瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

成瀬昌示 編『風の盆おわら案内記』(4)

・新版と定本の比較②
 風の盆についての記憶や知識を辿って行くうちに余計な話で長くなったが、ようやっと1月12日付(1)の続き。
 ③定本は②新版よりも8頁増えているが、120頁【風の盆案内】の最後、3段め25行めの次、1行分使って縦線(4.0cm)で仕切って、26~29行め、

◆「定本」を刊行するにあたって、二〇/〇三年「風の盆」を新撮してカラー八頁/を増補するとともに、初版・新版の誤植/など、若干の訂正をおこないました。


 この増補は③97~104頁(頁付なし)にアート紙・カラーの「二〇〇三年 風の盆」で、②97~111頁=③105~119頁、最後の②112頁③120頁は上3段が【風の盆案内】で横線(12.6cm)で仕切った4段め著者紹介と奥付になっている。上3段が②1段30行・1行16字、③は1段めのみ1段30行・1行16字で、2~3段めは1行18字になっており、内容もかなり異なっている。詳しくは追って検討することとしよう。
 ちなみに②112頁【風の盆案内】の最後、3段め26行めの次、1行分使って縦線(4.0cm)で仕切って、27~29行めに、

■製作にあたって、七年にわたり、/八尾町の沢山の方々にお世話になり/ました。あつく御礼申し上げます。

とあるばかりで、①初版との違いなどを説明した箇所はない。頁は112頁で変わりない。【風の盆案内】を最新の情報に書き換えたのであろう。
「七年」と云うのは、Amazon詳細ページの「商品の説明」に、

富山県八尾町が全国に誇る「風の盆おわら」の全貌と精髄を、1984~90年の7年間にわたり撮影した中から選び抜いた写真と多彩な文章によって伝える案内書。03年の「風の盆」新撮を8頁加えた、95年刊新版の定本。

とあるように、昭和59年(1984)から①初版刊行の前年、平成2年(1990)までの7年で、偶々であろうが1月13日付(2)に見たように撮影を始めた年の風の盆の直前に、高橋治「崖の家の二人」が発表されている。そして撮影を続ける間に昭和60年(1985)4月に『風の盆恋歌』と改題されて書籍として刊行、昭和62年(1987)8月には新潮文庫に入り、平成元年(1989)6月には演歌の「風の盆恋歌」が発売されている。なお、その後、③定本刊行の前年、平成15年(2003)6月に、新装版まで刊行されているのである。

 版元言叢社HPの「●定本/風の盆 おわら案内記」紹介ページに、

§越中八尾町(富山県)が全国に誇る町芸「風の盆おわら」の全貌と精髄を、精選された写真と多彩な文章によって伝える絶好の案内書。
 
収録された写真は、1984-1990年にわたる7年間、1万枚に及ぶフィルムから選び抜き構成。更に今回は2003年の風の盆を新撮したもの8頁を加えて「定本」として刊行。
立春からおこして二百十日の風が吹くころ、毎年9月1日2日3日飛騨の山間にかかる*1小さな街道町に幻妖な音曲と踊りの祭り、おわら風の盆がくりひろげられる。
神通川の支流・井田川河岸段丘上にできた小さな町筋に、この日ばかりは、全国から30万人という人たちが訪れる。
●現在の祭り現場では、もう本書のような写真はほとんど撮影できず、おわらの真髄を伝える唯一といってよい写真文集となっています。
●カラー70余点、モノクロ80点

とあるが、まさに本書掲載の写真を撮影していた時期が、「本書のような写真」が「ほとんど撮影でき」なくなる、ぎりぎりのタイミングであった訳である。――いよいよ私のような人混みの苦手な人間の行くべきところではなさそうだ。そしていよいよ、1月14日付(3)に触れた、こうなる前の映像――新日本紀行銀河テレビ小説を見たいと云う気持ちが高まって来るのである。(以下続稿)

*1:1月29日追記】「飛驒の山間にかかる」とするが、八尾は狭義の富山平野(呉東平野)の南西端に位置し、山間と云うほどでもないし飛驒までは相当の距離がある。ここは「越中の」で良いのではないか。――ここで「飛驒の」としたのは2021年8月6日付「白馬岳の雪女(10)」の後半に述べたのと同じような理由からと思われるのだけれども。