瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

長沢武『北アルプス夜話』(4)

 昨日の続き。
・初出誌「信濃路」の謎(?)
 復刻版というと、元版の内容を余すところなく再現しているものと、普通思う。頁付を打ち直したり、新たに凡例や解説を加えることはあっても、元版は影印でそのまま収録されているものと思う。
 しかしながら、新たに組み直したものを「復刻版」と称していることがあって、本書の②復刻版も組み直されているから、そっちの方の「復刻版」だと分かる。その場合でも、「平成一九年一一月」付の「あとがき」以外は元版の内容はそっくりそのまま収録されているものだと思う。
 カバーをそのまま再現してくれないのは、これも普通だとして、厄介なのは図版である。②復刻版の写真は古写真もあるがかなり鮮明で「あとがき」に云うように改めて復刻版のために「写真の用意」をしていて、①初版からの複写はしていないようだ。そうすると、同じ写真を使用していても、昨日口絵写真で確認したように、縮小したり収録の範囲を変えたり、キャプションを書き換えるなどと云ったことが起こって来る。口絵写真は①初版10図が②復刻版13図、共通するのは7図で3図が口絵からはなくなり、6図が新たに口絵になっている。中には探し当てられなくて再録を見送った写真も、あったかも知れない。
 そこで、以下、①初版と②復刻版の異同を確認して行くこととしたいが、本文を細かく比較する余裕など元よりないので、図版の確認を主にして行くこととする。尤も今回は、図版に関係ないところで滞ってしまったけれども。
 ②復刻版は口絵に続いて1頁(頁付なし)扉、中央に表紙と同じ標題を、灰色でやや縮小して収める。右下に影があるのも同じ。「ス」字の1画めの払いの左に灰色の横組みでやや小さく「長沢 武」、「話」の左下に少し離れて極小さく横組みで「長崎出版」。
 ①初版は口絵に続いて7~8頁「は じ め に」②復刻版は扉に続いて3~4頁「はじめに」。初出について触れた箇所を抜いて置こう。①8頁5~11行め、・②4頁2~8行め、改行位置を①「/」②「|」で示した。

 この本に収めた各編は、雑誌「信濃路」に、昭和四十九年から五十二年春*1まで連載した/ものに|加筆し、さらに手元にあった数編を加えたものです。各編は私が書いたというより/も、先|輩のすぐれた研究や業績、そして山麓に住む多くのお年寄り達の話を纏めたに過ぎ/ないもの|で、執筆に当っては、大町山博の平林館長、千葉学芸員、富山県では中島正文、/広瀬誠、湯|口康雄、新潟県では田原善治、長野県では信州大学の羽田健三理博をはじめ佐/藤貢、横山篤|美、向山雅重、降旗和夫先生など多くの先輩の方々から御教示や助言を賜わ/りました。ここ|に改めて厚くお礼申し上げます。


 ここに見える「信濃路」という雑誌だが、昭和48年(1973)9月に第1号、昭和48年12月の第2号からは月刊誌になったらしく昭和49年(1974)1月の第3号から8月の第10号まで毎月、9月には出ておらず、10月の第11号から昭和50年(1975)10月の第23号まで毎月、そこで半年以上空けて、昭和51年(1976)5月に第24号が出て以後は季刊(?)になっている。9月に第25号、12月に第26号、昭和52年(1977)3月に第27号でこれが長沢氏の「はじめに」にいう「昭和五十二年春」の号であろう。この年はその後第29号までで計3冊、昭和53年(1978)には第32号まで3冊、昭和54年(1979)には第35号まで3冊、昭和55年(1980)には第37号まで2冊、昭和56年(1981)には1冊も出ておらず、昭和57年(1982)には第39号まで2冊、昭和58年(1983)には第43号まで4冊、昭和59年(1984)には第46号まで3冊、昭和60年(1985)には第50号まで4冊、昭和61年(1986)にも1冊も出ておらず、昭和62年(1987)には第52号まで2冊、長野県立図書館のOPACで判明する刊行状況はここまでで、廃刊になったらしい。

 季刊というより不定期刊行と云った方が実態に近い。揃いで所蔵している図書館もないようだ。しかも、国立国会図書館オンラインで検索するに、この昭和48年から昭和62年(1987)まで52冊刊行された雑誌がヒットしない。信濃路出版から101号で廃刊になった「信濃路」と云う雑誌がこれらしいのだが、号数の違い、さらには昭和30年代から刊行されていたことになっているなど、どうもよく分からない。しかもかなりの欠号がある。上に貼付した、現在 Amazon で書影が表示出来る8点は、長野県立図書館OPACの号数・特集名と一致している。それから大学図書館の蔵書をCiNiiで検索してもやはり揃いで所蔵しているところはなく、刊行時期などどうもよく分からない。かつ、この版元の「信濃路」の前後にも別の版元から同じ誌名の雑誌が出ていて、誠にややこしい。ここは是非とも信州の愛書家・研究者に、版元である「信濃路」の出版活動と併せて、雑誌「信濃路」各種の変遷を整理して報告してもらいたいものと思う。(以下続稿)

*1:②復刻版「四九年から五二年春」