瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

白馬岳の雪女(33)

 昨日の続き。
・遠田勝『〈転生〉する物語』(13)「一」8節め③
 8節め「「雪女」と偽アイヌ伝説」が紹介する、青木純二『アイヌの伝説と其情話』に載るハーンの「雪女」翻案のもう1例は、15頁12行め~19頁1行め【5】「赤き乳の出る岩」である。36頁1行め~37頁1行め、

 しかも、青木はもうひとつ、ハーンの「雪女」からアイヌ伝説を捏造している。
「赤き乳の出る岩」と題された物語がそれで、昔、落石の部落にニヤブという腕のよい猟師の若/者がいた。ある日、ニヤブは村の老人と山奥に狩りに出かけるが、途中、老人を見失ってしまう。/一日中探しても見つからず、若者は一夜を大木の洞のなかで過ごすことにするが、そこに美しい黒/髪の山の精があらわれる。若者が老人の居場所をたずねると、女は、老人はもう里には帰れないと/告げ、若者と一夜を過ごす。女は、このことを決して口外しないように命じて姿を消す。
 その翌年、美しい女が若者の家を訪れる。若者はその女と結婚し、子供が生まれる。ある夜、若/者は酒に酔って「俺はお前によく似た女をたつた一度見たことがあるんだ」と山中の出来事を語っ/てしまう。妻は血相をかえ、「わたしこそその山の精です。あなたは誓を忘れました。もう、あな/たと一緒に居ることが出来ません」と言い、自分の乳房を引きちぎって、傍らの岩に投げつけ、そ/のまま姿を消してしまう。
 若者は気が狂ってしまうが、赤ん坊はその岩から流れ出る赤い乳をのみ、無事成人した。「乳房/岩」は今も残っていて、乳の出ない婦人がこの岩に参詣すると、すぐに乳が出るようになる、とい/うのがその物語である。
 もうひとつ、よくあるタイプの乳岩の伝説と混ぜ合わせているが、中心にあるのは、やはりハー/ンの「雪女」だろう。困ったことに、この話は、後に石附舟江という人が『伝説蝦夷哀話集』(函館太陽舎、一九三六年)に「奇縁の妖精も子故の愛の闇」と改題し再話しているので、通俗的な書/【36】物のなかには、これをアイヌの伝説として伝えているものが他にもあるかもしれない。


 この話の舞台は『アイヌの傳説と其情話』15頁13行め、書き出しに「 オツイシ(現在の落石村)の部落に‥‥*1」とある。
 しかし「乳房岩」で検索しても全くと云って良いくらい、何の情報も出て来ない。天草のおっぱい岩などが出て来るばかりである。
 北海道で「落石」と云う地名は、紋別市落石町と、根室市の落石(落石東・落石西)とがある。「落石村」だったのは根室の方のようだ。花咲郡落石村は明治39年(1906)に根室郡和田村に併合され、青木氏が北海道にいた頃には存在しなかったのだが、そこまで厳密に考える必要はないと思う。しかし根室市も、紋別市も、「乳房岩」なる岩のことについて、特に何ともしていないらしいのである。
 ただ、画家の太田三郎(1884.12.24~1969.5.1)の著書『性崇拝』(昭和三十一年十月二十五日 印 刷・昭和三十一年十一月一日 発 行・定価 五八〇円・黎明書房)に「根室の乳房岩」として「北海道根室郡根室町の落石にある乳房岩」の話がごく簡略に要約されて採られている。青木氏の本からか、それともこれを再録した本が「根室町」としていたのかは、出来れば確認の機会を得たいと思うが、根室郡和田村は昭和32年(1957)8月に根室町と合併して根室市になっているから、正確には「根室町の落石」だったことはない。
 確かに、これまで多くの民俗学者・国文学者・比較文学者が「雪女」に似た話がハーンの『怪談』以前には見付かっていない、と云っているから、「雪の夜の女」に比べると色々と手を入れてはあるが、話の骨格は重なっている「赤き乳の出る岩」も、遠田氏の見る通り「雪女」の改作なのだろう。
 そうすると可能性としては、そもそも「落石の乳房岩」自体が青木氏の捏造なのか、そんな形の岩が存在していて(当時はそこそこ知られていて)それに見合った伝説を青木氏が一から捏造したのか、それとも非常に素朴な神婚譚があって、これに青木氏がハーン「雪女」を被せることを思い付いたのか、と云ったことが考えられるけれども、‥‥やはり全てが捏造だったのであろうか。(以下続稿)

*1:ルビ「おちいし」。