瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

成瀬昌示 編『風の盆おわら案内記』(3)

 今回も余談に終始する。

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 八尾の人と知り合いになって、風の盆に招待されるようなことがあれば、つまり八尾旧町の民家の二階から眺めていられるのなら行って見たいと思うけれども、観光客の一人として人混みに参加しようとまでは、1月7日付「新聞解約の辯(3)」の中程に述べたように、私は思わないのである。
 私が何度か足を運んだ行事は、九品仏のお面かぶりくらいである。私が行っていた頃には8月16日、私はお盆に帰省する訳でもないので、下駄を突っかけて前日の、他に人気のない境内で橋を組み立てているところや、翌日の橋を解体するところまで眺めたものだった。しかし2017年から5月5日に変更になって2020年は中止。――境内で警備員が射殺される事件が起こって、戸締りが厳重になる前だったからもう20年以上前*1、3年に1度だから2回か、せいぜい3回行ったに過ぎないのだけれども。お面を被るのはそう遠くない時期に極楽往生を願っているような人だから、足取りが覚束ない人が少なくなくて、そうでなくても重そうな、視界の殆どが遮られるお面を被って仮橋を渡るのだから付き添いと共にゆっくり歩く。人によっては殆ど抱えられるようにして歩く。従って、風の盆のような陶酔感はない。ただ、参加するのに幾ら掛かるのか知らないが、お面を被る人たちは品の良い裕福そうな人ばかりなので、孫娘らしい付き添いが吃驚するくらい、私の周囲にはついぞ見たことのないような美女だったりすることがときどきあるくらいである。ただ、混むけれども境内もそれほど広くはないし、人の背丈よりも高い仮橋を渡って行くので、見えづらいと云うことはない。そして私は6ヶ月定期を買って夏休みも大学や都内の図書館に出掛けていたから、途中下車して、今ほど暑くなかった夏の風情を味わっていたのである。
 結局私は、田舎の、村祭りもやらなくなっている農村の次男坊で、高校までで郷里から離れてしまい、そして3年か4年毎に転勤で転居するような者の倅なので、どこにも伝統に繋がる糸口がないのであった。正月や盆に父の郷里に行っても、特に何か特別な行事に立ち会ったと云う記憶はない。母の実家は大阪の新興住宅地で、夏に子供会で地蔵盆をやっているくらいであった。――憧れはあっても、伝統に雁字搦めにされるのも亦大変だ、と思って過ごすばかりである。
 風の盆を扱った小説には、高橋治『風の盆恋歌』より前に脚本家・小説家の西澤裕子(1929生)の『風の盆』があった。

 これは西澤氏が脚本を担当し、昭和56年(1981)3月2日~27日まで20回放送されたNHK銀河テレビ小説「風の盆」の原作である。主演は梶芽衣子(1947.3.24生)で岡本富士太(1946.11.21生)や大門正明(1949.3.10生)が共演、語り手は渡辺美佐子(1932.10.23生)、三枝成章(1942.7.8生)が音楽を担当している。
 もちろん小学3年生だった私が、現在の小学生ならいざ知らず、当時の小学生が21時40分から22時までの銀河テレビ小説を見せてもらえるはずもなかったから、見た記憶はない。銀河テレビ小説は中学に入ってから、丁度風呂から出た時間でちらちら見るようになったように思う。――愛知県蒲郡市宮崎美子が管理人をしている下宿に、何か事情のある青年が住み着いて、他の下宿人たちと心を通わせるうちに、反撥し合っていた宮崎美子とも好き合うようになる、みたいな話を覚えていて、今検索してみるに昭和59年(1984)2月27日から3月23日まで全20回放送された「やどかりは夢をみる」のようだ。これは小学校を卒業した春休みになる頃だから2月28日から3月26日までの平日13時5分から25分の再放送を見たのだろう。このドラマで私は蒲郡と云う海に面した町を知ったので、一度も下車したことはないが東海道本線東海道新幹線で何度も通って、その度に南側が海に面した温暖な、密柑山のあるような場所で穏やかに暮らしたいなどと思ったものだった。
 銀河テレビ小説は、こうした地方で暮らす人々を取り上げるところに特色があったように思う。NHKアーカイブス「NHK人物録」の「宮崎美子」インタビューで、宮崎氏がこのドラマについて語っているが、首都圏でも関西圏でもない地方の風光・文化、人々の生活が見られることが魅力だった。しかしながら、そのNHK名古屋放送局のドラマ制作部門が今年度いっぱいで廃止されるらしい。名古屋のドラマと云えば山田昌(1930.5.12生)が出るぞ、とファンでもないのにワクワクしたものだが、残念なことである。しかし、これからは東京と関西で撮れば全て済むと思っているのだろうか。ならば私は僅かながら中部地方の地方都市で過ごした時期のあったことをせめてもの幸いと思うこととしよう。
 「やどかりは夢をみる」の舞台となったことは蒲郡市にとっては大事件であったらしく、「広報がまごおり」第485号(昭和58年9月15日・愛知県蒲郡市役所・12頁)8頁「蒲郡が銀河テレビ小説の舞台に/九月下旬と十月下旬に現地ロケ」、「広報がまごおり」第487号(昭和58年10月15日・愛知県蒲郡市役所・12頁)1頁「〝NHK銀河テレビ/小説のロケ始まる〟」、「広報がまごおり」第495号(昭和59年2月15日・愛知県蒲郡市役所・12頁)1頁「NHKテレビ/「やどかりは夢を見る」/二月二十七日から放送開始9頁「写真パネル展を開催」によりその盛り上がりを窺うことが出来る。
 実は私の住んでいた町も昭和末、私が高校2年生のときに銀河テレビ小説の舞台になっていて、当時私がうろうろしていた辺りが繰り返し、しっかり写っているのだった。しかし、余りその辺りから来ている生徒がいなかったためか、そして蒲郡と違ってドラマの撮影が余り珍しくなかったらしいこともあってか、蒲郡のように市報で大々的に取り上げるようなこともなく、高校でそのドラマのことが話題に出た記憶がない。ロケの撮影は平日の昼間、人が余り出歩いていない間にやったのだろう、母が買物に出掛ける駅の商業施設も、撮影場所から1駅か2駅のところで、撮影に出くわすようなこともなかったらしい。だからそんなTVドラマがあったことなど全く知らずにいて、何年か前に巨大動画サイトに全20回が全部上がっているのを通覧して初めて知ったのだが、今は削除されてしまって別に投稿されているごく一部しか見ることが出来ない。それでも、その後の再開発等で完全に失われてしまった町が生きた形で記録されていることは有難い。しかしながら、もっと簡単に見ることが出来るようにして欲しい。
 銀河テレビ小説「風の盆」には、歌謡曲でいよいよ有名になって大勢人が押し寄せるようになる前の状況が記録されているであろうか。ならば見てみたいものである。それから1976年(昭和51年)9月27日放送の新日本紀行おわら風の盆富山県八尾町~」*2、恐らくその月の初めの風の盆を記録したものであろう。――古い時期の、映像をもっと見てみたい。(以下続稿)

*1:事件後、行く気を失って以後全くチェックしていなかったので、5月開催に変わっていたことも知らなかった。

*2:NHKアーカイブス「盆の頃」として平成12年(2000)8月6日深夜に西馬音内盆踊りと阿波踊りとともに再放送されている。