瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

白馬岳の雪女(083)

 さて、ここで遠田勝が取り上げている、富山県の2話のうち、まづ8の『日本昔話通観』第十一巻を見て置こう。
・『日本昔話通観●第11巻富山・石川・福井』(3)
 本書については10月6日付(065)に概要を示した。
 そして10月7日付(066)に見たように、「139 雪女」の典型話が「富山県中新川郡立山町」の「伊藤稿 No.10」なのである*1
 話者の口調をそのまま写した原文をそのまま引くと長くなるので、類話の次、277頁下段4~21行めに纏めてある要約を見て置こう。

《モチーフ構成》
 ①猟師と息子が山へ猟に入ると、雨風が強くなったので山/小屋に避難し、着物を乾かすうち、二人とも疲れのために寝/込む。
 ②息子が寒さで目をさますと、山小屋の戸がスウーッと開/き白い人影が入ってきて父に近寄り、つぎに自分に近寄って/きて、このことを他言するな、命にかかわるぞと言って去/り、やがて雨風もおさまって父子は帰宅する。〔C 420.2 タ/ブー―あるできごとについて話すこと〕
 ③つぎの正月、雪の晩に女が訪ねて来て、道に迷ったと宿/を乞うので母親が泊めてやり、よく働く娘なので息子の妻と/し、子ももうけて仲よく暮らす。〔T 111 人間と超自然的存/在との結婚〕
 ④息子はある晩、子供に乳を与えている妻の横顔を見て、/十年前の白馬岳の女を思い出すが口に出さないようつとめて/いたが、しまいに妻に言うと、妻は「約束破ったのお」と言/って、子を頼み去る。〔C 932 タブーを破って妻(夫)を失/う。T 111.0.1 超自然的な妻と結婚するが、妻は姿を消す〕


 原文もこの通りに段落分けされている。①275頁下段3~14行め②15行め~276頁上段16行め③17行め~下段10行め④11行め~277頁上段3行め。
 但しこれだけではやはり説明が足りない。以下、細かいところを補いながら確認して置こう。
 少々意外なのは①雪ではなく275頁下段14行め「雨風」であることで、②真夜中に目を覚ました理由が15~17行め「なんやら体寒/うなってきて」で「そって外見たら、少*2し雪が降/ってきたがめたい」しかし276頁上段14~15行め、翌朝は「雨風もおさま/ってきたきたとお。」とのことで結局雪は殆ど降らなかったようで、積もってもいないようだ。
 梗概の②には「白い人影」としかないが④に「横顔を見て、‥‥思い出す」のだから、はっきり顔を見ている。すなわち、276頁上段9~10行め「顔をジッとにらみつけたら、すきとおるような美*3しい女やったとお。」――しかし、父にも近寄るだけで息を吹き掛けていない。確かに、何しに来たのか分からない。以後、③④に父親は登場しない。母親は③で主導的な役割を果たすが④には登場しない。
 ハーン「雪女」では、行燈の光で針仕事をしている妻の顔を見て、ふと思い出して口にしてしまう。そして妻に促されて詳細を語ってしまう。一方④は授乳する横顔を見ていて276頁下段12~16行め「ふと、十年前、白馬岳の山小屋で見たあの女のことを思い出/いたがやとお。そして、こりゃ、あの雪女でなかろか思うたれ/ど、黙って寝たがやとお。そっやれど、黙っておられんように/なって、とうとう、息子は、ある日、山小屋のあの夜の話を女/に語ったがやとお。」と云うので、うっかり口にしてしまったのではなくて、気付きながらしばらく黙っていたことになっている。
 登場時、大して雪が降っていた訳でもないのに「雪女でなかろか」と思ったと云うのも妙である。かつ、いなくなった時期が冬なのか、夜なのかも分からない。雪が降っていたのかも分からない。なんとなく、そういう場面を想像してしまうけれども。
 それから、276頁下段9~10行め「何年かたって子どももでっ/けて、」と云うので、ハーンは10人、青木純二は5人、3人にしている人もいる、雪女の生んだ子供の数はこの話では1人のようである。だから10年経っても若いまま、と云う件もない。
 色々と奇妙な感じなのだが、この話の最大の弱点は冒頭、275頁下段3~4行め、

 むかし、むかしのことやが、あの白馬岳のふもとに、親子三人/で暮いておる猟師がおったがやとお。冬さむいある日、‥‥

との設定であろう。現代の地図を見ても分かるように、長野県側と違って富山県側は山が深く、そもそも「白馬岳のふもと」と呼べるような場所がない。敢えて云えば黒部峡谷辺りと云うことになるが、越冬出来るような場所ではない。雪の時期に、黒部川の支流の黒薙川のさらに上流の柳又谷を遡って白馬岳の辺りまで猟に入ったのかどうか、――だから、雪の時期ではなくまだ冬でも「雨風」の頃に設定しているのかも知れない。もちろん、伝承地が黒部川の西、立山のさらに西麓と云うことになるから、地理を詳しく把握していた訳ではあるまい。ただ、冬山の気候と猟期は分かっていただろう。
 その意味では、白馬岳の話にしない方が疑問の余地がなくなるのだが、白馬岳のことにしてしまったのは、もちろん「地名の魔力」などではなくて、別の理由があるのである。(以下続稿)

*1:11月15日付(081)に見たように遠田氏はこの話について「採話の日付がわから」ないので「刊行年を成立時期とせざるをえず」などと書いているが、本書697頁下段8行めに「27 伊藤稿――伊藤曙覧 1980」とあって稿本の成立年が示されていることに触れていない。まぁ、本書刊行の前年で、1年しか違わないのだけれども。

*2:ルビ「ちよつこ」。

*3:ルビ「おつく」。