瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

池内紀『記憶の海辺』(5)

 6月17日付(4)の続き。
 さて、池内氏の読者でなかった私は、この晩年の自伝的回想『記憶の海辺』を、その後、参照した歿後刊行の『昭和の青春 播磨を想う』と照合して、もう少し事情を明らかに出来れば、等と呑気に考えておったのですが、池内氏は同じことを繰り返し、微妙に変えながら書く癖のある人物で、2冊だけを比べても埒が明かないことが分かって参りました。それで、少々参りました。どういうことかと云うと、――AとBと2冊の本があって、同じような記述がある。しかし全く同じと云うことはなくて、紙幅の都合などによってでしょう、Aは詳細、Bは簡略、すなわちAだけを見れば大体大丈夫なのだけれども、Bに僅かではあるけれどもAにない記述が見える、そんなとき、私たちはほぼAに拠りつつ、矛盾しない限りBの記述も加味して、考えて行こうとします。一人の人間が、自分の同じ経験を思い出して書くのですから、普通はAB間に矛盾などなく共通していて、どちらかにしか見えない記述もたまたま一方を書いたときに漏れただけで、やはり事実なのだろうと思う訳です。
 ところが、当ブログでも度々指摘してきたように、同じ人が同じことについて書いた2つの文章に、矛盾しているようなことが往々にして、ある。
 しかし、当人の経験だということになっていると、校閲も、例えばBだけを読んでそこに矛盾がなければ、別の著述Aと矛盾があったとしても、突っ込んだりしないようなのです。――ぶっちゃけてしまえば、そこまでチェックしていない。

  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *

 私は池内氏の死去も最近まで知らなかったくらいなので、2年前、池内氏の最晩年に、生前最後の著書として刊行された次の本が、所謂「炎上」していたことも知りませんでした。

 私はこの本を読んでおりませんし、子息の池内恵(1973.9.24生)が書いた池内氏の最晩年についての文章も読んでおりませんので、今、余り詳細に立ち入るべきではないと思いますが、しかし、校閲が機能していなかったことは間違いないようです。ドイツ語圏に2年半留学し、度々旅行にも出掛けている、東京大学文学部のドイツ文学の主任教授を10年務め、Karl Kraus(1874.4.28~1936.6.12)を大学院生時代に研究主題に選び、そして Leni Riefenstahl(1902.8.22~2003.9.8)にインタビューしたこともあるような人物が、多くの事実誤認を犯し、それをそのままにしているとは思わなかったのでしょう。池内氏は正誤表を作成・公表した後に発表した、信濃毎日新聞のコラムで、古い知識のまま書いてしまった、と反省の弁を述べている。しかしイタリアのアペニン山脈と、フランス・スペイン国境のピレネー山脈の取り違えがそのままになっているのを見ると、やはり校閲をまともにしていなかったか、余り知識のない人間が、表面的に文意が通るかどうかくらいにやっていたとしか、思えない。
 それで、多くの著書を出していた、すなわち多くの連載を抱えていた池内氏ならば、秘書のような人間を使うべきだったのではないか、と思ったのです。池内氏は本書の最後【24】章め「おわりに ――I・O氏の生活と意見」にて「当人の話」337頁15行めと「夫人の話」347頁9~11行めのそれぞれで、前者は、

 わが家にはパソコンもケータイもテレビもなく、もとよりスマホもないけれど、‥‥

 そして後者では、水緒夫人の言と云うことにして、

 先にお伝えしたようですが、わが家にはテレビ、パソコン、ケータイといったものは何もあり/ません。車もなく、セカンドハウスとか別荘などもむろんありません、だからといって貧しい暮/らしでしょうか。

と、最後までワープロの類に頼らず、手書きで執筆していたことを誇っているのですが、当人はそれで良いとしても、せめて打ち込みは専属の人間に任せておれば、炎上と云う事態は避けられたのではなかったか、と思ったのです。今や、基本的な調べ物はネットで大体用が足りるようになりました。つまり出版社に送る前の段階で、一度信頼出来る人間、つまり池内氏の著作に粗方目を通している秘書のような按配の人間が入力旁々目を通して、記載内容についてネットで分かる範囲ででもチェックを加え、池内氏にも直ちに糺しておれば、出版社側の対応・態勢にかかわらず自前で何とか出来たのではないか、と。
 しかし、子息の文章を紹介している Blog や Tweet を見ると、池内氏は2018年の夏の暑さにやられて、以後衰えが目立つようになったようです。――それまでそのような人物を必要としていなかったのに、自分の命の先が見えたところでそのような人を雇っても、遠からず雇い止めにしてしまうことになります。それで、何とか、これまで通りの体制でしばらくは切り抜けられるのでは、と考えたのかも知れません。

  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *

 そんなことを『ヒトラーの時代』炎上騒動に関連する Tweet や Blog、書評を眺めながら思ったのですけれども、池内氏の文章を幾つか集めて読んでいるうちに、そんなに問題は単純ではない、と思うようになりました。(以下続稿)