瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

白馬岳の雪女(077)

・遠田勝『〈転生〉する物語』(36)「五」1節め
 昨日の続き。
 遠田氏が『アルプスの民話』に気付いた理由だが、一草舎版『山の伝説』を見たからだろう。
 本書は一草舎版『山の伝説』には触れていないが、9月10日付(043)に引いた注にて、村沢武夫の伝記的事項の資料として一草舎版『信濃伝説集』に触れている。『山の伝説』『信濃伝説集』ともに長野県図書館協会 編「信州の名著復刊シリーズ」第1期「信州の伝説と子どもたち」の1冊として刊行されたのだから、遠田氏は当然、この一草舎版の『山の伝説』も入手したことだろう。
・「信州の名著復刊シリーズ」第一期/信州の伝説と子どもたち『山の伝説』二〇〇八年十月十六日  第一刷発行・定価1,800円・一草舎・.304頁・四六判上製本
 詳細は初刊本(丁未出版社)と比較しつつ述べることにしたい。ここではこの一草舎版で追加されている、299~304頁、高橋忠治「解説」の最後、303頁10行め、2行取りで「 【アルプス情話】」と題して、以下304頁8行めまで、

 ところで著者は東京朝日新聞記者として、大正十三年に札幌の富貴堂書房から『アイヌ/の伝説と其情話』、また大正十五年には『アイヌの伝説』(第百書房)などの著書を上梓し/ている。そこでは純情なアイヌ娘や逞しい青年の悲しい恋の物語を多く収録している。伝/説は壮大な世界を描くとともに、細やかな情感をも掬*1いあげるのである。【303】
 本書『山の伝説』でも、山里の娘や若者、あるいは鴛鴦や動物たちの悲恋を幾篇も収録/している。それも新聞記者らしい手慣れた筆致で叙述していて、一読これは伝説かしらと/思わせられるものもある。
 昭和三十七年に『アルプスの民話』(潮文社)を著した作家の山田野理夫は自著の序文/で「……わたしの父の書棚に、青木純二というひとの『山の伝説』という本がありました。/わたしの愛読したひとつです。わたしはこのような本をまとめてみたいと思っていました/……」と述べている。そのようにみてくると、本書は民俗学的な資料性よりも読み物とし/ての性格に特徴があるといえよう。

と評している。この、最後の段落の記述から、遠田氏は山田野理夫『アルプスの民話』を見たのであろう。ところで私の見た『アルプスの民話』は、7月23日付「山田野理夫『アルプスの民話』(1)」に挙げた諸本の、初版である上製本はもちろん、昭和47年(1972)の⑤潮文社新書(新装版)でも「青木純」になっているのを、高橋氏は勝手に「青木純二」に改めている。単純な誤植と考えたのかも知れないが。それはともかく、――この書き振りから高橋氏は、山田氏の『アルプスの民話』も『山の傳説』と同類の「読み物」と見做していることが察せられるのだが、遠田氏はそこを敢えて、本書24頁11行め「口碑あるいは古い伝説として記録されたものであること」の条件に合致するものに含めてしまう。
 高橋氏の「解説」には、青木氏の素姓について「東京朝日新聞記者として」以上の説明をしていない。かつ『アイヌの傳説と其情話』と『アイヌの傳説』が同内容であることも確認していないようだ。『アルプスの民話』についても、読み比べて似たような話が多いくらいの印象で書いているのであろう。
 しかし、折角の機会なのだから、長野県図書館協会の総力を挙げて、図書館司書のレファレンス能力を発揮して、典拠とまでは行かなくとも、せめて同時刊行の村沢武夫『信濃伝説集』と同一の話題の割合くらいは調査して、信州の伝説本に於ける『山の傳説』の位置付けくらいは示してもらいたいところであった。高橋氏の評価はやや文学面での印象に偏しているように感じられる。そしてこうした高橋氏の評価が、遠田氏の『山の傳説』及び青木純二評価の土台にあるように思われるのである。大体合っているとは思うけれども。(以下続稿)

*1:ルビ「すく」。