瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

白馬岳の雪女(51)

・丸山隆司「【研究ノート】民話・伝説のポストコロニアリスム」(2)
 一昨日の続き。
 昨日引用した遠田勝『〈転生〉する物語』の「一 白馬岳の雪女伝説」の8節め「「雪女」と偽アイヌ伝説」に、「‥‥。もちろん青木は今日「東京朝日新聞記者」という肩書きから連想されるような、中央のエリート知識人ではないのだが、‥‥」とあった。
 青木純二は明治28年(1895)生れ、福岡県の博多に隣接する町(現、福岡市)の出身で、学歴は小樽高等商業学校(現、小樽商科大学)中退、北海道の函館と新潟県の高田市(現、上越市)で地方紙の記者をしており、高田時代に月刊誌に小説が掲載されたりして作家としてそれなりに活動、それが機縁となったのか大正12年(1923)に東京朝日新聞に移っているが高田支局(高田通信局)すなわち高田市在住のままで*1昭和4年(1929)頃に横浜支局に異動になるまで、ほぼ日本海側で過ごしていたようである*2
 今の朝日新聞記者は「中央のエリート知識人」ばかりなのだろうか。記者に知り合いがいないので(周囲にコロナ感染者がいない人が感染拡大に実感を持てないように)どうもピンと来ない。しかし、あの人は朝日新聞記者なんだよと言われたら「へえ」とは思うだろう。当時はもっと偉い物に思われただろう。――内実はどうあれ「「東京朝日新聞記者」という肩書き」は非常に効いたらしいのである。遠田氏は肩書きについてこれ以上突っ込んでいないが、丸山氏はその点を問題にしている。37頁下段20行め~38頁上段14行め、

 ところで、この青木純二なる人物はどのような人物なのだろう/【37】か。『アイヌの伝説』の函の表には「東京朝日記者」という肩書き/が見られる(写真1)。この本は大正十五年に第百書房から出版さ/れたが、その三年前、『アイヌの伝説と其情話』という書名で、札幌/の富貴堂書店から出版されたものの再版である(写真2)。その表/紙の肩書きには「東京朝日新聞社記者」と書かれている。内容は同/じだが、
  御味方コタン乃
  者ども赤人と
  戦争うち勝ち
  たる図*3
とある「東蝦夷夜話 巻之下」の一図を石版図にして載せている。
 つまり、この『アイヌの伝説と其情話』は三年後、東京の出版社/が再版するほど流通したといえよう。その青木純二について、阿部敏/夫は次のように述べている☆4


 写真①と写真②は37頁上段中央やや右寄りに上下に並べて掲出されている。なお39頁下段18行め~40頁上段12行め、5項からなる「注」を見るに、40頁上段3~4行めに、

4 阿部敏夫「和人にアイヌ文化理解について」(『環オホーツク』/  1998・No.1。1994.3)

と云う少々不思議な出典が示されている。2月の台湾出張の成果を3月下旬に刊行の「国文学雑誌」に載せるために慌てて書き上げ、更にぎりぎりまで手を入れたものか、校正も十分でなかったようで「和人に」は「和人の」そして「1998・」は不要である。
 この文献はまだ見ていないのだけれども、2019年10月19日付「「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」拾遺(134)」に触れたように遠田氏も参照している。その内容は2019年10月20日付「「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」拾遺(135)」にて推測したように、財団法人アイヌ文化振興・研究推進機構『平成十四年度 普及啓発講演会報告集』78~88頁「「大正期におけるアイヌ民話集」・「北海道の義経伝説とアイヌ」」によって窺うことが出来るようである。
 注の確認で長くなったが、写真②に示されている『アイヌの傳説と其情話』の表紙は、若菜勇のブログ「マリモ博士の研究日記」に転載されている、「釧路新聞」文化欄連載「日本マリモ紀行」のシリーズ「マリモ伝説」の「⑤ 永田耕作の生涯」にカラーで掲載されている。
 丸山氏は「三年前」としているが2年前が正しい。すなわち2年後に東京の第百書房から刊行された『アイヌの傳説』であるが、若菜氏は「⑥ 釧路圏での初出は新聞広告」に、大正15年(1926)6月3日付「釧路新聞」の広告を掲示している。これには書名に添えて「東京/朝日記者/青木純二著」とあり、そして広告文の中にも、

著者は人も知る如く、東京朝/日新聞社記者班の鋭■を以て/自他共々許す傑物にして、一/度氏の活躍を見るや、‥‥

などと、東京朝日の記者であることが殊更に強調されている(■は判読出来なかった)。しかし実際には冒頭に触れたように、また「はしがき」にも「越後路にて」とあったように新潟県高田市にいたので、東京の「記者班」でバリバリ活躍していた訳ではない。全くの偽りではないにしろ、殆ど虚偽広告である。
 それはともかく、若菜氏は『アイヌの傳説』の売行きについて、

‥‥第百書房版の「アイヌの伝説」が発行されたのが1926年5月5日。旧釧路新聞に最初の広告が掲載されるのは、一月後の6月3日だ。私が所持している本は、初版から9日後の5月14日に発行された3版で、5月10日には2版が出ているから、それこそ「飛ぶように」売れたのではなかろうか。‥‥

とするのであるが、丸山氏は35頁下段4~6行め、

②青木純二『アイヌの傳説』 大正十五年五月十日初版発行
              大正十五年五月十四日再版発行
              第百書房

としている。すなわち発行日が、初版(丸山)=2版(若菜)、再版(丸山)=3版(若菜)と食い違っている。――今、「日本の古本屋」に「再版・箱イタミ・本経年ヤケアリ」との注記のある『アイヌの伝説』が出ているのだが、さて、どうしたものだろうか。(以下続稿)

*1:東京朝日新聞入社後も「都新聞」の懸賞小説にアイヌ娘が登場する作品「地獄の唄」が入選して連載、映画化されたり、「サンデー毎日」の「一頁古今実話怪談」懸賞募集に「蓮華温泉の怪話」の原話である「深夜の客」が入選するなど、作家活動を継続している。

*2:リンクを貼っても殆どクリックされないらしいので何だかリンクを貼るのが面倒になった。興味のある方は右上の検索窓に「・青木純二の経歴(」と入れて確認されたし。映画については検索窓に「地獄の唄」と入れられたし。

*3:ルビ「お み か た/もの・あかひと/せんさう・か/ず」。国立国会図書館デジタルコレクションにて『アイヌの傳説と其情話』を見るに、目次とt1頁(頁付なし)扉の間に、この図がある。版本の見開き挿図で、右を上に横転している。文字は右上に「御味方コタン乃/者とも赤人と/戦争うち勝ち/たる図」と読める。振仮名「おみかた/もの・あかひと/せんさう/づ」裏は白紙。『アイヌの傳説』にはこの図がないのであろうか。