瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

宮田登『ヒメの民俗学』(1)

 書影のみ2月12日付「赤いマント(312)」に貼付したが、その後、初刊本と新装版を並べて見たのでメモして置く。
・初刊本(一九八七年七月一〇日印刷・一九八七年七月三〇日発行・定価1600円・青土社・280頁・四六判上製本
・新装版(1993年5月1日 第1刷印刷・1993年5月25日 第1刷発行・定価2136円・青土社・283頁・四六判上製本
 大きな違いは281~283頁「新装版へのあとがき」の追加である。
 当ブログには貼付出来なかった初刊本の書影だが、「松岡正剛の千夜千冊」歴象編0537夜「『ヒメの民俗学』宮田登」(2002年05月15日)にて見ることが出来る。松岡氏の文章の冒頭も抜いて置こう。

 この本のタイトルはぼくがつけた。それというのも、同名の連載を『遊』に頼んだときに、「ヒメの民俗学でどうですか」と言ったら、宮田さんが「はい、それはおもしろいかもしれません。ぼくもそういうものをまとめて書きたかった」と了承されたからだ。
 連載は『遊』が休刊してしまったので、1年ちょっとで終わったが、宮田さんはその直後に『女の霊力と家の神』(人文書院)をまとめ、さらに別のところに書いた同主題のものを組み合わせて、この一冊にした。


 本書に松岡氏の名前は出ていない(ようだ)。――「遊」は、松岡正剛(1944.1.25生)らが設立した工作舎が出していた雑誌(1971.9~1982.10)で、その末期に宮田氏は「ヒメの民俗学」を連載していたようだ。松岡氏の文章からもう少し抜いて置く。

 宮田さんにそうしたヒメを民俗学してもらいたかった。「あとがき」にもあるように、その試みはまだ志が半ばのままで、いずれ全面展開の計画にもしたいという気持ちをもたれてもいたようだが、その前後から宮田さんは日本民俗学界のトップとしての仕事が多忙になり、その多忙のなかで倒れてしまった。


 275頁(頁付なし)は「あとがき」の扉で、276~280頁がその本文、本編は1行44字だが「あとがき」は1行33字で下に余白。1頁16行は同じ。276頁は初め5行分空白。280頁は8行めまで、初刊本は1行分空けて3字下げでやや小さく「昭和六二年六月」、次の行は25字半下げて「宮田 登」とあったが、新装版は8行めに下詰めで小さく「(昭和六二年六月)」と添える。
 ここでは松岡氏が言及している箇所、最後の部分を抜いて置こう。279頁6行め~280頁8行め、

 本書に『ヒメの民俗学』と銘うったのは、ヒメが女性に対する尊称であり、/男性一般からみて女性に対する「恐怖」の裏がえしに、ある種の尊敬の念が/こめられているからなのである。しかしこうした問題を見究めていく視点は、/依然柳田民俗学の開拓した荒野を漫然と展望しているというだけに止ってお/り、それ以上深化させるのは、余りにも未知のことが多過ぎる。強いていう/ならば男性が女性一般にいだく「恐怖」の根源の本体をとらえようと、あえ/て両義的な境界領域に横たわる女性民俗の諸相に限定して、若干手探りして/みたという痕跡が本書の行間に示されているならば、本書の目的の一つが果/たされたということになるだろうか。
 実はここ数年来、「都市民俗学」の領域に関心をもち、その手がかりとして/「現代の妖怪」論を考えていくうちに、必然的に「女性民俗」に及んだとい/【279】う民俗的思考のプロセスがあり、それに一区切りをつける意味で、本書はま/とめられた。先に『女の霊力と家の神』(人文書院、昭和五八年)を公刊した/が、それ以外に問題を拡大させていた部分が『遊』(昭和五五年一〇月号~五七年一〇+一一月号)と『現代思想(昭和六一年五月号~一二月号)掲載のエッセ/ーにあり、さらに関連した論文をアレンジして再構成した次第である。その/ため全面的に改稿した部分もあることをお断りしておきたい。
 このところ公務多忙となり、青土社の清水康雄社長、編集部水木康文氏に/は大変ご迷惑をおかけしたことをお詫びするとともに、出版に際しご尽力い/ただいたことに心より謝意を表したい。


 松岡氏も書いているが、宮田氏は50歳になる頃から公務多忙で、2月12日付「赤いマント(312)」の前半に述べたように、啓蒙的な、繰り返し・使い回しの多い、十分な論証を経ない文章が多くなってしまったようである。
 松岡氏は「遊」の連載は「1年ちょっとで終わった」とするが、「あとがき」を見るに2年間である。
 初刊本は280頁の次、新装版は1頁白紙を挟んで頁付なしで「初 出 覚 書」がある(裏は白紙、次いで奥付。奥付の裏は白紙)。これを眺めるに全28編のうち「遊」掲載が16編、最も早いのが「`80. 11」の「池袋の女」であり、全体の中でも最も早い。宮田氏は「昭和五五年一〇月号」としているが「`80. 10」は見当たらない。
 それはともかく、或いは当初「ヒメの民俗学」と題さずに何度か寄稿し、そのうち連載化が決まって「ヒメの民俗学」になったのか、とも思ったのだが、「遊」は国立国会図書館サーチ等で細目が表示されないので俄に確認出来ない。そこで念のため検索してみるに、岡山の古書店「古本斑猫軒」HP「object magagine 遊 1980年11月号 特集:舞う 工作舎」に示される細目に「ヒメの民俗学(1) (宮田登)」と見える。そうすると「池袋の女」は「ヒメの民俗学」の記念すべき第1回で、その初出を2月12日付「赤いマント(312)」の後半に検討したように『宮田 登 日本を語る』が間違えて、本来収録すべきでなかったものを入れてしまったと云うのは、やはり甚だ宜しくないと思うのである。(以下続稿)