970年3月20日初版発行・定価 330円・国土社・193頁・新書判)
 193頁の裏、奥付の前の頁に、中央やや下に顔写真(3.5×2.5cm)があって右に「中 村 四 郎*1」、上に横組みで「―――――著 者 紹 介―――――」、下に縦組みで、

一九二二年、二月一一日生。
一九四四年、東京帝国大学文学部心/理学科卒。海軍技術研究所実験心理/部勤務。
一九五一年より、秋田大学学芸学部/に勤務。現在、同大学教育学部教授、/秋田県児童福祉審議会委員、秋田県社会福祉審議会委員、秋田県参与。/共著『精神衛生』(啓文社)、『児童心/理学』(共同出版社)、『青年心理学』/(三和書房)、『臨床心理学』(立花書店)、/その他。

とある。「お化けを守る会」で語った中村四郎とは別人のようだ。

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 今、改めて検索して見るに、その後、秋田大学名誉教授となった児童心理学者の中村四郎(1922.2.11~1989.1.3)で、昭和63年(1988)には秋田県文化功労者として表彰されている。
 いや、「お化けを守る会」で体験談を語った中村四郎とは別人であることは『お化けについてのマジメな話』の記述から明らかなのだが、2020年9月29日付「中学時代のノート(21)」に述べたように、平野氏の記述には混乱があって、中村氏の談話全体を眺め直さないと解決出来ない。
 そこで、改めて14頁3行め~43頁5行め「お化けに魅せられた一家/――中村四郎さんの話」を細かく見て行くこととする。無題の冒頭話を【1】、以下見出しごとに仮に番号を附して全9話である。■本先生の話の種本と思われる「あの老婆は死神か」は【5】と云うことになる。
 尤も、私は話の内容には余り興味はない。中村氏とその係累の人々が、このような体験をした(ような気がした)と云うまでで、私としては続柄や時期の確認が目的なのである。
【1】無題(14頁5行め~19頁13行め)
 時期は14頁5行め「昭和二十三年の夏」、場所は「仙台市内山屋敷一九」の、12行め「妻の父の持ち家」の、13行め「古い大きな屋敷」。但し最初に幽霊が現れたのは15頁3行め「わたしの家の左側」に住む「自動車の運転士」の「小林さん」の家で、4行め「奥さんが、旦那様の夜勤の夜にかぎって夢をみては、うなされる」。そこで深夜、妻と小林家を訪ねる。なお、当時、戦災復興も捗々しくなく、1~2行め「大きな家には、三世/帯も四世帯もが同居しておりました。」とあるのだが、9行め「おとなりの玄関にいき」とあるから、同じ家に同居していた訳ではないようである。さて、奥さんに話を聞くと、16行め「男の人の幽霊が立ってい」て「こわくて、身体がうごかなくなりました」と言う。16頁2~3行め「電気を明るく、つけっぱなしにして、おやすみになったらいいでしょう」と助言したが、7行め「そのような夜が、それからつづけざまに、三晩つづ」く。8行め「心に心配事があるのだろう……」と思っていたところが、14行め「仙台では、旧の盆で、にぎわってい」た「八月十四日の夜」に、12行め「同じ幽霊が、こんどは、私の方へもやって」来る。しかし、同じ幽霊だと云う確証は何も示されない。16行め、夜の「十一時すぎ」、17頁3行め「青蚊帳が、風もないのに、フワーフワーと左右にゆれうご」く。それが6行め「はげしくな」り、7行め「電灯の光が、とたんに一段暗く」なる。そして10行め「胸もとがおさえつけられ、息苦しくなってきたのに気がつ」く。11行め「みると、日本のたくましい腕が、わたしの首をしめている」。「体は、金*2しばりにあったよ/うで、まったく動けな」い。18頁3~16行め、この辺りは■本先生の話に影響を与えているかも知れないので、そのまま抜いて置こう。

 わたしは、こわいというより、だんだんと腹が立ってきました。
 相手が死霊なら、こっちは生霊だ 負けてたまるか と、おもいました。
「なんのために、おれにこんなことをするのだ。おれとおまえと何の関係があるんだ バカに/するなッ」と、心の中で、こうさけびますと、相手は早くもわたしの心の中を読んだのでしょ/う。声のない声で、はっきりと……「俺は殺されたんだ」と、いうのです。耳も口もつかわず/に、はっきり、そうきこえたのです。これが、このごろヤカマシクいわれている、テレパシーと/いうものだったのかもしれません。
「おれは、君よりも、仏教にはくわしいんだ。おれのハナシをきいてくれ。般若心経に、色即是/空ということばがある。川の水は流れたら、もとにはもどれない。桜の花は散ったら、枝にはか/えれない。君はもう、死んだのだから、この世には戻れないんだよ。今いる暗い、狭い所から、/ぬけ出して、すこしでも明るいところへ行きなさい。君を呼びにくる神さまがいるにちがいない/からね」と、心の中で語りかけてやりますと、「そうかな……」と、こんどは、耳に、かすかで/すが、そういう声がきこえてきました。
 とたんに、腕の力がゆるみました。


 ■本先生の話にある、死神(幽霊)に負けない、と思って力を振り絞る場面、この辺りを加味しているのではないかと思うのである。19頁6~13行め、

 幽霊がでてきたら、こわがってはだめです。こわがると、なめられてしまいます。それに負け/ないように、強い心が必要です。
 さて、朝になりましたので、さっそくわたしは妻の親父の家にいそぎ、あの家について、いろ/いろと、きいてみました。が、
「とりこわし家屋を安く買ったので、以前のことは、なにもわかっていない」とのことでした。
 しかし、柱とか、天井に、血のような黒いしみが、点々とのこっていました。
 幽霊だって、もとは人間なのですから、こわがる必要はないと思います。これは、わたしが三/十二歳の時の、ほんとうのはなしなのです。


 ここで平野氏に突っ込んで置いてもらいたかった、と思うのは、隣の小林家に出たのと「同じ幽霊」と判断しているところで、小林家では妻が一人の晩に、立っているだけの姿を目撃されているのが、中村家では夫婦で寝ている蚊帳の中で、夫の首を絞めているのである(妻は熟睡)。「血のような黒いしみ」が「殺されたんだ!」に関連するのだとすれば、じゃあ何故初めに小林家に出たのか、と云うことになるはずである。
 どうも、この手の話には飛躍があって、普段から思考にこのような飛躍があって暗示を受け易い人が、幽霊と云う解釈に結び付けてしまうのではないか、と私などには思われるのである。そして、所謂民俗学的な解釈と云うものも、これとは程度の違いでしかないのではないか、と云う気が、私なぞにはするのである。
 さて、昭和23年(1948)8月15日に満年齢で「三十二歳」とすると、大正4年(1915)か大正5年(1916)、これは【2】を参照することで、大正5年4月から8月までと、限定出来そうである。すなわち、秋田大学の中村四郎よりは6歳年上、学年だと5つ上と云うことになる。(以下続稿)

*1:ルビ「なか むら し ろう」。

*2:ルビ「かな」。