瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

白馬岳の雪女(09)

辺見じゅん「十六人谷」(2)
 昨日の続き。
 辺見じゅん(清水眞弓。1939.7.26~2011.9.21)の「十六人谷」が従来の十六人谷伝説と大きく異なっているのは、生還者(弥助)に「けっして人に言うてはならん」との禁忌が課されることである。そしてそれが、この物語の枠組となっている、弥助の老後に影響して来るのである。
 この枠組で、弥助が誰に若い頃の回想を語っているのかが説明されている。「生涯独身だった」弥助の世話をしているのは「遠縁にあたる隣り家の嫁さ」なのだが、相手は別にいて、130頁4~7行め、

‥‥。このところ、秘かに弥助を訪れてくる娘がい/た。ほっそりと透きとおるような肌をしたいとしげな娘だった。いつも赤い帯をして、昼さがりに/なるとやって来る。弥助は過ぎさった日のあれこれをこの娘に語ることを生き甲斐にしていた。娘/はいつも黙って聞いてくれた。*1

と云う訳で、駄兵衛の話と、十五人の木樵が死んだ話が語られる。その語りの最後から、結末の枠組を抜いて置こう。136頁2~10行め、

 十五人の木樵たちは、一人残らず舌を抜かれ、死んでいた。
 「あれは……今、思うてもおっとろしいほど美しい女ごやった。おら、あんときの女ごが忘れら/れん……」
 
 夕方、隣り家の嫁さはいつものように弥助の家を訪れた。弥助は息絶えていた。死顔はどこか恍/惚としていた。なにかを見て、それに話しかけようとしているかのようだった。そういえば、この/二、三日、弥助時事はよくひとり言をいっていたと思った。*2
 嫁さは、ふいに身体をふるわせ棒立ちになった。
 なかば開いた弥助の口には、舌がなかった。
 その後、十六人の木樵が小屋がけしたこの谷を、十六人谷と呼ぶようになったという。


 弥助の奇行は、冒頭部にも129頁13行め~130頁1行め「‥‥。ときどき声をあげて笑い、何かを語りかけていた。」と描写されていたが、実はこの「このところ」は、せいぜい「この二、三日」のことだったのである。
 それはともかく、ここで、昔のことだから「血気盛んなころ」から30年も経てばもう老人と云うことになるだろうが、とにかく何十年か経って「十六人」めが同じような殺され方をして、それで初めて「十六人谷」と云う名称が生じたと云う、随分気の長い地名由来譚になっているのである。
 さて、遠田氏は8月1日付(05)に引いた「科学研究費助成事業 研究成果報告書」で、この辺見じゅん「十六人谷」について、

‥‥、ハーンの「雪女」を大幅に取り入れ、木こりの弥助が、仲間を殺した樹霊の女に恋して、その樹霊からここで見たことを話してはならないと命じられるが、その樹霊が何年もしてから美しい娘の姿で訪れると、弥助はついに話すなという禁忌を破り、命を落とすという、典型的な、伝説の「ロマンス化」が行われている。

と評しているが「何年」ではなく「何十年」であろう。「生涯独身だった」のはやはりこの「女に恋し」心を奪われたからで、最期にこの女に口を吸われて思いを遂げたことで、「恍惚として」命を落としたことが察せられる。
 しかし、何故何十年も経って、命を奪いに来たのであろうか。強いて推測するなら、何十年もの間、自分のことを思い続けている弥助の思いに応え、死期を迎えようとする弥助を恍惚裡にあの世へ導いてやるためだと云うことになろうか。しかしまぁ、いづれ辺見氏の思い付きに過ぎないのだから、それほど真面目に考えても仕方がないことではあるのだけれども。
 この改作が「ハーンの「雪女」を大幅に取り入れ」たものだと云うのは遠田氏の指摘する通りであろう。遠田氏がこの改作をどのように考えているのか、それは7月31日付(04)に挙げた論文「辺見じゅん「十六人谷」伝説と「雪女」―「人に息を吹きかけ殺す」モチーフと民話の語りにおける伝統の創出」を見ないことには分からない。しかし、国立国会図書館がこの状況下でも(!)開館していても、のこのこ出掛けてワクチンの予約が取れたのに最後の最後に感染してしまっては詰まらないので(と云うか、別にワクチン接種済みでも重症化しないだけで感染もするし、感染を広めもするらしいので、結局いつまでも行動抑制が必要らしい。しかし世の中は無能政府のオリンピック強行のためにすっかり箍が外れて緩み切ってしまっているが)やはり当面見に行くことが出来ない。だから、遠田氏の見解は知らぬまま、私の勝手な見当を述べて置くこととする。
 辺見氏がこのような話を拵えた理由だが、1つは「美女が現れ、木こりの舌を抜くという煽情的な形の物語」に魅力を感じたからだろう。しかしそれ以上に、実は辺見氏は「雪女」の方を書きたかったのではないか、と思うのである。
 すなわち、父が創業して弟が社長をしている出版社の企画『日本の伝説』で、出身地の富山県の伝説の再話を担当することになり、伝説集に当ってみるに白馬岳に雪女の話が伝承されている(?)ことが分かった。面白いと思って書いてみたものの、舞台や細部に違いはあるものの、登場人物の名前など肝腎なところがどうもラフカディオ・ハーン「雪女」にそっくりである。当初、ハーンの「雪女」の原話かと思って意気込んで書いてみたが、どうも逆で、ハーンの「雪女」が土着したものと考えた方が良さそうだ。そこで「雪女」は取り下げることにしたが、そのとき、山小屋で美しい女が男の命を奪う、そのやり方が「十六人谷」と似ていることに気付いたのである。そこで生還した男性を「十六人」めに設定し、女に「言うな」の禁忌を課されたことにして、それが何十年か後に、恋愛の成就と云う形で果たされると云う枠組を思い付いた。「富山伝説十五選」の頭に置いたのは、やはりこの2話の融合が成功したと思ったからであろう。
 しかし、私などからすると、やはりこの改作は*3いただけないので、――例えば「雪女」は、一度目の禁忌を破った巳之吉の命を奪わなかった上、二度目には「言うな」と言われなかったので(!)べらべら喋ってしまった巳之吉によって広められる可能性が考えられる訳だけれども、辺見版「十六人谷」の場合、弥助は晩年に娘にしか話していない訳で、結局当事者以外に誰も弥助の体験した内容を知る者がいないのである。どうやって弥助の体験を広め「十六人谷」と云う地名の由来にまで評判を高めたと云うのか。「十五人谷」になりそうなものだ。いや、柳を伐り倒した祟りだと云うなら、原話のようにわざと一人だけ目撃者を残して、祟りの恐ろしさを広めてもらった方が効果がありそうなものである。すなわち、そもそも「言うな」と釘を刺す理由が分からない。それに、「雪女」のように茂作一人が凍死したのなら、巳之吉が黙っていても爺さんは年だったから寝ているうちに寒さと疲労でぽっくり逝っちゃったんだな、で済むだろう。しかし「十六人谷」の場合、辺見版では15人(それ以外の版では16人)の木樵が、舌を抜かれて死んでいるのである。何故、こんなことになったのか、木樵たちの家族は1人生還した弥助に当然尋ねるだろう。寝入っていて全く気付かなかった、と誤魔化したとしても、この尋常ならざる大量殺人事件がそのままで済むとは思えない。大の男15人(16人)が全く為す術もなく殺害されると云うのは人間――「黒部の山賊」なぞの仕業では有り得ない。そこで再度繰り返すが、このような普通でない殺し方をしたのは祟りのアピールに他ならないのだから、やはり「言うな」とは妙だ、と思わざるを得ないのである。
 以上は私の勝手な見当である。しかし、辺見版「十六人谷」は、辺見氏の目論見通り(?)大いに受け容れられて行くこととなるのである。(以下続稿)

*1:ルビ「ひそ/はだ/が い/」。」

*2:ルビ「こう/こつ/」。

*3:8月13日追記】投稿当初「を」としていたのを「は」と修正。