瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

白馬岳の雪女(078)

・遠田勝『〈転生〉する物語』(37)「五」1節め
 一昨日の続きで101頁7~9行め、『日本伝説傑作選』へのコメントを見て置こう。

 6の「白馬の雪女」(『日本伝説傑作選』)は、松谷みよ子と同じく、村沢武夫の「雪女郎の正体」/を原拠とする、職業作家の手になる再話であるが、通俗的な「情話」への傾斜が著しい。七〇年代/中頃には、民話ブームをあてこんで、こんな再話までが出版されていたのである。


 この本には既に触れていたので、このような書き方になっているので、「二 ハーンと「民話」の世界」4節め「「雪女」の改良・修復」に、村沢武夫『信濃の傳説』もしくは『信濃傳説集』からの再話として、松谷みよ子の再話の比較対象として取り上げられていた。60頁2~13行め、

‥‥。実は、職業作家が村沢の/「雪女郎の正体」を再話した例がもうひとつある。冒頭に掲げた、白馬岳の雪女伝説のリストの六/番目にある「白馬の雪女」がそれで、松谷の『信濃の民話』から十二年後の一九七四年に刊行され/た『日本伝説傑作選』に収録されている。筆者は中山光義という職業作家で、例によって出典につ/いてはなにも書かれていないのだが、内容から見て、まちがいなく、松谷と同じく、村沢武夫を原/拠とした再話である。
 ここでは雪女は小雪を名乗り、茂作が白い息を吹きかけられるシーンが欠落し、小雪は、子供に/ついてなにもいわぬまま姿を消してしまう。村沢のずさんな語りは、ほとんどそのまま忠実に引き/継がれている。再話の前半に、山の猟師の服装や食料について、そして、晩秋が熊が山の木の実を/食べ脂がのっていることなど、原拠にはない加筆がふんだんにほどこされているにもかかわらず、/である。つまり原話にいらざる装飾を加えるのは容易だが、欠落してしまったものを元に戻すこと/は、職業作家にとっても、想像力だけではほとんど不可能なのである。


 まづ「十二年後の一九七四年」とあるが、これでは『アルプスの民話』からの勘定になっている。ここも校正が甘いと云わざるを得ない。『信濃の民話』からであれば「十七年後」である。
 しかし、やはり「冒頭に掲げた、白馬岳の雪女伝説のリスト」が「口碑あるいは古い伝説として記録されたものであること」を採録の条件にしていたこととの齟齬が気になる。――当初は「口碑あるいは古い伝説として記録されたもの」のつもりで、この本を手にしたのであろう。しかし「職業作家」による「いらざる装飾」が「ふんだんにほどこされ」た「再話」作品であることが種々検討の結果判明した以上、リストからは除外するべきだったのではないか。
 一九七〇年代までの口承を元にしたかのような「白馬岳の雪女」の文献は(結局はどれも青木純二に淵源する書承の産物なのだけれども)長野県と富山県に数点ずつ認められる。『日本伝説大系』の「使用資料一覧」に出ている、早い時期の県域全体を対象とした伝説集くらいは当然確認して置くべきだったろう。9月9日付(042)に引いたように、わざわざ国立民族学博物館に村澤武夫『信濃の傳説』を見に行ったことを特筆していたではないか。もちろん、きちんと調べるとなれば国立国会図書館や、長野県立図書館・富山県立図書館に行って、1日では済まないかも知れない。しかし、杉村顕『信州の口碑と伝説』であれば復刻版を大阪府立図書館でも兵庫県立図書館でも所蔵している。貸出も可能である。――村沢武夫の依拠した本が青木純二『山の傳説』ではないことは、大阪周辺の公立図書館で、直ちに判明したはずなのである。
 やはり、遠田氏の挙げる「八話」が、村澤武夫『信濃の傳説』を除いて東京で出版されたものばかりであることが気になる。口碑伝説の類は、特にそれが「口碑あるいは古い伝説として記録されたものである」場合、その土地の人が調べて纏めて、地元の出版社に持ち込んで刊行するケースが多いのではないか。それだのに、本書が使っているのは松谷みよ子が利用したと云う事情で無視出来なかった『信濃の傳説』だけなのである。調べ方がおかしい、いや、――解っていない、と云わざるを得ない。
 斯く云う私も今のところ長野県立図書館や富山県立図書館まで出掛ける手間は掛けていない。そうしたいと思っているのだけれども。だから、遠田氏が「まちがいなく‥‥村沢を原拠とした」と決め付けたことが危なっかしく思えてならない。中山氏が「ずさんな語り」を「ほとんどそのまま忠実に引き継」いでいるのと同様に、「いらざる装飾」も別の人が「加えた」のを「そのまま忠実に引き継」いだのかも知れないじゃあないか。――次回は『日本伝説傑作選』が如何なる本であるか検討することとしよう。(以下続稿)