瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

中島正文 著/廣瀬誠 編『北アルプスの史的研究』(9)

・小島烏水蔵『立嶽登臨図記』
 昭和21年(1946)3月の津沢大火と、そのときに焼失したもの、免れたものについては、「烏水翁のこと その一」にも記述がある。これは小島烏水(1873.12.29~1948.12.13)の回想である*1。書き出しを見て置こう。510頁9~17行め、

 小島烏水先生と相識ったのはいつ頃のことだったろうか。先年の火災で日記や手紙類まで根こそげに焼いてし/まったので、今では一寸思い出せぬ遠い昔のことである。それにそも/\の始まりが手紙の往復からであったか/ら確かなことは思い出せないのも致し方が無いと観じて居る。
 だが朧の記憶を辿って見れば、そうした手紙の往復は昭和九年の暮れの頃から始まったかと思う*2。烏水先生が「山/岳」第二九年一号誌上に「上高地は神河内が正しき説」と言う有名な上高地の地名考証の論文を発表せられた直/後のことであると思う。
 当時私は黒部奥山の史的研究に没頭して居る最中で、黒部峡谷についての資料はなんでもかんでも蒐集してお/り、峡谷背面の信濃地方の史料も関連して参考的に極力蒐集に努力していたので、この論文は頗る私の興味を惹/き注目を浴びたわけである。【510】


 国立国会図書館デジタルコレクションでインターネット公開されている小島烏水『アルピニストの手記』(昭和十一年八月十五日印刷・昭和十一年八月二十日發行・上製版 定價金二圓八十錢・書物展望社・312頁)の、202~219頁「上高地は神河内が正しき説/――この一文を故辻村伊助君に捧ぐ――」がこの論文で末尾、219頁4行めにやや小さく「(昭和九年五月)」と添えてある。「山岳」第二十九年第一號(昭和9年6月)1~11頁に発表されているから、これは脱稿の時期を示したものであろう。511頁9~14行め、

 私は一読するや否や感激の筆をとって二、三の申出をした。盲蛇に怖じぬ行為であったが、それが縁となって/先生の御知遇を受け、以来お手紙の往復を許される迄になった。が、まだまだ先生は高嶺の存在であって、近寄/る術もない田舎漢の私であった。
 それから間もなく、昭和十一年八月、名著「アルピニストの手記」が出版された。この中に「山の書籍国を行/く」の一項があって、加賀藩士榊原守郁の選著、「立嶽登臨図記」一冊(旧高木文庫蔵本)を借覧謄写せられた前/後の事情を記され、更に内容を詳細に紹介されたが、‥‥


 「山の書籍國を行く」は『アルピニストの手記』220~249頁に掲載されており、末尾、249頁8行めに「(昭和十年六月)」とある。初出(未見)は「山」2巻6号(昭和10年6月・梓書房)1~19頁。
 『立嶽登臨図記』に関する記述は230頁6行め~232頁5行め、ここでは「前後の事情」に関する箇所を抜いて置こう。232頁2~5行め、

 この「立嶽登臨圖記」の原本は、故高木利太氏の愛藏に係はり同氏の『家藏日本地誌目録』/の中に收められてゐる。恐らく天下の一本であらう。淺倉屋の若主人吉田直吉氏、畫工を/僦*3ひて一本を謄寫せられ、着彩潑墨、宛ら原本の如きものがある。私の讓り受けて出品し/たのは、その寫本であつて、原本ではない。


 浅倉屋は浅草にあった古書肆、2019年4月20日付「『三田村鳶魚日記』(09)」に引いた松本亀松の発言にある「浅吉」で、吉田直吉は後の十一代目吉田久兵衛。浅倉屋書店はその後練馬区小竹町に移転し現在は十三代目。
 512頁6~8行め、

 処で昭和十三年春、私の三回に亘る黒部奥山研究の論文執筆が終って、いざ發表を志すと共に、立嶽登臨図記/を何としても一覧せねば論文に画竜点晴とはならぬと言う懸念が頻りに沸いて来た。矢も楯もたまらず、当って/砕けろと許りに不敵な借覧のお願いの手紙を先生に差出したものである。


「画竜点晴」は「画竜点睛」である。
 その結果、11~18行め、

 だが旬日を待たずに、稀本立嶽登臨図記は温かい先生のお手紙を具して、突如、実際に突如として私の机辺に/姿を現わしたのだから、私の驚喜は絶頂に達した。
 この時の私の昂奮ぶりは現に火災を免れて手元に残った立嶽登臨図記の末尾に書きつけた註記でも判り、私の/脳底にはその時のことが今も脉々と新鮮に影像される。
「本書の原本は日本山岳会の長老、小島烏水先生の秘蔵せらるるものにして稀世の珍本たり。先生は余の懇請を/諒せられ、写了を快諾せられて遙々*4、御送本ありしを以て歓天喜地、即夜に筆を呵して写了し訖*5んぬ。昭和十三/年三月十九日、於杏子文庫、中島杏子印」と書いた。
 図記は美濃判の大本で僅か五葉の片々たるものであるが、‥‥


 「火災を免れて手元に残った」とある通り、『立嶽登臨圖記』は富山県立図書館(中島文庫)に収蔵されていて、富山県立図書館HPの「古絵図・貴重書ギャラリー」にてカラー画像が閲覧出来る。上の識語は原本とは小異がある。原本のままに翻刻して見よう。

本書ノ原写本ハ 日本山岳會ノ長老 小島烏水氏ノ秘蔵セラルル/モノニシテ 稀世ノ珍本タリ.
氏ハ余ノ懇請ヲ諒トセラレ 写了ヲ 快セラレ 遙ル/\送本/アリシヲ以ツテ歓天喜地 則夜 筆ヲ 呵シテ写了シ 訖ヌ
   昭和十三年三月十九日   於杏文庫 中島正文[子杏]


 印は横長の朱文長方印。なお、513頁2行めの鉤括弧が閉じていない。(以下続稿)
追記】投稿当初「「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」拾遺(197)」と題していたが、余りにもそちらに関わらないままになったので記事の題を書名に改めた。

*1:2021年12月29日付(5)に述べたような事情で初出誌の確認が出来ていない。

*2:読点からここまで字が詰まる。2字脱落があったのを校了直前に発見して無理に詰めたようである。

*3:ルビ「やと」。

*4:ルビ「はるはる」。

*5:ルビ「をは」。