瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

八王子事典の会 編『八王子事典』(8)

牛魂碑の建立年と井草甫三郎の生歿年
 ①29頁13~19行め②31頁8~14行め、

井草甫三郎*1
 ?~1951年(昭和26)1月8日.酪農家.松木出身.東京立/志塾で村田直景に農村経営法を学び,1892年(明治25)先進酪/農地千葉県房総を視察,ホルスタイン種牝牛1頭購入,都下最/初の乳牛を飼育した.のち北海道を視察.明治末年南多摩乳/牛組合を設立.1948年(昭和23)4月由木永林寺に牛魂碑を建/立.翌年1月83歳で没した.


 Wikipedia「由木村」項に拠ると、井草甫三郎は南多摩郡由木村の第6代(1907~1909)第11代(1925~1926)の村長を務めているのだが、触れていない。
 それよりも問題なのは、昭和26年(1951)1月8日歿とあるのに、昭和23年(1948)に「牛魂碑を建立」した「翌年・・・・没した」とあることである。そこで牛魂碑で検索して見るに石黒信行のサイト「武蔵野・多摩MTB散歩」の2007年10月28日「牛魂碑(多摩酪農発祥の地)東京都八王子市下柚木4(永林寺)」に、由木村搾乳者一同によって建てられた牛魂碑が紹介されているが、写真に「井草松涛書/八十二歳」、本文に「昭和二十五年四月八日建之」とある。松涛は号。してみると本書の記載が誤りなので正しくは昭和25年(1950)、この年、井草氏が「八十二歳」で翌昭和26年(1951)1月に「83歳で没した」と云うのは、どちらも数え年であろう。当時既に、数え年を廃した「年齢のとなえ方に関する法律」が施行(昭和25年1月1日)されていたが、旧来の慣行通り数え年で勘定しているのであろう。そうすると本書は井草氏の生年を「?」としているが、明治二年(1869)生と思われるのである。
 本書には歿時の年齢を示しながら生年を「?」としている例が多々見られるのであるが、戦前までの人物は恐らく全て数え年だろうから生年は記載出来るはずである。むしろ満年齢にしてからの人物の方が、2010年12月31日付「年齢と数字」にも述べたように、誕生日が分からないと年齢が確定出来ないし、年齢が分かってもそれだけでは生年を確定させられない。
高尾山口駅の開業年
 ①452頁24~27行め②465頁6~8行め

高尾山口駅 (たかおさんぐちえき)
 京王高尾線の終着駅で高尾山の登山口に位置する.1961年/(昭和42)10月1日高尾線開通にあわせて開業.88年の1日平/均乗降客数は7,790人.


 ②③には乗降客数について述べた最後の一文がない。開業年がおかしいが、①238頁13~17行め②244頁12~16行め、

京王高尾線*2
 1967年(昭和42)10月1日開通.京王帝都電鉄(株)が旧御陵/線の一部を延長させて,北野駅高尾山口駅8. 65kmを新線/として開通させたもので,めじろ台団地*3からの通勤と高尾山/へ|の行楽客が主な利用客である.

によって西暦がおかしいことが明らかである。
 これら、一読疑問を覚えるようなレベルの記述が②改訂版でも修正されず、③「Web八王子事典」でもそのままになっていることは甚だ残念である。私は「Web八王子事典」を復活させて欲しいと思っているけれども、全面的な点検・改稿作業が必要になるであろう。(以下続稿)

*1:③には「いぐさ としさぶろう」との読みを添える。

*2:③は「けいおうたかおせん」と読みを添える。

*3:②③は「沿線住宅地」とする。