瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

成瀬巳喜男監督『女の中にいる他人』(4)

 昨日、映画『女の中にいる他人』で、妻を殺された杉本(三橋達也)が、犯人が親友の田代(小林桂樹)だと気付いてからも通報しなかった理由を、再見していないこともあって想像を交えてつらつら考えて、と云うか、妄想して見た。その続き。
 一方、親友・杉本の妻・さゆり(若林映子)を情事の最中に間違って殺してしまった田代だが、警察に疑われることもなく事件は迷宮入りの気配で、その意味では一安心なのだが、根が小心者なのでいつかバレやしないかと気が気でない。かつ、素知らぬ顔をして杉本に会うのが辛くて仕方がない。
 そこで何処から手に入れたのか劇薬の瓶を書斎の机の引き出しに忍ばせて、自殺も考えるほど思い悩むのだが、――確か、杉本に自分がさゆりを殺したのだと告白しようとする場面が、自殺を匂わせる描写の前だったか後だったか、前だったように思うが、あったと思う。しかし察知した杉本に遮られてしまう。そして、杉本が真相を知っていて尚且つこれまで通り自分に接していてくれたのだと思うと、いよいよいたたまれなくなってしまう田代なのであった。
 塞ぎがちである夫を心配する妻・雅子(新珠三千代)に勧められて、休暇を取って夫婦で山奥の温泉郷に出掛けるのだが、宿から散歩に出掛ける場面、予告篇と映画で妻の台詞が全く違っていたことは覚えている。いや、そもそもはここを切り口にして記事を書こうと思ったのであった。
 しかし、そんな気分転換でどうにかなるような悩みではない。黙っていることに堪えられなくなって、遂に妻に真相を告げようとする。理由が分からない妻には遮る理由がないから、聞いてしまってショックを受けるのだが、――どうも、この辺りの夫婦の遣り取りが思い出せない。とにかく、バレていないし、杉本も見逃しているのなら、このまま隠し通そうと妻は言うのだが、素知らぬ顔をして過ごすことが出来なくなっている田代は、いよいよ自首を決意し、妻の説得にも耳を貸さない。‥‥
 さて、私がこの映画のことを思い出したのは、9月20日に放送されたNHK松本清張ドラマ「黒い画集~証言~」をうっかり見てしまったからなのだが、これが途中から映画『黒い画集 あるサラリーマンの証言』とは違って、『女の中にいる他人』みたいな展開になるのである。
 ドラマの主人公・石野貞一郎(谷原章介)は映画の石野貞一郎(小林桂樹)とは違って開業医と云うことになっている。劇薬を入手しやすくするためでもあろう。そして、愛人の梅沢(浅香航大)を殺害してしまうのだが、こちらは後ろ姿も見られていないので、全くバレる気配がない。それでも気に病むのだが、そんな折、クリニックに梅沢の母・初枝(宮崎美子)が訪ねて来る。息子が生前、先生に本当に世話になったと繰り返し言っていた。自分に何かあったらこれを先生に渡して欲しい、と大皿を持って来るのである。一人になった石野が慌てて包みを解くと、朱の大皿に日月が切ってあり「別れの記念に」みたいなことを書いた紙が添えてある。これを見て石野は梅沢が自分のことを愛していながら、杉山の件で危うくバレそうになったのを教訓に身を引く覚悟をして、わざと愛想づかしのようなことを言ったのだと気付いて、泣きじゃくるのである。
 ここで気になるのは、梅沢の母がどの程度気付いていたのか、と云うことである。そんなに前から準備してあったとも思えないから、最近、そして、殺されるとまでは思っていなかったかも知れないが、とにかく拗れて、裏切られたと思い込んだ石野に憎まれて、会ってもらえない、連絡も取れなくなってしまう事態になることを梅沢は予想していて、自分が東京に行ってから、もしくは自分に何かあったようなときに、少し時間を置いて石野先生に届けて欲しい、と頼んで置いたのであろう。
 そうすると、梅沢の母は、事の真相を察していたのではないか。もちろん全てではない。殺害前に男性と性交していたことは知らされているだろうから、息子がそういう性癖であることは(以前から察していたかも知れないが)分かっていて、息子の言葉と、特に形見の品を言付けたことからして、石野がその相手だろうとは当然察しただろう。そうすると、別れ話が拗れて石野に殺された可能性も、考えただろう。しかし「何かあったとき」まで見越して、形見の品まで託した訳だから、そうなったとしても息子は本望だったのだとようやく納得出来たので、早朝、急に思い立って能登を出立して、金沢の石野のクリニックを訪ねたのだろう。
 石野にはそんな母の心を忖度する余裕などなかったろう。いや、自分が殺したことに感付いているかも知れない、くらいは思ったかも知れないが、とにかく自分が嫉妬に狂って愛人の真意を誤解していた後悔の念に押し潰されそうになり、そこで全てを抱えたまま自殺しようと云う考えから、自首して全てを吐き出してしまいたいと考えるようになるのである。――こうやって書いてみると、どうも急な宗旨替えのような気がするが、ドラマを見ている限り、余り違和感はなかった。
 そして、自首しようと云う前夜に、妻(西田尚美)に、杉山に見られたときに一緒にいたのは実は梅沢で、自分は少年の頃から男性しか愛せない人間で、君となら普通の男としてやっていけると思ったが、やはり駄目だった。そして梅沢を殺したのも自分で――その理由をどう説明したか、そんなに複雑なことは言っていなかったと思うが、忘れてしまった――自首しようと思う、と云ったことを告げる。
 映画『女の中にいる他人』では、停電で懐中電灯を使っているときに告白して、その電灯に照らされた新珠三千代の表情が怖い、と云うことになっていた(私はそれほどとは思わなかった)が、松本清張ドラマ「黒い画集~証言~」では、電気も付けていない夜の書斎で、大きな窓を背にそんな話をする石野の話を聞く妻の顔を、折からの雷光が照らすのである。――これは完全に『女の中にいる他人』を借りているな、と思った。
 この後、努めて平静を装いながら、夫の決断を支持すると言い、別れの乾杯をしようと云って洋酒の準備に階下に行った妻は、夫のグラスにだけ、先日、書斎の机の引き出しに見付けた劇薬を砕いて混ぜ、夫を毒殺するのである。――『女の中にいる他人』では、まづ殺人の告白があって、しばらくして、やっぱり自首することにした、と段階を踏んでいたと思うのだが、こちらでは、殺人の告白の直後に妻に毒殺される。
 北陸の中心都市・金沢の名士なので、同性愛殺人が明るみになった場合、失う物=守るべき物が多い、と云うこともあろう。そもそも浮気相手が男性、と云うことからして、アウトだったのである。その上、殺人まで犯している。石野本人は自業自得だが、家族も金沢にはいられなくなる。折角代々受け継いで、長男に引き継がれるはずだったクリニックも閉院だ。娘も折角入った女子高、中心選手として全国大会に出場するまでになっているチアリーディングも辞めざるを得ない。急に東京だか大阪だかに転居して、自宅やクリニックを売却すれば経済的には当分困らないかも知れないが、娘は部活動も出来ず暗い顔をして、いつ父親が犯罪者であることがバレるかビクビクしながら過ごさないといけない。離婚して旧姓に戻せるなら良いが、離婚しても貞一郎の方が入婿だから別の姓になるのも簡単ではない。息子はちょっと図太そうだからそのまま大学卒業まで金沢に残るかも知れないが。

 しかし、夫が自首して石野家の名誉を傷付け、営々築いて来た金沢の名士としての豊かな生活を崩壊させることを防ぐ、と云うよりも、妻として、女性としてのプライドを傷付けられたことが堪え難かったことが、即座に毒殺を決断した理由として強調されていた。――『女の中にいる他人』では、そこのところは、何と言っても相手がセックスシンボルと云うべき若林映子だから、仕方がないと云った風で、それに当時は男の甲斐性とか云って浮気に寛容な空気もあった訳で、自首すれば自分は楽になるかも知れないが、私たちの生活はどうなりますか、と云った、家長としての責任の方が強調されていた。
 しかし、ウェイトの問題はあるにしても、結局は両方なのである。石野は、理由はよく分からないがノイローゼ気味になって、発作的に遺書も残さずに自殺したことにされてしまう。『女の中にいる他人』の田代も同じである。朝、書斎の机で、劇薬の小瓶を脇に置いて、突っ伏して動かないところも同じだったように思う。そして最後に、夫を毒殺しても家族を守ったこと、そして今後も守り続けるために死ぬまで真相を明かさない決意をした妻の姿を映して終わる辺りも、同じである。
 少し捻っていたのは、石野の死が描写された直後に杉山が釈放される場面があって、結局、妻の努力も空しく、何らかの綻び――自首を前に真相を綴った手紙を警察に送ってあったなど――に拠って石野の偽証と犯罪が明るみに出てしまったのか、と思わせて、実はそうではなく、石野の自殺(毒殺)の1週間後に富山で別件で逮捕された男が第一の事件の真犯人であったことが分かったためだと、誤認逮捕した間抜けな刑事たちの会話で明かされる。この、富山県で冤罪が分かると云うのは、富山県における冤罪事件(冤罪判決)所謂「氷見事件」を踏まえているのかも知れない。刑事たちはここに至って石野の偽証を疑うが、別にそのことと自殺理由とを結び付けていない。誤認逮捕の懲戒処分が予想されるのでそれどころではないのである。
 妻以外に真相を知っている(かも知れない)のは『女の中にいる他人』では親友の杉本、松本清張ドラマ「黒い画集~証言~」では梅沢の母だけで、ともに口外する心配はない。いや、梅沢の母のことを石野の妻は知らないのだけれども、とにかく自分さえ黙っていれば、母として子供たちを守ることが出来る。
 以上、中々上手く組み合わせてあったように思ったのだが、Twitter で検索して見ても「証言」の結末が『女の中にいる他人』に変わっていることを指摘する意見がない。BSで昨年5月に放送されたときまで遡ると、4人ほど類似を指摘していたが、今回は皆無である。 なお、TVドラマが2017年1月8日から2月19日まで全7回、毎週日曜22時~22時49分にNHKBSプレミアムで放送されている。地上波放送はないようだ。映画の3.5倍に引き伸ばしたせいか、公式サイトの CAST や STORY を見るに、いろいろと変えてある。面白かったのかどうか、Amazon レビューの点数は高くない。――或いは、この水増しして失敗した連続ドラマの反省から、核となるプロットだけ抜き出して綺麗に使って見せた、と云うことになるであろうか。(以下続稿)