瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

石崎直義 編著『越中の伝説』(8)

 前回「索引」にて、各市町村ごとの話数を確認したが、かなりの偏りがあることが見て取れた。なお、見返し(表紙・裏表紙とも)には4月26日付(1)に触れたように[富 山 県]の白地図があって、本書刊行当時の富山県の市町村とその範囲が示されているが、これにより中新川郡舟橋村婦負郡細入村、射水郡下村、射水郡大島町、東礪波郡庄川町の5つの町村の話が採られていないことが分かる。うち舟橋村を除く4町村は現存しない。いや、下新川郡宇奈月町黒部市に、上新川郡婦負郡富山市に、西礪波郡福岡町は高岡市に、東礪波郡庄川町砺波市に併合され、上記2町を除く東礪波郡・西礪波郡の8町村は南砺市に、射水郡新湊市とともに射水市になった。
 本書刊行当時の市の中では小矢部市の16話が一番多かった。平成の大合併を経た後では、面積では県全体の3割近い富山市が38話とこれを上回るが、南西部に新たに発足した南砺市はさらに多く56話、なお射水市は僅か3話である。いや、南砺市の56話のうち西礪波郡福光町が23話で、もともと全ての市町村の中で一番採録数が多かった。これに次ぐ17話が採られている中新川郡立山町は、古来信仰の対象として著名であった霊山立山を擁するのだから蓋し当然である。
 それはともかく、富山県西端の小矢部市と西礪波郡福光町の採録数が多いのには、理由がある。――「索引」に次いで奥付があるのだが(その裏は白紙)、その上半分、横組みで1行め「著 者 略 歴石崎直義 (いしさきなおよし)」として、

明 治 37 年 富山県西砺波郡福光町東西町に生まれる。
大 正 12 年 富山師範学校卒業以来,36年間,小学
      校・青年学校・中学校の教育に従事。
昭 和 35 年 小学校長を退職以後,福光町史・小矢部
      市史等の編集委員を委嘱され,地方史研
      究に努む。
昭 和 49 年 富山県教育委員会より芸術文化功労者
      彰を受く。
現   在 富山県史編纂専門委員,越中史壇会副会
      長,交通史研究会委員,日本民俗学会
      員。
主 な 著 書 「越中の民話,第1集・第2集」「若狭越
      前の民話」「秘境・越中五箇山」「富山の
      秘境」その他
《現住所》 富山県西砺波郡福光町天神町1,×××


はてなブログ タグ(旧「はてなキーワード」)」の「#石崎直義」に拠ると「1960年土山小学校校長で退職」とある。土山は石川県境に近い福光町西部の山間部で、小学校は脇又にあった。昭和49年(1974)に砂子谷小学校と統合されて廃校になっているが、校舎の一部は現存している。
 それはともかくとして、石崎氏は福光町出身で、富山師範学校の学生だった時期など、福光から離れた時期もあったであろうが、最終的に福光町立の小学校長として教職を終えており、以後は福光町の中心市街に居を構えていたようである。そして『福光町史』と『小矢部市史』の編纂に、「はてなブログ タグ」に拠ると前者には「編纂常任委員」として参画しているのである。
 そうすると、西砺波郡福光町が23話で最多、小矢部市が市としては16話で最多である理由は自ずと明らかであろう。甚だしくバランスを失しているとまでは思わないが、やはり県の東部よりも西部の話が多い印象は否めず、西部でも現射水市域の話の少なさも気になるのである。(以下続稿)