瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

長沢武『北アルプス白馬連峰』(1)

長沢武北アルプス白馬連峰――その歴史と民俗昭和六十一年八月一日初版発行・定価 二、八〇〇円・郷土出版社・口絵+290頁・A5判上製本
 やや黄ばんだ鼠色の、皺の入った紙を被せた表紙、印刷は緑で、表紙中央にやや横長の明朝体太字で標題、「」の左脇に細過ぎて一見分からない「――」、「白馬連峰」の左脇にゴシック体でやや小さく副題。丸背の背表紙の上部に明朝体で「長沢 武」1字分空けてやや横長の明朝体太字で標題、1字分空けて細いゴシック体で〔 〕に挟んだ割書で「その歴史と 民 俗」。版元名はないが最下部の分類票の下に隠れているのかも知れない。
 見返し(遊紙)は赤みを帯びた象牙色で、扉はやや厚い、大理石風の透かしの入った紙に緑色で表紙と同じ標題と副題、さらに標題の右傍に細い明朝体で副題より少し大きく「長沢 武―――――郷土出版社」とある。
 続いてアート紙の口絵写真が8頁(頁付なし)。これは2021年7月1日付「長沢武『北アルプス夜話』(3)」に注意した『北アルプス夜話』の口絵写真と共通するものが少なくない。仮に〈番号〉を附して整理して置こう。キャプションは丸ゴシック体。なお『北アルプス夜話』は現在手許に②復刻版しかないので、①初版との比較は後日の課題とする。
・1頁め右列に4つ、〈1〉と〈2〉の間に左寄せ横組み「黒部奥山廻役が描いた絵図。㊤は白/馬連峰の部分、㊦は後立山の部分 」。〈3〉と〈4〉の間に左寄せ横組み「松本藩が作った絵図。㊤は北アル/プスの部分、㊦は白馬連峰の部分」。左列に3つ、〈5〉下に横組み「松川入山での銀山問掘り願文書(大町入正文書)」。〈6〉左に縦組み下寄せ「慶応三年四月の八方池風除観音 勧/進に関する記録(飯森田中文書) 」。〈7〉右に縦組み下寄せ「「郡治日録」の白馬岳登山に関する/記録(明治十六年 窪田畔夫筆)  」。〈1〉は②復刻版《9》と同じ絵図で一部が重なっている。
・2頁め右上〈8〉下に左寄せ横組み「白馬山頂の三角測量やぐら」。左上〈9〉下に左寄せ横組み「明治末期の大黒鉱山舗口/(松沢寿幸蔵)」2行めは右寄せ。中やや右下〈10〉左に下寄せ縦組み「大正初年の白馬頂上小屋㊨と大正/六年の女子の登山姿㊦(白馬館蔵)」。㊦の〈11〉は下左。〈10〉は②復刻版《3》。
・3頁め上半分〈12〉下に左寄せ横組み「村営白馬頂上小屋の内部/(大正10年 丸山高蔵)  」。中やや右下〈13〉左に下寄せ縦組み「大正時代の猿倉小屋㊤(丸山高蔵)/と女子の登山姿(大正末年)㊦  」。㊦の〈14〉は下左。〈12〉は②復刻版《6》。
・4頁め、右上〈15〉下に右寄せ横組み「白馬館から自動車で帰途につく東久邇宮殿下(大正6年)」。右中〈16〉下に右寄せ横組み「〓旅館とボッカ姿(大正末年)」〓は「〈」冠に木。左上〈17〉下に左寄せ横組み「大正時代のボッカ」。下〈18〉上に左寄せ横組み「白馬大池の観測を記念してパチリ(大正9年7月)」。
・5頁め、上半分〈19〉下に左寄せ横組み「昭和初年の登山姿(昭和3年・松沢寿幸蔵)」。下半分〈20〉上に右寄せ横組み「大日岳山頂に祀られた鉄剣(昭和2年・後藤敏蔵)」。〈19〉は②復刻版《7》。
・6~7頁め見開き、6頁め上半分と7頁め上右〈21〉下に右寄せ横組み「3月の栂池と栂池ヒュッテ」。6頁め下〈22〉上に左寄せ横組み「昭和10年ころの唐松小屋」。6頁め下左端~7頁め下右〈23〉7頁めの下に右寄せ横組み「蕨平スキー講習会と/   黒田初子夫妻」。7頁め左に上中下3つ、上〈24〉下に左寄せ横組み「昭和初年のスキー講習会の人たち」。中〈25〉下に右寄せ横組み「落合スキー場でのスキー大会に集まった人たち」。下〈26〉下に左寄せ横組み「昭和20年ころの村営白馬岳頂上小屋」。
・8頁め、上〈27〉左に下寄せ縦組み「登山客でにぎわう四ッ谷駅(昭和三十一年)」。中〈28〉左に下寄せ縦組み「瀬戸川にかけられたカゴ渡し/(昭和三十五年)」2行め下詰め。下〈29〉右に下寄せ縦組み「焼失直後の白馬山荘(昭和三十四年秋)」。
 写真は『北アルプス夜話』②復刻版よりも大きい。キャプションに若干の齟齬がある。(以下続稿)