瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

中島正文 著/廣瀬誠 編『北アルプスの史的研究』(5)

 昨日の続き。
「第五章 立 山 史 談」445頁扉(頁付なし)。
・446~450頁11行め「立 山 談 義」(『観光手帖』一号・昭和二十九年)
・450頁12行め~455頁18行め「立山室堂の話」(二三、一〇、一五 於 杏子文庫)
 成稿の日付と場所のみで初出が示されていない。但し廣瀬誠〈編集後記〉には583頁17行め~584頁1行め「‥‥。日本最古の山小屋立山室堂についても、日本山岳会富山支部の『山岳、富/山』創刊号にその詳細な研究を発表した。」とある。そこで「富山県立図書館郷土資料情報総合データベース」で検索するに、中島正文「立山室堂の話」は、日本山岳会富山支部「山岳」1号(昭和23年10月)20~24頁に掲載されていたことが分かる。
・456~461頁8行め「立 山 詣 日 記/――ある放送から抜粋――」(『辛夷』昭和四十年八月)
「第六章 五 箇 山 雑 記」463頁扉(頁付なし)。
・464~475頁5行め「五箇山の籠ノ渡に就て」(中越郷土叢書三号、昭和三十年八月)
・476~483頁6行め「熊の記録」(中越郷土叢書二号、昭和二十九年十一月)
 砺波図書館協会「中越郷土叢書」は第一集(昭和29年7月)から第二十六集(昭和55年7月)まで刊行されている。未見――「叢書」とあるので何かテーマ別に史料の翻刻・紹介をしたり、文藝や民俗についての調査結果を纏めたりしたもののように思われるが、富山県立図書館では雑誌扱いで「富山県立図書館郷土資料情報総合データベース」で検索して「県内記事情報検索」の結果を見るに、第二十集(昭和44年4月)「文化二年赤祖父谷之内小屋場新開東西原村ゟ仕ニ付申分一巻」や第二十二集(昭和46年4月)が「越中砺波郡三郎丸村櫻井家種蒔覚帳」のように古文書を翻刻したらしいものや、第二十六集(昭和55年7月)「上平村小瀬羽馬家文書史料目録」のような目録、第二十三集(昭和48年9月)齊藤五郎平「福野俳諧史」のような研究書と云うべきもの等、1冊が1つの主題で統一されているが、第十九集(昭和42年12月)までは複数の執筆者が様々な内容の寄稿をしている、普通の地方史の雑誌のような内容であった。
「第七章 山 岳 雑 記」485頁扉(頁付なし)。
・486~500頁2行め「日 本 登 山 史」(『登山講座』第六巻・山と溪谷社・昭和十八年)
 全6巻。戦後、同じ版元から全6巻・別巻1で刊行された『登山講座』とは別物である。
・500頁3行め~506頁13行め「山の蒐書入門」(『山岳会報』八六・八七号、昭和十四年五月・六月)
・507~510頁7行め「回 想 の 岳 人」(『山岳会報』二二四号、昭和三十七年十二月)
・510頁8行め~513頁15行め「烏水翁のこと その一」
・514~517頁7行め「烏水翁のこと その二」(『山岳会報』二三八号、昭和四十年四月)
 前回見た「日本山岳会」HP「会報「山」バックナンバー」にて、昨日「山の蒐書入門」を閲覧したところなのだが、年末になったせいか今日はアクセス出来なくなっている。年明けにでも確認することとしよう*1
・517頁8行め~521頁15行め「山 と 古 俳 句」(『山』創刊号、昭和二十二年九月)
・522頁「廣瀬誠君筆写本「黒部奥山と奥山廻り役」の巻頭に寄す」
 「昭和二十九年七月十九日」付。――この30年ほど後のことになるが、私も小学生の頃には戦前の昔話集を借り出しては筆写したものであった。文具店などにコピー機はあったと思うが今のように10円ではなく、大量に取るものではなかったと思う。当時、図書館では地図の複写を取った覚えはあるが本の複写を依頼した覚えがない。但し気に入った話ばかり書き写して、丸々全部書き写そうと云う頭がなかったので、何百枚何千枚あると思うが活用の方途がない。尤も、この作業のお陰で本字と新字、歴史的仮名遣いが苦にならなくなったのだけれども。そして今、古書の復刻に際して魯魚の誤りが絶えないのは、このような作業を経過していないせいだろうと思うのである。(以下続稿)
2022年1月2日追記】当初「「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」拾遺(193)」と題していたが、余りにもそちらに関わらないままになったので記事の題を書名に改めた。

*1:2022年1月10日追記】年明けに閲覧出来るようになったので、初出との比較を2022年1月10日付(14)に述べた。「烏水翁のこと」は「回想の岳人(2)」で「その一」と「その二」が纏めて掲載されている。「回想の岳人⑴」には見出しがない。従って507~517頁7行め「回想の岳人」とするべきであった。