瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

時雨の思い出(1)

 正志が克之と知り合ったのは、高校の入学式のときだった。
 正志が入学した高校は、明治創立の旧制中学以来の伝統を誇る、学区トップの進学校である。
 猛勉強するのは当たり前で、その上さらに、勉強を愉しむ余裕くらいないと合格出来ない。いや、ガリ勉で入学しても詰まらない奴だと思われて肩身が狭くなるだけだと、この難関を突破した先輩たちから、聞かされていた。
 克之とは入学式のとき隣り合った席になって、校歌斉唱のとき、といって、まだ憶えていないから「入学式次第」の校歌のページを見ながら、吹奏楽部の演奏で合唱部が歌うのを聞くだけなのだが、うまく校歌の頁を見付けられなかった正志に「24ページ」と教えてくれたのである。それで、教室に移動してからも少し話すようになり、まだクラス全体が打ち解けず、出身中学からの入学者も、これまで一度も同じクラスになったことのない男子や、ずっと同じクラスでも余り話したことのない女子だったりして、休み時間につるむ相手もいない中、話してみると互いに歴史好きで三国志の本を読んでいることが分かって、じきに意気投合したのである。
 その後、さらに隆彦と悦郎の2人の歴史好きが集まって、4人組になっていた。この4人にかかると、戦国武将やら明治維新やら、色々な話題が汲めども尽きぬ泉のように果てしがなかった。昭和末のその頃、クラスの殆どが大河ドラマを見ていた。だから4人が愉しそうに歴史を語っているのに密かに聞き耳を立てる級友も少なくなかった。そのおかげでか、正志たちのクラスは歴史の成績が他のクラスよりも少し良かった。
 もちろん正志たち4人組も大河ドラマを見ていて、脚色に文句を言ったり、キャスティングに注文を付けたり、いっぱしの専門家気取りであることないこと言って遊んでいたのだが、実はそれ以上に、朝の連続テレビ小説にも夢中になっていた。
 しかし、これは当初は密かな愉しみで、初め、互いに公言していなかった。しかし、好きなもんだから会話の端々に朝ドラ由来の文言を混ぜて話してしまい、しかもそれが素通りされずに通じていることに気付いて、それで互いにひどく朝ドラが好きであることが、次第に分かって来たのである。
 もちろん高校生、いやそれ以前からだから小学生・中学生として、朝ドラなどそんなに見ていられない。
 今だったら8時からだから、学校の近くに住んでいれば見られなくもない。しかし当時は8時15分からだったから、朝視聴することは不可能である。
 もちろん、昼の12時45分からの再放送も、見られない。だから、夏休みや春休みに見て、欠かさず見ている母親や婆ちゃんから登場人物やこれまでの粗筋についてレクチャーを受けながら、大体を理解するのである。特に母親は何でも知っていて、2週間も一緒に見ておれば大体分かってしまう。
 4人組は中学時代もみな文化部員で、高校でもやはり文化部に入ったから、夏休みや春休みには殆ど活動していない。家でドラマを見るには丁度良い境遇であった。というか、朝ドラを見るために運動部に入らなかったのではないか、とお互いに思うくらいに、朝ドラのことに詳しかった。どんな話をしても大抵通じてしまうのである。
 そんな4人が夏休みに朝ドラをたっぷり充電したものだから、2学期になるともう公然と朝ドラについて語り始めた。もちろん歴史の話題も尽きなかったが、脱線して朝ドラの話になることもしばしばで、その度に女子たちに変な顔をされたものである。
 10月初旬の月曜、克之が登校してくると、
「俺、最終回見た」
 と言う。
「何の最終回だよ」
「決まってるだろ」
 この週末最終回だったと言って思い浮かぶのは、朝ドラくらいである。
「朝ドラ?」
「うん」
「どうやって見たんだよ」
 正志は克之が2学期になってから、土曜に終礼が終わるや否や慌てて教室を駆け出して行くことを思い出した。
「お前、間に合うのか?」
「うん」
 20分に4限が終わって、4限は担任の授業なのでそのまま終礼になる。話の早い人で時間をオーバーしたことがない。終礼が長くなりそうだと思うと、授業の方を早く切り上げてくれる。だから、25分には必ず解放される。駅まではゆっくり歩いて10分、しかし全速力で走れば3分ほどで着く。すると12時30分の下りに間に合うのである。そして41分に終点に着いて、また駆け出すとOPが流れているうちに自宅に戻れる、というのである。当時は必ずOPの音楽から始まって、その前に話を進めたりしていなかった。
 今なら、録画してしまうところだけれども、当時はビデオデッキもテープ(!)も高かった。もちろんネットの動画配信などない時代である。
 正志の家にはビデオデッキがなかったし、悦郎の家のようにビデオデッキがあってもドラマを一々録画して見るなんてことはなかった。そんな習慣がなかったのである。テレビ番組は放映時間にテレビの前にいなければ、見られないものだと思っていた。
 克之は、土曜にとんぼ返りするようになって、その週の結末(?)がどうなったか、そして翌週の予告なども見るから、いよいよ朝ドラに詳しくなった。それを得々と正志たちに語り聞かせるのである。
 10月から大阪制作の朝ドラになって、いよいよ克之は熱心になったようだった。第1週から毎週土曜日、欠かさず見続けると言うのだ。正志たちも中間テストの期間中は若干早く帰れる。しかし鉄道の通っていない正志の町までは、平野だけれども緩やかな上りを10キロだか自転車を漕がないといけない。やはり昼の再放送には間に合わないのである。いっそ、一度、克之と一緒に駅までダッシュして、と思ったのだが、克之は定期を持っているから改札を駆け抜けて列車に飛び込めるので、朝、駅を回って切符を買って置くとしても、改札で鋏を入れてもらわないといけないから、それで手間取っているうちに発車してしまいそうだ。
 11月下旬、時雨の季節になっていた。その日も、克之は終礼が終わるやいなや、教室から駆け出して行った。正志は半ば呆れ、半ば微笑ましく、隆彦と悦郎と顔を見合わせたのだった。(以下続稿)