瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

新聞解約の辯(3)

 秋、楽観論が世界にも日本にも広がっていて、職場でも窓は一昨年の寒くなり始めた頃だって閉まっていたが、昨年の同じ時期には部屋の入口のドアも気が付くと閉まっていた。そして私も、そこに隙間を作ろうと思ったとしても、実行を躊躇するようになっていた。一昨年の年末には全く出なかった忘年会の話も、昨年末には「もうしばらく控える」みたいな言い方になった。既にオミクロンの話が出ていたからそうなったので、出ていなければやったかも知れない。やっても平気だったかも知れないが。
 しかし、首相や都知事や府知事が深刻な顔をしてまた、要するに「様子を見る」、みたいなことを「先手先手で」と云うマクラ詞で言い始めた。欧米を見ていたら余裕をカマしていたらじきにアカンようになるくらい、分かるだろうに。
 11月下旬、政府が水際対策として日本に到着する国際線の新規予約を受け付けないよう、航空会社に要請したときには正直驚いた。いや、漸くこれまでの失敗に学んで本気を出したと思った。ところがマスコミ各社は何のつもりか、年末に一時帰国するつもりだった海外駐在員が、予約が取れなくなって困っている、と云った按配の、情緒的な報道を始めたのである。
 これまでの展開を見ていれば、空港検疫はザルなのにマスコミはその問題を厳しく批判するでもなく放置したままなのだから、またこれまでと同様に帰国者・入国者から広まるであろうことは容易に予測出来たはずである。しかし、空気しか読まなくなって(いや、本当に無能になって、読めなくなって)いるらしいマスコミの記者諸氏はすっかり楽観論に染まり切っていたらしい。日本の流行は落ち着いているのになんで帰国出来ないの? と云った報道振りで、結局日本人は3500人という枠までは帰国出来ることにしてしまった。WHOの記者会見で「入国規制(と云っても、日本人を帰国させるのなら、コロナは国籍を選ばないのだから、そんな規制)には意味がない」と答えたのを、恐らく楽観論のせいで( )内の文脈が読めずに、WHOも今更入国規制などしても意味がないと言っていると触れ回って、この帰国要求を後押しした。むしろ、これまで繰り返されてきた失敗から、条理を説いて因果を含めるのがジャーナリストの仕事だろう。又しても自主隔離から漏れが生じ、更に出国前に陰性証明を取っているはずの帰国者たちが空港検疫で日に何百人と引っ掛かるような按配だから、もうどうしようもない。沖縄や岩国の辺りは米軍由来だろうけれども、全国に拡がっているのは帰国者から、そして日本人を帰国させたのと同様の楽観論で、年末年始の帰省も観光旅行も規制しなかったから、バラ撒いたのである*1
 しかし、初詣とか、そんなに行きたいものかね? 私は人混みに出掛けようと思わないので、どうもよく分からない。実家にいた頃、両親が花火好きで、毎週のように出掛けていた。お前も来るか、と聞かれたが断った。実家を出てから、父の馴染みのレストランでの花火大会見物に招待されるようになって、御機嫌伺いも兼ねて毎年出掛けていたが、満腹になったところにアイスクリームなど冷たいものが最後に出て、私は実家を出てから冷たい飲食物を摂らなくなっていて、勿体ないから食べるけれども、うっかりしていると腹を下してしまう。しかも、行きの電車は始発の駅から混んでいて、もちろん会場最寄り駅の混雑は恐ろしいくらい、帰りも人が捌けるのを待って、遅くなるから実家に泊まって帰ることにしていた。だからその花火大会が休止になったときには正直ほっとした。私としてはそんな疲れる用事は要らないので、実家で、残したままにしている荷物や本の整理でもしながら、それに纏わる昔話でもしながら、過ごしたいのである。
 私は以前は、本物を見たいと云った気持ちもなくはなかったが、国文学を専攻して、江戸時代から始めて奈良時代まで遡って読んで行こうと思って江戸時代で足踏みしてしまった段階で、全てを見尽くすことは不可能だと思ったのである。本物を見るのも大変だし、そのことの知識を仕入れるのも大変である。死ぬまでよく分からずに過ごすことの方が多いのである。
 そう思ったから、私は古典を専攻していたけれども原本調査には、殆ど行っていない。どうしても必要なときには出掛けた。やはり原本を見て判ることは多いし、それに、活字本(翻刻や校訂本文)には読み間違いや誤植・誤入力など信用出来ないところがある。影印本は汚れと間違えて濁点を削除していたりするし、国立国会図書館のモノクロのマイクロフィルムは汚れや和紙に漉き込まれているゴミ、そして印刷と書入れ(墨書・朱書)が判別しにくかった。マイクロフィルムで全冊印刷してもらって、改めてその判別のため、閲覧申請をして昼飯抜きで朝から閉室まで原本と睨めっこしてコピーに汚れやゴミ、色を書き入れて行ったことがあった。最近は和紙の繊維が識別出来るくらいのカラー画像がネット公開されているから、そんな努力は要らなくなった。いや、何に拠って本文を確認したかを断って置けば、もうそれで良いのではないか、と思っている。むしろ、翻刻や校訂本文、要約・紹介がきちんとしているかどうかを検証した方が良いのではないか、と思っているのである。
 山岳部だったのにもう20年くらい山に出掛けていないのも、わざわざ現地に出掛けなくても、良いように思ったからである。花火など、子供の頃から然して好きでもなかったのだから、尚更である。2011年1月1日付「森鴎外『雁』の年齢など」に述べたように、そんなものは人混みを掻き分けてでも見たい人が見れば良いので、両親がせっせと出掛けて、やや興奮気味に帰って来て色々語るのを、茶を淹れてやりながら全く共感せずに、本当にそう思って「ご苦労様」と言いながら聞いていたのである。
 例年、年末に私の実家には日帰りで、家人の実家には泊り掛けで帰省していたのだが、家人の実家は田舎なので帰省しなくて良いと言われている。こちらもどうしても帰省したいと思っていないから正直助かっている。しかし私の実家では、どうも自粛生活に馴染まない父がしびれを切らして、11月半ばに、もうそろそろ食事会でもしたい、2月辺りにどうか、と言って来た。私は完全に終熄しない状況で会食などしようと思っていないので、それこそZoomで良いではないかと提案しているのだが、まるで乗って来ない。しかしもうそろそろ本気で指南すべきかと思っている。私も使ったことないけど。それはともかく、即答は避けて様子を見ているうちにオミクロンの話が出て来たし、どうなるか分からないが3回目接種の話もやや具体化して来たので、1週間後に3回目接種を終えてから相談しようと返事をしたら、やはりオミクロンと3回目接種に説得力があったものか、折れてくれた。しかし、もう少し前だったら会食する方向で押し切られたかも知れないし、会食しても何ともなかったかも知れない。
 いや、だからこそ、無料のPCR検査を充実させて欲しいと思っているのだ。オミクロンが蔓延しても、日本では検査能力がなさ過ぎて感染者の何分の一もあぶり出せないだろう。それなのに、選挙前には殆ど話題にも上らなかった18歳以下へのバラマキを最重要課題のように実現させやがった。与党があの通りだなんて、アベノマスクを止められなかった時点で、いや、当時の首相の数々の妄言妄動を窘めるでもなく放置し続けて来たのを見ても判るだろう。それだのに、そんなことをすっかり忘れて与党や維新に入れ続けるのは、因果応報と云う名の自己責任論を刷込まれ続けているせいだと私は最近思っているので、幼時仏像好きだったけれども、仏教にはまるで魅力を覚えなくなった。第一坊主が妻帯して寺を世襲するなどと云うのがおかしいし、前世だの来世などと云うのも前時代の遺産だと思っているので、墓が要るとも思わない*2。寺がなくなって、仏像や所蔵していた書籍や古文書が売りに出されても構わない、とは思わないのだけれども。
 それはともかく、マスコミが年末の一時帰国を後押しするような報道をしなくても、米軍基地があの通りではいづれは蔓延しただろう。しかし時間は相当稼げたはずである。インフルエンザに似ていると云って楽観論を振り撒こうとしている人がいるが、インフルエンザで学級閉鎖になっても職場が閉鎖になるなどと云うことはインフルエンザでは滅多になかった訳だから、やはり感染力はインフルエンザより強そうである。外国のデータでは致死率もインフルエンザより高いらしい。私の職場ではこれまで、チラホラ感染者が出ていたらしいのだが、顔を知っている人ではなかった。しかし今度こそ身近に迫って来そうである。いや、感染するかも知れない*3。言霊の幸ふ日本では、下手なことを言うとその通りになる、と云う刷込みがあるのか、楽観論ややってる感を出している人を、実は間違っていても、全く役に立っていなくても、例の都知事や府知事のように支持してしまう。やはり神道も駄目だな。だから、その通りになれかしと思っているのではない、状況を冷静に判断して、今度こそ覚悟が必要だと思うばかりである。いや「大丈夫でしょ」と言って罹らないのなら、これまで罹って死んだり後遺症に苦しんでいる人たちなんて存在しないはずではないか。いや、先の大戦で大コケしているではないか*4。しかし、いくら私が気を付けていても、周囲に、無症状で検査対象にも引っ掛からないような人で、全くの楽観論*5でなくとも「まぁ大丈夫だろう」くらいでも緩んでいるようなのが何人もいたら、どうしようもない。私は一昨年アメリカやブラジルなども抑え込みに協力していたら、今頃はもっと安心出来る状況になっていただろうと思っている。変異株もこれほど出現していなかったろう。しかし、オリンピックも今ややって良かったと云う刷込みが行われつつあるように、律して抑える方向はもう採られないであろう。――旧稿を纏めて投稿する準備をして置こうかと思っている。(以下続稿)

*1:1月8日追記】来週の大学入試共通テストで(昨年はそれで感染拡大したとの確証は得られなかったが、今度こそ)感染拡大しそうだ。以前の私は推薦入試反対派だったが、今年高校3年生だったら、秋の収まっている時期に決まってしまった連中は幸いだったな(しかも3学期は登校しなくても良い)と思うだろう。【1月8日夕方追記】しかし予定をずらすことを極端に恐れる官僚たちは、一昨年、9月始業を潰したように、数がどうなろうと大学入試共通テストを強行するだろう。そして生徒たちは、無症状ならもちろんのこと、症状が風邪並に軽微なら申告せずに、それこそ自分はコロナではないと念じて受験することだろう。――12月から日本人も一切入れなければ(余程事情のある人のみ、China や台湾並に施設での強制隔離を徹底して入国させることにして)何とか切り抜けられたかも知れないが。【1月14日追記鎖国主義者と誤解される恐れがあるので念のため。――別に台湾並に隔離を徹底して入国させるのであれば、外国人だろうが来てもらって一向に構わない。どうしてそこの対策を厳しくせずに、入れる入れないみたいな議論に短絡させるのであろうか。

*2:1月8日追記】だから何故あんなに遺骨を探したり遺体を発見したがるのかが、分からない。無理して収容しようとして二次災害で被害を拡大させた例も、幾つかの炭鉱事故や繁藤災害などの土砂災害で、少なからずあるではないか。

*3:1月8日追記】しばらく聞かなかった真夜中の救急車のサイレンを、年末から耳にするようになった。そしてここ数日、まだ暗くなる前から聞くようになった。しかし八百屋に買物に行ったら、レジに並ぶ通路は床に間隔を空けるようテープで立ち位置が示してあるのに詰めて来る。家族連れで来ている。緩み切ったままである。

*4:1月8日追記】当記事を読んだ家人が、私に会いたがっているお父さんが可愛そうになってきた、と言う。しかし、この年末年始に帰省して感染させた人は、決して少なくなかったであろう。私は小学校中学年の頃から火山や地震に関心を持って随分調べたので、一瞬の油断が命取りになったケースを幾つも知っている。だから「大丈夫だろう」では安心出来ない。もちろん、その陰に間一髪で切り抜けた例も多々あったには違いないけれども。むしろ責められるべきは私ではなく、楽観論と油断で事態を長期化させてきた指導層ではないのか。それが何故か個々人の自粛やら自己責任にされている。

*5:反ワクチン・ノーマスク・5類を標榜するような人は幸いにして周囲にはいないけれども。