瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

道了堂(03)

小池壮彦『怪奇事件の謎』(2)
 昨日の続き。どうもこういう話題になると常体では調子が狂うので、今回から文体を敬体にします。
 さて、立教大学助教授教え子殺しについては、東京の美術系大学の怪異談・怪事件について検討した際に、殺害・屍体遺棄現場の近くにある多摩美術大学八王子キャンパス(八王子市鑓水2丁目1723番地)の卒業生の、2ch(5ch)のスレッド「大学にまつわる怖い話」への書込みを2018年10月10日付「閉じ込められた女子学生(07)からしばらく検討しました。
 このスレッドを見るに、確かに小池氏の云うように「京子さんの姿を髣髴とさせる幽霊」は「多摩美術大学の裏手の林や、国道沿い、また道了堂付近にも出没した」ようです。いや、2004年5月から2006年1月まで書き込まれたスレッドだから小池氏も参照したことでしょう。尤も、小池氏が「大場の別荘地」としているのは誤りで、正しくは大場助教授の恩師の別荘です。
 さて、『怪奇事件の謎』の記述に戻って、1項めの最後の段落を見て置きましょう。124頁6~10行め、

 その後も幽霊の目撃報告は多発したが、その頃からすでに、京子さんの幽霊事件は道了堂の/怪談と混ざっていた節がある。順序としては、道了堂の怪談が先に存在したのだが、後述する/ように道了堂の過去は地元のタブーだったため、外部にはあまり知られていなかった。それが/奇しくも京子さん殺しの発覚によって、堂守の老婆にまつわる話も表に出てくることになった/のである。


 既に混ざっていた、と云うのは2ch(5ch)「大学にまつわる怖い話」でも、立教大学助教授教え子殺しについて、当時、捜索の様子を見ていたり、殺害現場の別荘の近くに住んでいた多摩美術大学卒業生が、屍体遺棄現場を多摩美術大学の近くと書いたことに対して、2018年10月10日付「閉じ込められた女子学生(07)」及び2018年10月11日付「閉じ込められた女子学生(08)」に抜いたように、これは「道了堂の件」であって多摩美術大学とは「直線距離にして1.5kmも離れて」いるから多摩美術大学の「近くというのは嘘」と、本気で反論の書込みをしている人をしているところからも察せられます。つまりこの人は、本来の「道了堂の件」である老婆殺しの方は知っていたかどうか、このスレッドでは言及されていないので分かりませんが、助教授の教え子殺し=「道了堂の件」だと勘違いしていた訳です。
 これはもちろん、2018年10月12日付「閉じ込められた女子学生(09)」に考証したように、殺害現場も遺棄現場も多摩美術大学の近くなので、この反論はただの勘違いなのですが、ただ、道了堂と多摩美術大学が「近く」ではない、と云うのは全くその通りなのです。すなわち、八王子市鑓水と云う場所は多摩市連光寺多摩川に合流する支流の大栗川の源流部に当たるのですが、源流である御殿峠からの本流が大芦谷戸、その南側の、北向きの斜面に建てられたのが多摩美術大学、道了堂は直線距離で1.5kmほど北、子ノ神谷戸と云う谷を1つ挟んだ巌耕地(岸耕地)谷戸の北に連なる大塚山にあります。同じ鑓水でも北端にある道了堂まで、南端に近い多摩美術大学からは徒歩だと2kmほど、30分ほどかかるようです。
 ところが、今回、改めて検索して吃驚したのですが、道了堂跡は心霊スポットとして、以前は写真入りのブログ記事、最近では動画をネット上に上げている人が大勢いて、細かく確認して云った訳ではありませんが、中には立教大学助教授教え子殺しに触れて、屍体が道了堂の近くに埋められた、としている人が少なからずいるらしいのです。堂守の老婆殺しの方も、今では周知の事実になっているようです。
 一方、立教大学助教授教え子殺しの現場の方は、史蹟でも何でもありません。道了堂の方は、心霊スポットとしてではなく普通に史蹟やハイキングコースとして訪ねている人も少なくありませんから、地理院地図や Yahoo! 地図には表示されませんが、何処にあるか分からないなどと云うことはあり得ません。しかしながら教え子殺しの現場は、別荘の方はともかく遺棄現場の方は、私とて大体この辺りと云う見当だけで、厳密な位置は把握しておりません。そういう文献に当たっていない人にとってはもっと分かりにくいことでしょう。2ch(5ch)「大学にまつわる怖い話」で道了堂の辺りだと(間違って)主張した書込みを信じて、多摩美術大学の近くだと思っていない人も、少なからずいそうです。
 前回の最後に引用したように『怪奇事件の謎』はこの辺りをちょっと曖昧にしていて、若い女の幽霊が出没した場所を、124頁3~4行め「多摩美術大学の裏手の林や、国道沿い、また道了堂付近」すなわち「ちょうど大場の別荘地をめぐるエリア」としております。しかしこれでは、多摩美術大学の裏手から道了堂附近まででは直線距離で2km近く、そして国道は鑓水の西端を掠める国道16号線しかありませんから、女性の幽霊は鑓水の西半分、皇居と同じくらいの範囲を徘徊していたことになってしまいます。ちょっと範囲が広過ぎるだろう、と思わざるを得ません。しかもこの、決して狭くない範囲の何処に「大場の別荘」にあったのか、書いていないのです。
 その点、『東京近郊怪奇スポット』でははっきり書いているのですが、どうもこれが、教え子殺しの現場が道了堂の辺りだと云われることになった、根拠の1つになっているらしいのです。もっと他に何かあるのかも分からんけど。(以下続稿)