瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

白馬岳の雪女(32)

 昨日の続き。
・遠田勝『〈転生〉する物語』(12)「一」8節め②
 前回は前置きだけになってしまったが、8節め「「雪女」と偽アイヌ伝説」に紹介されている、青木純二『アイヌの伝説と其情話』の「雪の夜の白い女」について見て置こう。34頁13行め~35頁14行め、

『山の伝説』の「雪女(白馬岳)」では青木もそれなりに気をつかい、原作の木こりの老人と若者/を、猟師の親子としたり、子供の数を十人から五人に減らしたりしているが、こちらのアイヌ伝説/【34】版では、ハーンの物語の細かい設定をほぼそのまま踏襲している。ただし、さすがにアイヌ伝説と/いうことで、茂作、箕吉、小雪という和人名は使えず、老人、若者、女という普通名詞に置き換え、/また「雪女」という呼称も、使っていない。その結果、物語はこんなふうに始まる。
 「六十の坂を越した老人」と「未だ十八九の血気盛りの若者」が「毎日一緒に、村近くの大きな/森へ仕事に通つてゐた」。「途中に可なり広い川が流れてゐた。そこには唯一艘の渡し舟があつて両/岸の間を往来してゐた」。
 女のしゃべる言葉はあいかわらず翻訳調で、
 「私はお前を他の人間と同じ様にしてしまふ積りだつた。しかしお前は未だ若くて、美しい。そ/れで今度は許してやるが、今夜見たことについて一言でも口外したならば、お前の命はそれまで/だ」と言う。
 女が産む子供の数も、ハーンの原話通り、寓話的な十人のままである。
 ただ不思議なことに、これほど忠実に物語の設定を利用していても、肝心の「雪女」という言葉/が使われていないために、妙にぼやけた印象しか残らず、読みおえてからも、これが雪女の物語だ/となかなか気づかない。‥‥


 青木氏の著作権はまだ切れていないのだけれども、そのことを文化庁が把握していないので『アイヌの傳説と其情話』は『山の傳説 日本アルプス』同様、国立国会図書館デジタルコレクションにて公開されている。「雪の夜の女」は『アイヌの傳説と其情話』163頁9行め~166頁10行め、仮に番号を附すと【66】番めに載っている。
 さて、前回見たように、Twitter 上に青木氏の捏造が話題に上って3年になろうとするのに「雪の夜の女」のことは取り沙汰されていない。いや、Twitter の諸氏は、何処かの土地に結び付いてしまったり、捏造と気付かずに写したり、広めてしまったりした事例の究明に掛かっている段階で、このような、具体的な地名の出て来ない、他でも話題にもなっていないような話は*1、まだ俎上に載せていないのであろう。
 しかし、以前から北海道の郷土史家や口承文藝の研究者など、本書を通読した人も少なくなかったろうに、これほどハーンの「雪女」にそっくりそのままの話が見逃されて来たのは意外であり奇怪である。これについて、遠田氏は続けて、14~17行め、

‥‥。あたりまえのことなのだが、雪女の物語は、「雪女」という言葉を用い/てはじめて成り立つ物語で、いくら説明の言葉を書き連ねても、それが「雪の夜の白い女」ではど/うにもならないらしい。その意味では、「雪女」伝説の本質を教えてくれる面白い翻案ではあるが、/道義的にはやはり感心できない。

と評する。――そんなものなのかも知れないが、この説明でも納得出来ないくらい、殆どそのままなのである。
 確かに、雪女とは本文の何処にもなく、そもそも名前が与えられていないから、ハーンの雪女のように「お雪」と云う、雪に関わるような名前を名乗ったりもしていないが、この「女」のしたことはハーンの「雪女」そのままなのだから、これを妖怪と見做して分類するとすれば、やはり「雪女」と云うことになるのであろう。しかし「雪女」と云う言葉が使われていないので見過ごされて来たので、――そのくらい「雪女」とは、今風に云うと〝パワーワード〟なのである。そんな「本質を教えてくれる」点では「面白い」のかも知れないが、恐ろしく安易な「翻案」である。(以下続稿)

*1:遠田氏が取り沙汰しているのだが、どうも、不思議なことに本書は影響力が余りないらしいのである。それもあって、少々引用し過ぎかと思うが詳しく紹介することにした。