瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

白馬岳の雪女(58)

 今時の人には分かりづらいかも知れないが、100年前であれば身分は絶対に近かった。――グリム童話に出て来る忠義な下僕が、幾ら頼りになってもお姫様とは恋仲にならないように。そしてお姫様に恋される異類は、実は王子様なのである。
 尤も、アイヌ社会の身分や通婚について全く昏いので、この話がどの程度、実態に合致しているのか、それとも全く乖離しているのか、私には判断出来ない。――若菜勇のブログ「マリモ博士の研究日記」に転載されている、「釧路新聞」文化欄連載「日本マリモ紀行」のシリーズ「マリモ伝説」の2018年6月25日掲載「② アイヌの悲恋を基に創作」に、原作者永田耕作が釧路市春採の老アイヌから聞いたと云う原話の回想メモが紹介されているが、身分違いと云うことにはなっていない。
・遠田勝『〈転生〉する物語』(27)「一」10節め②
 本書のアイヌ伝説についての記述にはもう触れないつもりだったのだが「恋マリモ伝説」に触れた序でに、9月1日付(36)に引かなかった、10節め「疑惑のマリモ伝説(阿寒湖)」の、マリモ伝説の内容を具体的に紹介した箇所を取り上げて置こう。41頁3~9行め、

 阿寒湖のマリモ伝説は、北海道を旅行した者なら、たいていはどこかで聞かされる有名な話で、/アイヌの酋長の娘セトナと蘆笛の名手マニベが許されぬ恋のはてに命を絶ち、阿寒湖のマリモに姿/をかえて、冷たい阿寒颪が吹く頃、湖上には、女のすすり泣きにまじり、美しい蘆笛の音が響くと/いう、悲恋物語である。しかし、この阿寒湖観光には欠くべからざる伝説が、地元のアイヌにはま/ったく知られていない話で、その出典をたどっていくと、結局は、青木の『アイヌの伝説と其情/話』に載る「悲しき蘆笛」に行き着き、それより先には遡れない、どうもこれは青木が偽作した話/らしい、という、白馬岳の雪女のケースによく似た、いかにも青木にふさわしい疑惑である(20)


 ガイドブックも持たず、せいぜいポケット時刻表くらいで、鈍行列車ばかり乗っていて*1道東に行く余裕のなかった私は、5日くらい滞在したと思うが「阿寒湖のマリモ伝説」を「聞かされる」機会がなかった。しかし普通に旅行会社の団体ツアーに参加したり、個人旅行でも阿寒湖に行けば否応なく「聞かされる」ことになるのだろう。まぁ、お前こそ何しに行ったのか、と突っ込まれそうだが、地元民が乗る普通列車に延々乗り続けるのが好きなのである。泊めてくれた高校時代の友人は大学の後期授業が始まっていたのか、大学近くの定食屋でラム肉の定食を一緒に食べたことくらいしか行を共にした記憶がない*2。当時は携帯電話も普及しておらず、北海道では通じないところもまだ多かったと思う*3。だから日中は全く好き勝手にしていて、多分夕食も外で食べて、暗くなってから友人のアパートに帰っていたのだと思う。
 それはともかく、遠田氏が紹介している筋は、前回触れた永田耕作「阿寒颪に悲しき蘆笛」及び青木純二「悲しき蘆笛」の粗筋とは、どうも異なっている。しかし遠田氏はこの問題にはこれ以上突っ込んでいない。ハーン「雪女」はもちろん青木純二『山の傳説 日本アルプス』とも関わらない話題だからであろう。
 この、二人が阿寒湖に身投げしてマリモになると云う筋が何に拠っているかと云うと、「注」241頁7~11行め、

(20)山本多介『阿寒国立公園アイヌの伝説』日本旅行協会、一九四〇年、一一頁。泉靖一「マリモの伝/ 説」『遺伝』九巻八号(一九五五年十一月)一〇―一一頁。煎本孝「まりも祭りの創造――アイヌの帰属性/ と民族的共生」『民族学研究』(日本民族学会編)六六巻(二〇〇一年)三二二頁。森由美「アイヌ伝説/ ――マリモ伝説について」(http: //web. archive. org/web/20060117225640 /www. kgef. ac. jp/ksjc/ronbun// 880340y. htm)。*4

の最初に挙がっている山本多助(1904.7.5~1993.2.13)の本の「セトナと毬藻の話」に拠るらしい*5
 この本も未見だが、再三再四参考にしている若菜勇「マリモ伝説」の「釧路新聞」2018年9月24日掲載「⑨ 高まるアイヌ伝説への関心」に、山本氏がこの本で恋マリモ伝説が地元には伝わっていないことを初めて指摘した、とする。そして2018年12月17日掲載「⑯ ヒメマス話、身投げ話と合体」に拠れば、山本氏の本で、まづマニペが蘆笛を吹き鳴らしてから身投げ、幾日か後にセトナがやはり丸木舟で阿寒湖に漕ぎ出して戻らなかった、と云う後追い自殺の筋に整えられたらしい。
 伝説の筋はさらに変化し、敵役も登場しない、それこそ身分違いの熱愛の話になってしまうのだが、その一方で青木氏が捏造者として批判されるようになる。――その辺りの事情は若菜氏の「マリモ伝説」を参照されたい。
 いや、筋が違うだけではない。違っていると云えば主人公の名は、現行の伝説では「マニベ」ではなく「マニペ」なのである。この人名の変化については若菜氏の「マリモ伝説」2019年2月11日掲載「補遺① マニベとマニペ」に整理されている。
 そうすると、遠田氏は現行の筋に従いながら、人名は永田耕作や青木純二の原作そのままと云う、奇妙なヴァリエーションを作り出していることになる。
 なお、若菜氏は石附舟江『伝説蝦夷哀話集』の「戀の二つの毬藻/千古の秘密を漂はす阿寒湖」が、青木氏の「悲しき蘆笛」に拠る再話であることを指摘しているが、石附氏の本については8月29日付(33)に見たように、遠田氏も青木氏の本の影響を指摘していた。(以下続稿)

*1:行きは青森まで夜行急行の八甲田(帰りも)、そこから函館、札幌まで、それから増毛・留萌からの帰りには時間がなくなって、急行だか特急だかに乗った。

*2:友人は、2016年4月3日付「万城目学『鹿男あをによし』(3)」に回想した、高3の遠足で私の単独行動を許して(?)くれた班の班員だった。だから好きにさせて置けば良いと飲み込んでくれていたのである。

*3:通話可能エリアを示したA0判だかB0判くらいの全国地図が大学の廊下の壁にでかでかと張り出されていたような時代で、地方にはまだまだ着色されていない=携帯電話の通じない地域が広がっていた。

*4:ページが存在しないので、仮にスペースを空けてリンクしないようにした。

*5:国立国会図書館デジタルコレクションでは[国立国会図書館/図書館送信限定]なので閲覧は出来ないが、目次を見るに「15」頁である。