瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

赤いマント(323)

 さて、昨日の続きで朝倉喬司『毒婦伝』に赤マント流言が取り上げられていることと、そこでの扱いが他の朝倉氏の著書と食い違っていることについて確認しようと思っていたのだけども、他のことにかまけているうちに、ちくま文庫『犯罪百話 昭和篇能美金之助『江戸ッ子百話』下の返却期限が来て、前者は今月の頭に、後者は昨日、返してしまった。それでも何とかなるかと思ったのだけれども、出来れば両方、出来たら前者、さもなくば後者だけでも手許にないと、やはり書きづらい。
 そこで今回は予定を変更して、昨日出掛けた図書館で久し振りに新聞の縮刷版を見て確認した、赤マント流言当時の記事を紹介して置きましょう。いえ、紹介などと云うのは烏滸がましいので、実は紹介済みであったことに漸く2ヶ月前の2月18日、ちょうど82年前に赤マント流言が拡がり始めた頃に気付きまして、確認が済みましたので当ブログでも取り上げようと云うまでなのです。
 「古新聞百物語」は昔の新聞の埋もれてしまった怪異談、別の新聞の記事で有名になっている怪異談の異版などを紹介している興味深いブログで、タイトルに添えて「旧字等の異体字を通用字体に改め、適宜、句読点・「 」・改行を補った。ルビは必要と思われるもののみ残して< >に入れた。/\は「くの字点」。踊り字は平仮名・片仮名で揃える等、一部手を加えた。傍点部は斜字体で示す。〔 〕内は編者注。〔/〕は編者による改行。」とあるように、当ブログとは違って行き届いた校訂・語注がなされております。
 3月19日付「津留宏『一少女の成長』(2)」の余談に書いたように私も一再ならず、掘り出していた新聞記事を先に公開されてしまったことがあり、注意はしているのですが不定期更新なので往々にして(当ブログのように毎日更新でもテーマが不統一だとそれはそれで困るのですが)見落とすことになってしまいます。
 さて、問題の記事は2016年5月23日付「青鉛筆〔流言赤マントの怪人〕【1939.2.23 東京朝日】」で5年も前のものです。かつ、何と「東京朝日新聞」も赤マント流言を取り上げていたと云うのです。
 私はこれまで「東京朝日新聞」は赤マント流言を取り上げていないとしておりましたから、全く、確認が疎かであったことになるのですが、その理由の1つを挙げるとすると、小沢信男(1927.6.5~2021.3.3)が赤マント流言の記事を『朝日新聞縮刷版』から発見出来なかった、と云うことがあるのです。人のせいにする(!)ようですが、人間は先に提示されている調査結果や結論を信用して、そのまま受け容れてしまうものなのです。だからこそ、当ブログでは先行研究の瑕疵を見付けてはそこに突っ込みを入れ、大きな誤解や見落しが隠れていることを追究し続けて来たのでしたけれども。
 それはともかく、既に当ブログに報告してあることと重なりますが、この辺りの事情を確認して置きましょう。――すなわち、小沢氏が『東京百景』の巻頭に収録した「わたしの赤マント」には、2013年11月2日付(012)に引いたように、

 じつは先日来、広尾の都立中央図書館へ通い、昭和十三年秋以降の朝日新聞縮刷版二年分を調べました。赤マントの記事は一つも見あたりませんでした。‥‥

とあるのです。但し、これは小沢氏が恐らく『犯罪百話 昭和篇編纂過程で大宅壮一「「赤マント」社会学に気付いて修正したので、初出では2014年1月18日付(088)に指摘したように、

 じつは先日、広尾の都立中央図書館にゆき、同年度の朝日新聞縮刷版一年分を、半日かけて調べました。赤マントの記事は一つも見当りませんでした。‥‥

となっていました。同年度とは昭和15年(1940)です。時期が違っていますから見付からないに決まっているのですが、流言の流行時期を知った上で改めて「昭和十三年秋以降の朝日新聞縮刷版二年分を調べ」ても、2013年11月3日付(013)への、ブログ「本はねころんで」の vzf12576氏のコメントに紹介されている、2013年11月9日に大阪府茨木市で聞いたと云う小沢氏本人の当ブログに対するコメントにあるように、やはり「発見することができなかった」もののようです。尤も小沢氏がこのとき「東京朝日新聞」のコラム「青鉛筆」を発見してしまったら、「わたしの赤マント」にもう少々手の込んだ修正が必要になった訳で、見付けられなくて良かったのかも知れません。ちなみに小沢氏の記憶に残っていた記事は2013年11月3日付(013)に引用した「讀賣新聞昭和14年2月25日夕刊(26日付)の記事に間違いないでしょう。尤もこれは読売新聞のデータベース「ヨミダス歴史館」で検索してヒットしたものですから、発見者を気取って偉そうに出来たものではありません。――戦前に縮刷版を出していたのは東京朝日新聞大阪朝日新聞のみですから、データベースが整備される以前の他紙の記事検出は、原紙を閲覧するか、マイクロフィルムに撮影されておればリールを巻き取りながら原紙の数分の一の画面で見て行かないといけないので、大変面倒でした。
 データベースは一々紙面を見ていく手間を省いてくれますが、全文検索が出来るわけではないので往々にして、検索してもヒットしないのに記事があった、などと云うことになりがちです。――「朝日新聞」の記事検索・閲覧ですと、朝日新聞記事データベース「聞蔵Ⅱ」についつい頼ってしまいがちですけれども、漏れがあるわけですから頼り過ぎは宜しくない、「縮刷版」とその復刻版も揃っている訳ですから、一通りその辺りを見て置くべきだ、と云うことになろうと思います。(以下続稿)