瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

八王子事典の会 編『八王子事典』(6)

・2人の朝倉甚五郎
 ①初版15頁7~13行めと14~20行め②改訂版15頁26行め~16頁3行めと4~10行めの連続する2項目、50音順なので息子の方が先に出ているが、そのまま抜いて置こう。

朝倉菊太郎*1
 1889年(明治22)1 月2 日~1960年(昭和35)1 月22日.大正/期の歌人八木町に朝倉甚五郎の長男として生まれる.白菫/と号す.府立二中卒.在学中より詩歌文章を作り,文芸誌/「若葉」の会員.「文章世界」に創刊号より作品を発表./1920~21年アララギ会員.31年(昭和6)父の後を継ぎ甚五郎と/名乗り染料店を継ぐ.(短歌)
朝倉甚五郎*2
 1857年安政4)6 月15日~1960年(昭和35)1 月22日.八王/子商業会議所第3代会頭.八木町出身.染料・薬品商を営/む.1900年(明治33)3 月~17年(大正6)11月八王子町会議/員,48年(昭和23)11月~60年選挙管理委員長歴任,全国市区/選挙管理委員会連合常任理事を務める.明治末期八王子商業/会議所会頭を務めたこともある.


 一読して色々おかしいことに気付くであろう。第一は父の甚五郎と息子の菊太郎の歿年月日が同じになっていることである。
 もちろん、この昭和35年(1960)1月22日と云うのは息子の菊太郎の歿年月日であろう。父の甚五郎だとすると、彼は90歳を越えてから選挙管理委員長になり、102歳まで務めたことになってしまう。すなわち、この昭和23年(1948)から歿年まで選挙管理委員長を務めたのは息子の菊太郎なのである。菊太郎項の最後に「父の後を継ぎ甚五郎と名乗り」とあるように、菊太郎が何代目になるのか分からないが甚五郎を襲名して、以後朝倉甚五郎を名乗っているので、どうやらこの2人の甚五郎を混同してしまったのである。父の甚五郎の歿年は、息子の菊太郎が「後を継」いだ昭和6年(1931)であろう。
 それから父の甚五郎項に、生歿年月日の次に「八王子商業会議所第3代会頭.」とあるのに、末尾に「明治末期八王子商業会議所会頭を務めたこともある.」との書き方は少々奇妙である。末尾の一文は不要だろう。八王子商業会議所の後身、八王子商工会議所HPの「八王子商工会議所の紹介>100年の歩み>近代社会のはじまり」の「●年表」の「明治38年(1905年)」条に「第3代会頭に朝倉甚五郎就任」とあり、「明治42年(1909年)」条に「4月 第4代会頭に中村宗三郎就任」とあって時期が判明する。
 もう1つ気になるのは、太陽暦になる以前の時代の日付である。一々換算したとも思えないから1857年6月15日ではなく安政四年六月十五日なのであろう。編著者たちは分かっているだろうが、利用者の中には「1857年6月15日」と取ってしまう者もいるだろう。そこで実害が生じるかどうか分からないが、やはり誤解を生じさせる書き方であるには違いない。もし「Web八王子事典」を復活させる機会があれば、その辺りを改訂して欲しいと思う。(以下続稿)

*1:③Web八王子事典には「あさくら きくたろう」と読みを付す。

*2:③には「あさくら じんごろう」と読みを付す。