白馬岳から随分離れ、丸山氏の文章からも遠ざかっているが、仕方がない(?)ので昨日の続き*1。
・丸山隆司「【研究ノート】民話・伝説のポストコロニアリスム」(5)
ところが平成6年(1994)の「和人のアイヌ文化理解について――事例その1 青木純二『アイヌ伝説』」を注に参考文献として挙げ、そして恋マリモ伝説「悲しき蘆笛」を青木氏のアイヌ伝説捏造(疑惑)の例として取り上げている遠田氏も丸山氏も、「悲しき蘆笛」の注に『平成十四年度 普及啓発講演会報告集』の原型と思われる、上記「和人のアイヌ文化理解について」を挙げていないのである。
或いは、「和人のアイヌ文化理解について」は、この件には触れていなかったかも知れない。国立国会図書館に出掛けるような機会があれば見る必要のある文献が既に山ほどあって大変だ。多分忘れるか時間切れで見ずに帰ることになりそうだ。
それはともかく、実は『平成十四年度 普及啓発講演会報告集』よりも前に「和人のアイヌ文化理解について――事例その1 青木純二『アイヌ伝説』」の内容を要約したらしい文献が、やや見易い媒体で発表されていることに気付いていたのだが、何となく書きそびれていた。簡単に触れて置こう。
朝倉書店刊『現代民俗学の視点』全3巻(A4判上製本)の第3巻『民俗の思想』(1998年4月10日 初版第1刷・定価4500円・ⅶ+233頁)で、この巻は宮田登 編集である。
同様なことが「月見草咲く沼・紅百合の恋・月の夜の娘(ク/ローバ)・悲しき葦笛(現在観光などで語られているマリモ伝説/の初出)」などにも考えられる。これらの「アイヌ伝説」といわ/れる伝説が創作されて七十数年になり、伝説として地域のなか/で息づきはじめている。
ごく短いが、ここでは「悲しき蘆笛」が青木氏の創作と分かるような形で持ち出されていた。
そして、この流れは青木純二や工藤梅次郎のような、13~21行め、
‥‥、個人だけでなくマスコミの「小樽新聞社」が一/九二三(大正一二)年一月から「本道の民話」として創作民話/を懸賞募集している事例がある。その結果「マル藻と姫鱒・宗/谷岬に伝わる福寿草哀話」というような創作民話を連載してい/る。国のアイヌ同化政策と合致して「新たな民話」がつくりだ/されている。そして、アイヌの口承文芸として一般に定着して/いる。
以上のように一つの文化が他の文化と接触することによって/異質な文化をつくりだすという問題がある。
と纏めている。
小樽新聞の「本道の伝説」のことは『平成十四年度 普及啓発講演会報告集』では「小樽新聞社の懸賞募集北海道の民話として粉飾されてきています」と言及されていたが、実際には『アイヌの傳説と其情話』に先行するものであった(『山の傳説と情話』よりは後である)。若菜勇のブログ「マリモ博士の研究日記」に転載されている、「釧路新聞」文化欄連載「日本マリモ紀行」のシリーズ「マリモ伝説」の最終回、2019年3月18日掲載の「補遺④ もう一つの物語」に、紙面の複写を載せて、
1923年1月6,8,9日発行の小樽新聞に3回にわたって掲載された「マル藻と姫鱒-阿寒湖の伝説」の第1回目./身投げした姉妹がマリモとヒメマスに化生する筋立てが、「恋マリモ伝説」のストーリー改変に影響した可能性もある.
とのキャプションを添えている。これは永田耕作についての最初の新聞報道の際に、阿部氏から資料提供を求められ、その依頼状に同封されていた阿部氏の著書(2019年10月19日付「「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」拾遺(134)」に見た、『北海道民間説話〈生成〉の研究 伝承・探訪・記録』であろう)の「本道の民話」に関する記述を承けて、北海道大学附属図書館で調査したとのことである。
と、阿部氏の講演と、そこに見える大正期の地方紙の懸賞募集民話の企画について確認したところで、丸山氏の文章の結論に戻ろう。(以下続稿)
*1:記事の題が違っていると飛ばして読む人もいる。一方、関係ない話が続くと思って先を読まなくなるかも知れない。まぁ、それもこれも、当ブログは検討作業のノート、突き詰めれば自分用の手控えだから、仕方がない。
*2:現、北星学園大学附属高等学校。なお、4年後の『平成十四年度 普及啓発講演会報告集』での阿部氏の肩書きは「北星学園大学文学部教授」である。