瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

赤いマント(314)

 昨日まで『北杜夫の文学世界』について検討したのは、対談での、赤マントについての発言と、次回取り上げるタヒチの日本人についての発言を、使いたいと思ったからである。
 すなわち、巻頭に収録される「原っぱの文学」に添えられた、〝しゃべり下し〟対談に、赤マントに触れた箇所があるのである。
 昨日までの『北杜夫の文学世界』の紹介とも絡むので、長くなるが冒頭(17頁4行め)から抜いて置こう。

奥野 すこし、戦前の原っぱの話をしましょう。/北さんが育った青山あたりでは、もう畑はなかっ/たでしょう。
 畑はほとんどなかったけれど、原っぱの下あ/たりにちょびっとあった。
奥野 原っぱというのは、昔から畑にも田圃にも/なってようなところだったね。
 だれかが持っている地所だから、畑にするわ/けにはいかなかったのだろうね。
奥野 ぼくは、北さんのところから歩いて十五分/か二十分ぐらいかな、渋谷の恵比寿で育ったわけ/だけれど、あのあたりも、まだ原っぱがたくさん/【17上】あった。北さんの脳病院の焼け跡も、原っぱにな/っていたんでしょう。
 その病院跡の一角が、ぼくの生れた家なんで/す。火事で焼け残ったのを増築した家で、青南小/学校からほんの歩いて三分の場所ですね。元ノ原/というのがこっちにあって、その反対側の、病院/の跡が原っぱになっていた。立山墓地という墓地/の横でね。だからぼくの家は、両側とも原っぱに/囲まれて建っていたわけ。
奥野 じっさい、あのころは、いたるところ原っ/ぱだった。
 その墓地脇の原っぱには、もとの青山脳外科/【17下】病院の残骸、煉瓦でつくった廃屋があってね。崩/れかかって、外郭だけ残っているんです。それを/みんな恐がっていたね。これは気違いが首を吊っ/た跡だとかなんとかいって。
奥野 気違い病院の跡の原っぱといえば、いちば/ん舞台装置に合うけれど、たいがいどこでも古井/戸があって、古井戸で女が自殺した跡の原っぱだ/とか、お地蔵さまがあったり、馬頭観音があった/り、ちょっと原っぱというのは不思議な変なとこ/ろだったね。不吉な感じで。
 原っぱを書いた日本の作家のなかでは、ぼく/がいちばん情熱をこめたんじゃないかと思う。/「幽霊」でも書いているし、「楡家の人びと」でま/た書いているでしょう。
奥野 ぼくは「文学における原風景」で二ヵ所も/引用させてもらった。
 原っぱでの自然観察は、はじめは、なんか恐い/ものがひそんでいるようで、それで調べたわけで/しょう。
 うんとちっちゃなころはね。とにかく、原っ/【18上】ぱに行くと、珍しいものでいっぱいだった。アワ/フキムシというのを知っているでしょう。あれの/幼虫が唾みたいな泡を吹いて、そのなかにひそん/でいますよね。その唾をつつくと、幼虫が黒と赤/のだんだらの色彩で出てくるわけ。こんなのは手/品か魔法を見るような気持でね。
奥野 竹似草を折るとヨードチンキが出てきて、/これはブヨにきくとか……。
 ヨーチンの原料だと、ぼくはながいこと信じ/ていた。
奥野 うちのほうの原っぱには、そばに駄菓子の/屋台があってね。それに小さい車がついている。/これはいつでも移動できるという口実で、不法占/拠で勝手に駄菓子屋をやっているわけね、ばあさ/んが。それから、よくバタ屋がいたでしょう。人/さらいだとかいわれて。あの籠のなかに子供を入/れて連れていっちゃうとか……。人さらいは恐か/った。
 夕方になると人さらいが来るから、家へ帰ら/なければならないとしつけられていたね。【18下】
奥野 パッと開けば赤マントっていう、黄金バッ/トみたいなものが来るとか。円タクに乗ると、助/手席に人さらいがいて、サーカスに売られてしま/うとかね。
 ところで北さんは、お坊っちゃん刈りだった?
 お坊っちゃん刈りって、どんなだったっけ?
奥野 毛をのばしてオカッパにしたやつ。
 いや、丸刈りだった。


 この後は当時の遊びの話題が続いて21頁上段17行めまで、1行分空けて18行めから当時の読書について24頁下段3行めまで、話し合っている。
 さて、「人さらい」の話題の中で「パッと開けば赤マントっていう、黄金バットみたいなもの」に言及している。奥野氏が昭和14年(1939)2月に赤マント流言に接したとき、小学6年生だった。北氏は小学5年生、但し2020年10月24日付(286)に見たように、急性腎炎で3学期を全休していたので、小学校で級友たちとともに赤マント流言に怯える体験はしていないはずである。
 ただ、少々この発言は頼りない。再度『文学における原風景』を参照しつつ検討するつもりである。(以下続稿)