瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」拾遺(183)

・叢書東北の声44『杉村顕道作品集 伊達政宗の手紙』(6)
 昨日、481頁図版『新坊ちゃん傳』の識語を紹介して、樺太から仙台に移った時期が昭和12年(1937)8月であることを確認した。土方正志「◎解説◎杉村顕道の足跡」は、平成26年(2014)8月の「山形新聞」連載「やまがた再発見」をそのまま再録しているので、叢書東北の声11『杉村顕道怪談全集 彩雨亭鬼談』の次女・杉村翠の談話「父・顕道を語る」に従って昭和11年(1936)としている。――ここを書き換えていないところからして、やはり本文は新聞掲載時のまま手を入れていないようだ。私のような人間には「山形県外ではほとんど目に触れる機会がな」い地方紙の連載をそのまま再録してくれたのは非常に有難い。
 しかしながら、その後の調査で誤りであることが分かった点については、やはり本文の後にでも書き添えて欲しい。うっかり気付かない人もいるだろうと思うのである。
・488頁下段3行め、「付「金田一京助 杉村顕道未刊行和訳/  唐詩選序文」との題に添えてやや小さく下寄せで「『仙台学vol.13』(二〇一一年二月二日荒蝦夷刊)より」とある。これは12月10日付(179)に引用した、この解説の前置き部分、472頁6~7行めには「‥‥小社『仙台学』vol.13(二〇一一年一一月一/一日刊)‥‥」とあった。――この付載の文章の冒頭、488頁下段4行めには「 昨年二月、‥‥」とあり、17行め「 そして、この九月二七日から一一月二七日まで/‥‥」とカメイ記念展示館の杉村惇展が紹介してあって、どうやらここは2月2日ではなく会期中の平成23年(2011)11月11日が正しいようである。スキャナで読み取ると「一一」を「二」と読んでしまうことがあるが、ここもその類の誤りであろう。
・「底本一覧」492頁の次、奥付の前。横組み中央揃えで「ゴシック体」で作品名、その下に明朝体で底本、さらに懸賞応募作品などについて小さく「*」で註記したものもある。この底本と註記は、各作品の末尾にも、前回の最後に引用したような按配で入っている。今、同じ箇所を抜いて置くと26~28行め(中央揃えにしづらいので左揃えにした)、

「新 坊ちゃん伝」
『新 坊ちゃん伝』友文堂書房/1947年
*1937年、樺太日日新聞に中川並木のペンネームで「今様坊ちゃん」として連載

と、漢数字が算用数字になっている。続く29~30行め(改行位置「|」)には「「女学校物語」|『女学校物語』野村書房/1947年」とあるのだが、421~470頁「女学校物語」の末尾には、470頁下段15~17行め、

『女学校物語』野村書房/一九四七年
*一九三七年、樺太日日新聞に中川並木のペ
 ンネームで「今様坊ちゃん」として連載

とある。――どうも編集に際し「新 坊ちゃん伝」の底本註記データを流用して、誤って初出情報を消し忘れてしまったらしい。
 この2点については12月12日付(181)の後半に、国立国会図書館サーチ等で判明したことをメモしてある。(以下続稿)