瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

白石實三『武藏野から大東京へ』(1)

 昨日の続き。
 中島悦次が「雪女」伝説の資料として言及していた白石實三(1886.11.11~1937.12.2)の連載「武藏野から大東京へ」はその後書籍化されている。
中央公論社版『武藏野から大東京へ』昭 和 八 年 三 月 十 九 日 印  刷・昭 和 八 年 三 月二十四日 發  行・昭 和 八 年 四 月 八 日 五  版・定價一圓四拾錢・7+412頁・四六判上製本
②日本小説文庫455『武藏野から大東京へ』昭和十三年四月十五日印 刷・昭和十三年四月二十日發 行・定 價 金四拾五錢・春陽堂書店・312頁
③再建社版『武蔵野から大東京へ』昭和二十九年三月二十五日 印刷・昭和二十九年三月三十一日 発行・定価 二二〇円・口絵+254頁・B6判
 私の見た③は図書館によって上製本に製本されており、元の装幀は全く分からない。

 Amazonには③の刊年で出ているが、現在Amazonに掲出されている書影(表紙・背表紙・裏表紙)は①のもので、画像検索するに①は現在、函の写真もヒットするが、②③の書影は全くヒットしない。ただAmazon出品者の説明を見るに、③にはカバー(ビニールカバー)と帯が掛かっていることが分かる。
 生前刊行は①のみ。現在オークションサイトに函も備わった初刷が出品されており、奥付の写真を見るに五版発行の1行がない他は一致しているように見える。2週間後の増刷であるから奥付の裏の「長谷川伸傑作新集」の広告、戯曲集『刺青奇偶*1』と小説集『濡れ闇の男*2』も同じであろう。私の見た五版は目次の扉、左下に朱文長方印「府京東八王子市  八日町一〇清水庫之祐」上に枠1つ、その下を3つに仕切って名前の枠が広い。その上に「昭和八年七月十五日』と墨書。赤鉛筆の傍線が少なからず引かれているが、これは裏表紙見返しに貼付されている古本屋の書店票(天 狼 書 店日野駅)に「2、800―」赤線の上に黒の万年筆で値段を記入しているが、赤線の下に同筆で「線有」とある。天狼書店で扱った段階、すなわち旧蔵者の清水氏に拠る書入れなのであろう。しかしこの書入れを除けば頗る状態は良い。
 白石氏は群馬県碓氷郡安中宿(現・安中市)出身の作家で田山花袋門下、武蔵野文化協会の前身である武藏野會に結成時から参加し武蔵野の歴史・地理・文化に関する本を何冊か著している。そのため中島氏はこの「実話ロマンス」を、伝承を記したものと判断したのであろう。ラジオ放送だから批判或いは疑問を表明せずに、一応何でも肯定的に捉えて見せただけかも知れないが。
 しかしながら、Wikipedia風魔小太郎」項にて、小峯堂なる執筆者は「1932年10月から翌年2月にかけて『読売新聞』夕刊に連載された白石実三のオムニバス小説『武蔵野から大東京へ』には、武蔵野の妖盗・風摩小太郎が登場する。‥‥」と小説扱いしている。ただ、江戸時代に材を取った節は小説扱いで良いと思うが、東京市内、東京府下、さらに近県にまで足を伸ばして現地の人から話を聞いたりと云った、随筆らしき節も多々あり「オムニバス小説」としてしまって良いか、判断に苦しむところである。そうするとやはり「実話ロマンス」と云うべきであろうか。しかしどうも「実話ロマンス」と云うのが私にはピンと来ない。
 それはともかく、Wikipedia風魔小太郎」項に戻ると、小峯堂はさらに脚注「20.^ a b 前島康彦「白石実三氏、吉田弦二郎氏の思い出」雑誌『武蔵野』No.233、1958年2月、10-13,9頁」を参照しつつ、

前島康彦は、白石の『武蔵野から大東京へ』は、同じ『読売新聞』で連載された矢田の地誌読物『江戸から東京へ』の影響を受けており、矢田が旧東京市内を対象としたのに対し、白石は専ら新区に舞台を繰り広げた、としている[20]。しかし『武蔵野から大東京へ』によると、白石は旧区の話題も取上げており、むしろ話の内容が地誌を離れて空想味を強めていたようである。前島によると、「大森貝塚」の話の中で、出土した人骨にカニバリズムの痕跡がみられるとして、それを肯定していた点などが当時一部で物議をかもした、といい[20]、白石は、何度か出てくる人肉嗜食の話題のほかにも、「人柱奇談」「家伝河童の妙薬」「雪をんな」「秩父の怪蛇」など、怪物・奇人の話題と史話を組合せて話を展開している。

と内容について述べるのが、ネット上に見える本書についての唯一の纏まった評価であろう。前島康彦(1910.9.26~1988.12.10)は東京市公園課で、鳥居龍蔵(1870.四.四~1953.1.14)とともに武蔵野会を結成した井下清(1884.8.1~1973.8.8)課長の下で当時の東京市の公園行政に関わっていた人物で、歿後、武蔵野文化協会(武蔵野会の後身)の機関誌「武蔵野」第68巻第1号(1989年9月)が「故前島康彦博士記念号」に宛てられるように、非常に大きな存在であった。(以下続稿)

*1:振仮名「いれずみちやうはん」。

*2:振仮名「ぬ・やみ・をとこ」。